第447話 緊迫の夜③
(……なんということか)
同時刻。
場所は変わって、天雅楼本殿の縁側の廊下。
火緋神耀は、山岡と蒼火の案内でその長い廊下を進んでいた。
山岡から伝えられた事実は、どれもが愕然とするモノだった。
山岡からの情報でなかったら、まず信じられないような内容ばかりである。
(百年前の引導師。久遠真刃)
歩きながら、情報を整理する。
(帝都を壊滅させたという伝承にある《
さらに思考する。
(それを討ったのが御前さま。百年前は恋仲だったという。そして――)
耀は前を歩く山岡の背中を見やる。
(山岡さんの話が真実ならば、御前さまは生きておられるとのこと。死を偽装し、今は一人の人間として久遠真刃の傍らにおられると……)
これが一番にわかに信じ難い。
しかし、山岡が虚言を告げるとも思っていない。
老執事の実直な性格と、誠実さは子供の頃からよく知っていた。
ましてや御前さまに関することである。やはり事実なのだろう。
(御前さまを母のように慕う父上は心中穏やかではないしょうが……)
真実を知れば、どうして教えてくれなかったのかと、父は山岡や御前さまに詰め寄ることになるかも知れない。
だが、これは間違いなく吉報だった。
耀自身も御前さまのことは、曾祖母のように慕っていた。
生きておられたことは、とても嬉しく思う。
(……御前さま……)
双眸を細める。
いま御前さまは、かつての恋人の元にいるという。
それを望んだのは他ならぬ久遠真刃当人ということだった。
復讐のためではない。かつてはその立場から敵対せざる得なかったが、すでにそのわだかまりも解けているという話だった。
恐らく、長年の重責から、かつての恋人を解放したかったのだろう。
御前さまはそれに応えた。
それを無責任などとは耀は思わない。
永く、とても永く御前さまは火緋神家に尽くしてくださったのだ。
どうか今は心穏やかに余生を過ごしていただきたいと耀は願っていた。
閑話休題。
(やはり、問題は千年我霊どもですね……)
耀にとって最も驚愕したのはこの情報だ。
最強にして最悪の我霊。すなわち
七つの邪悪の第陸番に、久遠真刃は宣戦布告されたらしい。
それも由々しき事態なのだが、状況はさらに想定を越えていた。
想定外にも程がある異常事態だった。
――そう。
耀は、歩みは止めずに拳を固めた。
第陸番に加えて、耀とも因縁深い第漆番。
さらにはまだ何番なのかは不明だが、もう一体。
伝承級の怪物どもが、三体もこの街で暗躍しているとのことだ。
当然ながら、火緋神家にとって静観できるような事態ではない。
(一刻も早く父上に報告しなければ)
強い焦燥感を抱くが、耀は小さく息を吐いて自身を落ち着かせる。
拙速な報告よりも、まずは久遠真刃と面会し、御前さまにお会いしてからだ。
特に御前さまが本当にご存命かどうかで情報の信憑性がまるで違う。
あまりにも規模が大きすぎる今回の事案。
しかしながら、現在、自分が直接この目で確認したことは、第漆番が月子を狙っている事実だけなのである。無論、それだけでも重大な事態ではあるが、それ以外の真偽の確認も可能な限りしておきたかった。
(まずは対話を)
冷静沈着で知られる頭脳を研ぎ澄まさせる。
(報告はそれからでも遅くありません)
そう判断する。
と、その時だった。
不意に前を行く山岡と蒼火が足を止めたのだ。
到着したのかと耀が眉根を寄せて前方を見やると、そこには一人の女性が立っていた。
(……彼女は)
見覚えのある女性だった。勝気な眼差しに、長い黒髪。出会った時は喪服だったが、今は赤いイブニングドレスを纏っている。
(確か、御前さまの葬儀に参列した……)
久遠一派の幹部。異母兄からの情報にそう記してあった女性だ。
名前を西條綾香といったか。
「西條さま」
山岡が彼女の名を呼んで恭しく頭を下げた。
