第203話 王の審判⑩
ズズン、ズズゥン……。
宝石騎士が、ゆっくりと動き出す。
四本の脚で、巨獣に対し、弧を描くように歩く。
そうして加速。
海面を荒立て、地響きと共に巨獣の背後に回り込む!
その勢いのまま突撃槍を構えて突進する――が、
――ガギィンッッ!
反転した巨獣の尾で弾かれた!
さらに巨獣は大きく踏み込み、拳を打ち込んでくる!
それは咄嗟に楯で防いだが、宝石騎士は大きく吹き飛ばされてしまった。
水飛沫を上げて着地する。
宝石騎士は即座に再び加速し、巨獣の喉元へと穂先を打ち込むが、それは灼岩の手によって掴み取られてしまう。
巨獣は、片腕だけで宝石騎士の巨体を放り投げた。
宝石騎士は空中で器用に反転し、どうにか四本の脚で着水した。
しかし、
(力では無理か)
宝石騎士の中、《
巨大なモニター越しに、灼岩の巨獣を見やる。
初手で膂力の差を痛感した。
(接近戦では勝ち目はない。だったら!)
戦術を変える。
宝石騎士の背中にある二本の水晶柱が眩く輝きだす。
――月と星。
さらには、
水晶柱の輝きが増すと同時に、突撃槍に雷が迸った。
そして、
――ギュボッッ!
突撃槍から激しい雷光が撃ち出された!
その速さはまさに雷速だ。巨獣は防御することも間に合わなかった。
雷光が巨獣の右肩に直撃し、爆炎が上がった。
(よし! これなら行ける!)
グッと拳を固める《
名も無き自身の
弧を描き、巨獣との間合いを警戒しつつ、突撃槍を構えて、
――ギュボッッ!
再び雷光!
これは巨獣の背中に直撃した。
「まだまだ!」
パチンッ、と《
直後、海面から二十メートルはある水晶柱が現れた。
その数は七本。それは巨獣を囲うようにそびえ立っていた。
その一つに、宝石騎士は雷光を放った。
直撃した水晶柱は雷光を吸収し、さらに輝きを増した雷光を別の柱へと放った。雷光は次々と水晶柱を経由する。それはもはや目で追える速度ではなかった。
そしてあらぬ方向から、灼岩の巨獣を撃ち抜いた。
さしもの怪物も、大きく巨体を傾けた。
(よし!)
《
やはり遠距離戦なら、こちらに分がある。
このまま間合いを確保し、削り落として行けば――。
と、光明が見えたと思った矢先だった。
――ゴウッッ!
「――――な」
目を見開く《
突如、灼岩の巨獣がアギトから赫光を撃ち出したのだ。
それは水晶柱の一つを粉砕。さらに首を動かして他の水晶柱も両断していく。
赫光は、宝石騎士自身にも襲いかかってきた。
「――クッ!」
咄嗟に楯を構えるが、
――ギャリンッッ!
まるで刀剣を叩きつけられたような音と共に、衝撃が大騎士の巨体を揺らした。
宝石騎士の左腕を見やり、《
両断まではされていないが、楯の部位は赤い光を浮かび上がらせていた。
(――クソッ! これもダメなのか!)
再び戦術を切り替える。
宝石騎士は駆け出し、大きく空へと跳躍した。
突撃槍を巨獣に向け、背中の水晶柱が光輪を放つ。
宝石騎士は、宙空で加速した。狙いは無論、地上の巨獣だ。
全体重を乗せた宙空からの特攻。
だが、これはフェイクである。
本命は――。
――ギュオッ!
切っ先の届かない距離から突如伸びる突撃槍!
それは灼岩の巨獣の左肩を貫く。さらにその切っ先は海面へと突き立った。
地響きを立てる突撃槍。《
巨獣の肩に突き刺さった突撃槍は、表面に螺旋状に並ぶ刃を突き出した。その姿はまるで巨大なドリルである。
(内側から削ってやる!)
今度こそ勝利を確信する――が、
(……チィ)
《
突撃槍が、ほとんど回転しないのだ。
よく見れば、巨獣の左手で突撃槍は抑えられている。
悪足掻きを……と、眉をしかめた時、巨獣は右腕を鎚のごとく突撃槍に振り下ろした。
海面にまで衝撃が奔った。
(……馬鹿め)
少し青ざめつつも、《
これこそ、悪足掻きの極みだ。
自分の力だからこそ分かる。この突撃槍の強度は
いかにかの巨腕であっても容易く砕けるモノではない。
――そう。強度においては、自分の方が遥かに格上なのだ。
「粉々にしてやる」
突撃槍が、ゆっくりと動き始める。
一度でも完全に回り始めたら、巨獣にも止める手段はない。こちらの勝利だ。
巨獣は、再び右腕を振り下ろした。
衝撃が突撃槍を支点に宙空に留まる宝石騎士の体にも伝わるが、《
(―――――は?)
《
――ビシリ、と。
「待て待て待て!?」
思わず声を張り上げた。
そして四度目。
巨腕の鉄槌が、突撃槍へと振り下ろされた!
――ガァゴンッッ!
