第102話 兎と羊は拳を振るう③

 ……プルルルルルルッ。


「……ん?」


 その時。

 不意に、携帯電話スマホが鳴った。


「はて? どなたでしょうかぁ?」


 自宅のリビングでくつろいでいた大門紀次郎は、自分の携帯を手に取った。

 モニターを見やる。

 そこには、とある青年の名が記されていた。

 大門は、少し眉をひそめた。

 彼から連絡がある時は、あまり良い知らせではないからだ。

 しかし、それだけに無視も出来ない。


「はいィ、もしもしィ……」


 大門は通話する。

 真刃は、単刀直入に用件を告げてきた。

 そして、数分後には顔色を変えた。


「……本家の燦さまと、月子くんが?」


『ああ』


 真刃が、電話越しに首肯する。


『相手の目的は分からん。素性もな。だが、あの娘たちとは縁があってな。知った以上、流石に捨て置けん。いま救出に向かっているのだが……』


「分かりました」


 大門は即答する。


「私も今から動きます。火緋神家の本家にもすぐに連絡しましょう。久遠氏は、そのまま先行していただけますか」


『承知した』


 真刃は、短くそう答えて通話を切った。

 大門は、数瞬だけスマホを見据えた。

 声は平常だったが、彼も相当焦っているのが感じ取れた。


「これは急いだ方がよさそうですね。しかし」


 今回の事件といい、先の御影刀歌の事件といい……。

 彼は、女難の宿業でも背負っているのだろうか?


「しかも本家の姫君たち。あの火緋神の『双姫』とは……」


 300超えの魂力を持つ、美しき二人の少女。

 火緋神一族の中では、彼女たちを『双姫』と呼んでいた。

 ……二人・・の乙女・・・

 ――君は変わらないな・・・・・・・・……。


「……? はて?」


 ふと、心の中に浮かび上がった呟きに首を傾げつつ、


「何にせよ、彼は、ほとほとトラブルに愛されているようですね」


 思わず、苦笑を零してしまう大門だった。



       ◆



(……う)


 不意に。

 蓬莱月子は、目を覚ました。

 ぼんやりと瞳を開く。

 まず見えたのは、見知らぬ天井だった。


(……え、ここは?)


 薄暗い部屋だ。どうやら自分はベッドの上にいるようだ。

 横を見やると、ボロボロの机の上に、自分のランドセル、スマホが置かれていた。


(……どこ? ここは?)