「いかがされましたか?」
「あなたと扇に用があるのよ」
彼女――綾香は腰に片手を当てて、まず蒼火に視線を向けた。
「扇。獅童の元に行きなさい。近衛隊を今回の事態に合わせて再編するそうよ。芽衣もすぐに行くそうだから」
「……了解しました」
蒼火はそう答えた。
別に蒼火は綾香の部下ではない。
だが、綾香は今や準妃筆頭だ。無下にしていい相手ではなかった。
蒼火は「では失礼いたします」と耀に頭を垂れ、元来た道を戻っていった。
「山岡」
続けて綾香は山岡に声を掛ける。
「そちらの客人は、私が久遠のところまで案内するわ」
「西條さまが?」
山岡は少しだけ眉を上げた。
「何故でしょうか? 西條さまは今お忙しいはずなのでは」
「大体の指示はもう済ませたわ。それに、火緋神家の直系の方に対して、半端な相手が案内する訳にも行かないでしょう」
綾香は嘆息する。
「何気に妃の中だと私が組織で一番立場が高いのよ。考えてみると
やれやれだわ、と呟きつつ、
「とにかく彼は私が案内するわ。だから山岡。お願い」
一拍おいて、綾香は言う。
「今はあなたも月子の傍に居てあげて。目を覚ました時に、養父の顔があれば、あの子も少しは落ち着くでしょうから」
「……西條さま」
山岡は驚いた顔をした。
「まあ、あの子の今の心情は私にもよく分かるし……」
綾香は少し気まずそうに視線を逸らした。
「親の死は辛いものよ。ましてや殺されたと知らされればね。それに今となってはあの子は私の妹分よ。姉としてこの程度の気遣いはしたいのよ」
「……西條さま」
山岡は深く頭を垂れた。
「お心遣い、心より感謝いたします」
それから耀の方を見やり、
「耀さま」
「私のことは気にしないでください」
耀は微笑んで返す。
「月子のことを想っての心遣いです。感謝すれども断る理由などありません」
「ありがとうございます」
山岡は耀にも頭を下げて感謝を述べた。
そうして、山岡も「失礼します」と告げて去っていった。
残されたのは耀と綾香だけだ。
耀は、改めて彼女に視線を向けた。
「お会いするのは二度目ですね。改めまして。火緋神家当主・火緋神巌の次男。火緋神耀です」
「こちらも改めまして。《
二人は互いに握手をする。
「正確には、私は《
綾香はそう告げた。
「承知いたしました。ところで、私は普段から敬語が癖になっていますが、西條殿は先程の山岡に対するような親し気な言葉使いで構いませんから」
「あら。そうですか。ではお言葉に甘えて」
綾香は微笑んだ。
勝気な美貌が印象的なのだが、それはとても柔らかな笑みだった。
「私のことは『殿』と付けなくて構わないわ」
一拍おいて、
「じゃあ案内するわね。付いてきて」
綾香はそう告げて、背中を向けて歩き出した。
艶やかな長い髪が揺れる。
耀は彼女の背中に少し見惚れて、思わず足を止めていた。
御前さまの葬儀で見かけた時も美しい女性だと思ったが、今はさらに美しく感じた。
気丈さだけでなく、芯の入った覇気のようなモノを放っているようだった。
初めて出会った時には感じなかった気配だ。
「……?」
足音がしないことに気付き、綾香が振り返る。
「どうしたの?」
「……いえ」
立ち止まっていた耀はかぶりを振った。
「失礼いたしました。不躾ですが、美しい方だなと見惚れていました。しかも、その若さで久遠氏の側近というお話ですから」
「あら。ありがとう」
綾香は双眸を細めた。
「あなたがお世辞で言ってないのは分かるわ。嫌らしい眼差しでもないみたいね。そんな男は久しいわね。だけど」
そこで、彼女は艶やかに笑って告げた。
「私を口説かないでね。だって私は側近であると同時に、もう久遠の女なのだから」
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