第六章 刃の王は、高らかに告げる

第138話 刃の王は、高らかに告げる①

 御影桜華は、桜の花が舞う夜を駆けていた。

 炎の刃を片手に、屋根伝いを跳躍。

 そのたびに、火の粉と浴衣の裾。そして黒髪が風に揺れる。


『桜華さま。そろそろ見えるはずです』


「――分かった」


 胸元の水晶に宿る白冴の声に、桜華はさらに加速した。

 そうして――。


「あれか!」


 とある旅館の前。

 四人ほどの男性たちが、屍鬼の群れに襲われている。

 屍鬼の数は三十ほどか。

 男性はどこで入手したのか、それぞれが武具を手にしていた。

 その武具を使って、どうにか応戦している。


「――ッ! あれはッ!」


 桜華は目を見開いた。

 必死の形相で応戦している男性たち。

 その先頭に立つ男性に、見覚えがあったのだ。


 ――黒田信二。

 今回の任務で捜索対象になっている人物だ。


 写真では大人しい印象だった彼は、刀を手に、屍鬼へと果敢に挑んでいる。


(やはり、関係していたのか。だが、今は)


 桜華は屋根を蹴り、大きく跳躍した。

 目の前に、命の危機に晒されている者がいる。

 引導師として、すべきことはたった一つだけだった。

 ――トッ、と。

 桜華は、乱戦の中に降り立った。

 奇しくも、黒田信二のすぐ傍である。


「……え?」


 いきなり現れた浴衣姿の女性に、信二が目を丸くする。

 しかも、その手には、炎の刃が握られているではないか。


「き、君は?」


 困惑の声を上げる信二。

 対し、桜華は、


「話は後だ」


 淡々とした声で返した。


「ここは自分に任せろ」


 そう告げて、桜華は屍鬼の群れの中へと駆け出した。


「おあああォああああああッ!」


 桜華に気付いた屍鬼が両腕を広げて彼女に襲い掛かるが、

 ――ザンッ!

 すれ違いざま、熱閃を振るう!