 月子は立ち上がろうとする。と、

 ――ガシャリ、と。

 自分の頭上辺りで、いきなり金属音がした。


「……え?」


 そこで、月子の思考は、完全に目を覚ました。

 自分は『万歳』の姿勢で、両手に手錠をかけられていた。その手錠は、ベッドの一部に括りつけられた長い鎖へと繋がっていた。


「な、なにこれ……」


 月子の顔から血の気が引いた。

 次いで、直前の記憶が蘇る。

 ――そうだ。自分たちは見知らぬ大男と遭遇して……。


「――燦ちゃん!」


 月子は、声を張り上げた。

 ――そうだった。自分と親友は攫われたのだ。

 ガシャ、ガシャンッ、と鎖を強く揺らすが外れる気配はない。


「――くッ!」


 月子は魂力を込めて、無理やり手錠を引きちぎろうとした、その時だった。


「おお~、お目覚めかい。月子ちゃん」


 不意に男の声が響いた。

 月子は目を見開き、声がした方に目を向けた。

 そこには一人の男がいた。

 二十代前半の男性だ。顔中に付けたピアスが印象的な男。

 シャワーでも浴びていたのか、くすんだ金髪は少し濡れていた。

 穴の開いたジーンズを履くその男は、上半身が裸だった。

 体には、這うような蛇の入れ墨タトゥーを刻んでいる。


「……ひッ!」


 月子は、本能的に恐怖を覚えた。

 少しでも離れたくて、ベッドの奥に体を寄せた。


「あ、あなたは……」


「おう。俺の名はビアン


 男――ビアンは、ニカっと笑った。


「言葉は……通じてるみたいだな。すげえもんだな、通訳アプリ言語変換術式。馬鹿みたいに高けェくせによく売れる訳だ」


 喉元を抑えてそう呟く。

 そして、ビアンは、ズカズカと月子の方へと歩いてくる。

 月子は「ひッ!」と、身を捩じった。


「今日から、お前のご主人さまになる男だ。よろしくな」


 言って、ベッドの上に上がってきた。古いベッドがギシリと鳴った。

 ピアスの男は、這うように月子へと近づいてくる。

 月子の顔色が蒼白になった。


「こ、来ないで……」


「おいおい。そんなつれねえことを言うなよォ」


 ビアンは、月子の頬に手を触れた。

 まるで蛇に舌に舐められたような悪寒が奔る。


「だ、誰なの? おじさんは……さ、燦ちゃんはどこ!」


「……あン? サン?」


 ビアンは首を傾げた。そしてそれがもう一人の娘の名前だと思い出す。

 同時に、ふと名案が思い浮かんだ。


「ああ。あの娘なら無事さ。今は別の部屋にいるよ。けどよ」


 ニタリ、と笑う。


「あの娘がどうなるかは、月子ちゃんの努力次第だよなあ……」


「ど、努力?」


 月子が、目に涙を滲ませて反芻する。


「そそっ。努力だよ」ビアンは頷く。「実はさあ。今回の誘拐。本命は月子ちゃんの方なんだよ。サンちゃんの方はついで。だからよォ」


 ニタニタと笑って、月子のあごに手をかける。

 月子が「い、いや……ッ」と体を震わせた。


「月子ちゃんがさ。大人しくして言うこと……俺に気持ちイイことをしてくれんならさ。サンちゃんの方は無事に帰してやってもいいかなあって思ってる」


「………え」


 月子は、目を見開いた。

 ニッコリと笑って、ビアンはズボンのポケットから鍵を取り出し、月子の手錠を外した。

 唐突に解放されて困惑している月子に、


「言っとくが、暴れんじゃねえぞ。サンちゃんがどうなるか分かんねえからな」


 と、脅迫しつつ、月子の片手を掴んでひっぱり起した。

 月子は、完全に怯えきっていた。

 両膝でベッドの上に立つビアンは、ニカっと笑い、


「まあ、言ってしまえばさ~」


 月子のあごに手をかけて、こう告げる。


「サンちゃんの未来は、月子ちゃん次第なのさ」


 くつくつと嗤う。それから鋭い眼差しを向けて。


「……俺に逆らうな。暴れんな。俺の言う通りにしな」


「い、言う通り……?」


 茫然とした顔で、月子は男の顔を見上げた。


「ああ。そうだ」とビアンは頷く。


「ガキであってもお前も引導師ボーダーだろ? 俺の言ってる意味は分かるよな? 言う通りに出来たら、お友達を無事に帰すか考えてやるよ」


「――っ!」


 その言葉に、月子は言葉を失った。

 祈るように胸元の前で両手を固めて、強く唇を噛みしめる。

 恐怖で、ずっと肩が震えていた。

 すると、


「……あれあれえ? 月子ちゃあァん?」


 ビアンが目を丸くさせて、月子の顔を覗き込んできた。


「サンちゃんがどうなってもいいのかなあ? ちょいと調べたけど、サンちゃんは、月子ちゃんの命の恩人なんだよねえ?」


「ほ、本当に……」


 月子は、怯えた眼差しで男の顔を見やる。


「わ、私が言うことを聞けば、燦ちゃんは帰してくれるの……?」


「おう! もちろんさ!」


 ビアンは、薄っぺらい笑顔を見せた。


「すべては月子ちゃん次第なのさ! まずはチューからさ! まずは熱いチューからしてくれよォ。そしたら、きっと俺の気持ちだって大きく傾くよォ」


 可愛い月子ちゃんのお願いなら聞いちゃうかもね。

 と、笑顔並みに薄っぺらい言葉をかける。

 しかし、月子には、その言葉を否定できなかった。

 少なくとも、燦も拉致されていることは事実なのだ。


 月子は躊躇う。

 けれど、その胸の奥には、燦の笑顔があった。

 彼女だけは、絶対に救いたい。


(……お母さんマーマ


 心の中で母に告げる。


(ごめんなさい。私は……)


 愛する人とは、逢えなかった。

 叔父の魔の手からは逃れられても、結局、これが自分の人生だった。

 月子は震えながらも、ゆっくりと男の肩へと手を伸ばした。

 蒼い瞳からは、ボロボロと涙を零した。

 一方、ビアンは「おおっ!」と、大きく鼻の穴を膨らませた。

 期待の眼差しで、少女を凝視する。

 が、そこから月子は、全く動けなくなっていた。

 いつまで経っても動く気配がない。ビアンは苛立ちの表情を見せた。


「……おい。早くしな」


 冷淡な声で、宣告する。


「大事なお友達が、どうなってもいいのかよ?」


 露骨なまでの恫喝に、月子は、ビクッと肩を震わせた。

 小刻みに全身が震えつつも、月子は顔を上げた。

 蒼い瞳には、強い恐怖がある。

 けれど、


「……約束は、守って……」


 掠れるような声でそう告げて、ゆっくりと。

 細い腕を震わせて、ゆっくりとビアンの顔に唇を近づけていく。

 ビアンは、蛇のようにニタリと笑う。

 ――と、その時だった。



『――このォ、クズ野郎がああああッッ!』



 突如、そんな怒号が響いたのである。

 月子は「え?」と呟いて動きを止めて、ビアンは顔色を変えた。

 すぐさま、月子をベッドに突き倒して、周囲を見やり、


「――おい! 誰だ! 誰かいんのか!」


 鋭い声を上げる。と、


『うっさいッ! このゲス野郎がッ! お前に名乗る名前なんてねえっス! マジで怒り心頭っス! ぶちぎれっス! このクズロリコンがあああああッッ!』


 声は怒声で答えた。その直後のことだった。

 ――バシンッ!

 いきなり部屋の片隅が発光したのだ。

 それは、ボロ机に置かれた月子の携帯スマホだった。

 スマホはまるで激怒しているかのように、幾つもの雷光を迸らせていた。


「な、なんだあ?」


 ビアンは目を丸くした。月子も驚いた顔をしている。

 そして――。

 ――バリバリバリッッ!

 スマホから、強烈な雷光が撃ちだされた!


「うぎゃあッ!?」


 それはビアンの顔に直撃し、月子を捕えていた男を大きく弾き飛ばした。

 月子は「え? え?」と困惑するばかりだ。


『月子ちゃん!』


 その時、スマホが叫ぶ!


『そいつの話は嘘だらけっス! 燦ちゃんはここにはいない! 今は逃げるっス!』


 そう指摘されて、月子はハッとした表情を見せた。

 そしてベッドから飛び降りると、机の上のランドセルと、発電が収まったスマホを一瞬だけ躊躇いつつも手に取って駆け出す。

 月子は、部屋から飛び出していった。


「あ、あの!」


 スマホに話しかけると、


『話は後っス! 今は逃げるっス!』


 そんな声が返ってくる。

 月子は「は、はい!」と頷くと、廃ホテルの中を走り出した。

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