 屍鬼の胴体は、容易く両断された。

 桜華はさらに加速する。

 胴薙ぎ、袈裟斬り、刺突。

 そのたびに、熱閃が煌めいた。

 屍鬼どもは、為す術もなく倒れていく。


 街道には桜の木。

 金色の火の粉と、桜の花が月夜に舞った。

 信二たちは、襲撃されていることも忘れて、彼女の姿に魅入った。


 そうして十数秒後。


「……粗方片付いたか」


 炎刃の切っ先を下ろして、桜華が呟く。

 三十はいた屍鬼どもは、一体残らず地に伏せていた。

 立っているのは、桜華と、信二たち――五人の男性たちだけだった。


「た、助かったのか?」


 男性の一人が声を零す。

 桜華は、男性たちへと視線をやった。


「大丈夫だったか? 負傷者はいないか?」


 そう尋ねると、


「あ、ああ」


 黒田信二が前に出て来た。


「助かったよ。けど、君は一体……?」


「ああ。自分は――」


 桜華が話を切り出そうとした、その時だった。


「――彼女は、引導師いんどうしと呼ばれる輩ですわ」


 不意に。

 赤き月の夜に、その声が響いた。

 桜華、信二たちも息を呑んで、声の方を見やる。

 すると、そこには、


「自らを、輪廻の守護者などと称する傲慢な輩ですの」


 ――黄金の闇がいた。

 闇夜であっても輝く長い金色の髪を揺らして、桜舞う街道を歩いている。


「分かりやすく言うと、いわゆる退魔師。鬼やあやかしを狩る者といったところですか」


「……貴様は」


 桜華は表情を険しくして、炎刃の切っ先を向けた。


「この事件の首謀者か? 何者だ?」


「あら?」


 黄金の闇――エリーゼは、口元を片手で押さえて笑った。


「私の正体など、すでにご存じでしょうに」


「貴様の名を聞いている。名付きの我霊」


 桜華は、険しい顔のまま問う。


「貴様の名は何だ?」


「あらあら」


 エリーゼは、蒼い双眸を細めた。


「自らは名乗りもせずに、相手に名を尋ねるなんて、礼儀のなっていないことね」


 そこで、少し困ったような顔を見せる。


「お館さまにお贈りする前に、少し教育が必要かしら? まあ、まずは」


 エリーゼは、微笑んで尋ねる。


「貴女のお名前。先に窺ってもいいかしら?」


「……自分の名は」


 ――御影刀一郎。

 一瞬、そう名乗ろうと思ったが、桜華は考え直した。

 その名は、いずれ意味がなくなるからだ。


「……桜華だ。久遠桜華。それが自分の名だ」


 あえて御影の家名でなく、その名を告げる。

 今だけは。

 ――否。今宵からこそは。

 彼女は、その名になる覚悟でいたのだから。

 それをこの女に邪魔をされた訳だ。多くの人々が犠牲にされた不快感に比べれば、些末なことではあるが、それでも勇気を振り絞った夜だった。当然ながら、思うところもある。


「貴様を斬る者の名だ」


 そう告げる。

 すると、エリーゼは笑みを深めた。


「ふふ。久遠くおんさくらと書くのかしら? 美しい名ね。お館さまに相応しくはあるわ」


 そう呟いてから、


「私の名は、エリーゼと申します」


 装束ドレスの裾をたくし上げて、優雅に一礼する。

 途端、桜華が顔色を変えた。


「……なるほど。その黄金の髪。蒼い双眸。すぐに気付くべきだったな……」


 そして緊張を宿した声で、その名を呟く。


「貴様が《屍山喰しざんぐらい》のエリーゼか」


「……その二つ名は嫌いですわ」


 エリーゼは、不快そうに眉をひそめた。


「まるで私が大喰らいのようです」


「事実、そうだろう」


 桜華は言う。


「戦国時代、この国に流れ着いた異国の娘、エリーゼ。白き肌に蒼い瞳。その黄金の髪を民衆が恐れ、鬼の子として囚われた。そのまま、餓死させられたと聞く。そして、極度の飢餓を抱いて死んだ彼女は、喰らうことに特化した我霊と化した」


 桜華は微かな憐憫を、エリーゼに向けた。


「貴様の死に様は哀れだと思う。だが、飢えた貴様は、その後、戦場いくさばに現れては、すべての兵士を鏖殺した。その骸の山を余すことなく喰らい尽くした。ゆえに《屍山喰らい》」


「……若気の至りですわ」


 エリーゼは、恥ずかしそうに頬に手を当てた。

 一方、桜華は眉をしかめた。


「貴様はそれを四十年以上も続けたそうだな。だが、貴様はある日――」


 そこで、桜華はハッとした。


「……そうだ。そうだった。貴様は、確かの……」


「ええ。そうですわ」


 エリーゼは、幸せそうに笑った。


「喰らっても喰らっても満たされない。そんなエリーを救ってくれた御方。教養。世の理。私たちの正しき生き方。そして……」


 エリーゼは、自身に唇に触れながら、恍惚の表情を見せた。


「遂には、生前には知ることもなかった愛をもお教えくださいましたわ。今でも忘れません。初めて……初めて、お館さまのお情けを頂いたあの夜だけは……」


「……そうか」


 桜華は、炎の刃の柄を強く握って告げる。


「貴様は本当にの女なのだな。ならば、この街にはもいるということか。あの七つの邪悪の一角が……」


「ええ。もちろんですわ」


 エリーゼは、ニッコリと笑って告げる。

 桜華は、大きく息を吐いた。

 そして、


「――黒田さま」


「……え?」


 緊迫した空気の中、四人の仲間と共に沈黙していた信二は、目を見開いた。


「どうして、僕の名前を?」


 桜華は一瞬考えて、


「……自分の夫は、軍属の方と面識があります」


 そう答えた。それだけで、信二は父の関連で名を知られていたのだと察した。


「ここはお逃げください。この女は自分が相手をします」


「え、けど、女性を残しては……」


「ご心配なく」


 桜華は、火の粉を散らせて炎の刃を横に抱いた。


「女の身ではありますが、自分は引導師。退魔を生業とする者です。そしてこの女はあやかし。自分が専門とする相手です」


「……そうですか」


 信二はそれでも迷っていたが、


「……分かりました」


 小さく頷く。


「ここはお任せします。みんな。行こう」


 言って、仲間にも促す。仲間も「お、おう」「分かった」と困惑しつつも頷き、武具を持ったまま駆け出した。信二は最後までその場に残り、


「どうか、ご武運を」


 そう告げると、頭を下げ、仲間の後を追った。

 礼儀正しい青年だと桜華は思った。同時に死なせたくないな、と。

 桜華は、エリーゼを真っ直ぐ見据えた。


「お前の相手は自分だ。彼らを追わせない」


「あら。その心配は不要ですわよ」


 エリーゼは、頬に指先を当てて微笑む。


「彼らは、お館さまの大切な演者テイナーたち。私が手を出すことは禁じられています」


 そう告げると、長い黄金の髪を揺らして首を傾げた。


「今宵、私が相手を許されているのは、あなただけですわ」


「……そうか」


 桜華はそう呟くと、両手で炎の刃を構えた。

 対し、エリーゼは、


「では、そろそろ始めましょうか」


 そう言って、双眸を細めた瞬間だった。

 ――ぞわり、と。

 桜華の背筋に悪寒が奔った。

 桜華は直感が命じるままに後方へと大きく跳んだ。

 その一瞬後、何かが地面に突き刺さる。

 桜華は、目を大きく見開いた。

 地面に突き立てられたそれは触手のように見えた。

 だが、ぬめりと輝く肌色のそれが、地面から引き抜かれて気付く。


 それは、人間の舌だった。

 恐ろしく、恐ろしく長い舌だ。その舌の先を目で追うと、エリーゼの腹部に鋭い牙を持つ大きな口が浮かび上がっていた。舌はその口のモノだった。


 しかも一本ではない。

 五本、六本と、長い舌がまだまだ飛び出してくる。


「あなたもご存じの通り、私は、食事には少々拘りがありますの」


 ゆらり、ゆらりと。

 十五本以上の触舌を蠢かすエリーゼは、笑みを湛えたまま告げた。


「お気をつけてくださいな。私の舌舐めずりは、いささか刺激的ですから」

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