突撃槍は、半ばからへし折られた。
ガラガラッ、と宝石の破片が落ちて海中へと沈んでいった。
支点を失った宝石騎士は海面へと落ちた。
盛大な水飛沫を上げるが、どうにか巨馬の四肢で立つことは出来た。
宝石騎士の砕け散った右腕を見やり、《
最強の矛が粉砕されてしまった。
直後、水飛沫が上がった。
ギョッとして目をやると、そこには沈んでいく左腕があった。
赫光を受け止めた楯だ。
赤く発光していた部位が、完全に炭化していた。
最強の楯まで失ってしまった。
(うあ、あああ……)
寒気がするほどに血の気が引いていく。
そして、
(馬鹿なのか! オイラは!)
今更ながら思い返す。
――そうだった。
そもそも、あの巨獣と対峙した時、自分が下していた判断は――。
(逃げないと……今からでも!)
こいつは本物の怪物だ。
改めて、そう感じた瞬間だった。
――ゾッと。
背筋が凍り付く。
灼岩の巨獣が、大きく両腕を広げていたのだ。
そして、その胸部にある火口は煌々と輝いていて――。
「うわぁあああああああああアアアアッッ!」
《
その直後だった。大熱閃が火口から撃ち出されたのは。
それは、宝石騎士がいた場所を通過し、空へと消えていった。
そうして、
――ズズゥンッッ!
どうにか回避した宝石騎士だったが、うつ伏せに海面に倒れ込んでしまった。
「うああ、うああああ……」
《
先程の一撃。完全にかわし切った訳ではない。
宝石騎士の下半身。馬の胴から後ろ脚が完全に焼失していた。
大熱閃で持っていかれたのである。
もう逃げるどころか、立つことも困難だった。
「ま、まだだ。結界領域さえ解けばまだ……」
まだ助かる可能性がある。
そう思った時、不意に宝石騎士の巨体が浮上した。
頭部を巨腕に掴まれ、無理やり吊り上げられたのだ。
『……ココマデダナ』
灼岩の巨獣が、告げる。
カチカチカチ、と《
――結界領域を、結界領域さえ解けば……。
頭の中で、必死にそう考えていた。
実のところ、それは打開策にはなりえない。
結界領域を解いたところで、即座に巨獣の封宮に囚われるだけだからだ。
ここに至るまで巨獣が封宮を展開してこなかったのは、力尽くで結界領域を上書きしては他の人間まで一緒に巻き込んでしまう可能性があったからだ。
だが、今はすでに海上にいる。
海上のみに範囲を限定すれば、封宮の展開も可能だった。
しかし、《
追い詰められた者が、そんな
そうして届くことのない希望に縋り、結界領域を解いた。
――だが。
起きた現象は、この箱庭の崩壊ではなかった。
世界が、塗り替わっていったのである。
夜が昼へと。大レジャーランドが森に覆われた大自然へと。
全く違う世界へと変わったのである。
(………え………)
呆然と。
《
これは結界領域ではない。
自分の心を映し出す世界――
そして、この世界には見覚えがあった。
遠くに見える小川。その近くに小さな農村がある。
そこには、一人の女性がいた。
まだ少女と言ってもいい素朴な顔立ちの女性だ。
そのお腹は大きかった。
(ああ、あああ……)
《
――帰りたい。帰りたい。
彼女の傍に。あの村に帰りたい。
手を伸ばし、心の底からそう思った。
『……帰り、たい……』
その願いは、言葉と成って零れ落ちた。
だがしかし。
『……スギタ、ネガイダナ』
無情の声が、願いを砕く。
世界が再び塗り替わる。
穏やかな大自然から、灼岩と赤い刃が乱立する世界へと。
火焔が舞う災厄の世界へと移り変わった。
巨腕が、ギシリと宝石騎士の頭部を絞めつける。
『イマサラ、ソレヲ、ネガウノカ? キサマハゲドウダ。ミズカラ、ゲドウ二、オチルコトヲエランダノダ』
怪物は断罪する。
『オノガタメニ、イノチヲ、モテアソンダ。ナラバ、サイゴマデ、ゲドウデイロ』
『……オイラは』
宝石騎士は言う。
『もう、彼女に逢えないのかな?』
『……サアナ』
火の息を零して、巨獣は答えた。
『シッタコトデハナイナ。タダ、ソノムスメガ、ヤサシキモノナラバ、イマダ、キサマヲ、マッテイルノカモシレンナ』
『……そっか』
宝石騎士の中で、《
『……なら、凄く待たせちゃったかも』
『……フン』
灼岩の巨獣は、鼻を鳴らした。
『トラワレ、ススメナクナッタモノヨ。インドウヲ、クレテヤル』
ギシリ、と宝石騎士の
『タムケダ。キサマノツミヲ、ヤキツクシテヤロウ』
そして――。
『――《
劫火が世界を照らした。
◆
すべてが、終わった。
海岸で膝をつき、ルビィはそう思った。
あの灼岩の巨獣と、宝石の大騎士が対峙した時。
ルビィは、最も近い海岸へと向かった。
預かっていた魂力どころか、自身の魂力さえもほとんど徴収され、体が酷く重かったが、それでも彼の元に向かった。
だが、目の前で巨獣と大騎士が消えた瞬間。
この海岸に辿り着いた時、すべてを悟ってしまった。
すでに、結界領域が消えてしまっていることに。
彼との繋がりが無くなっていることに。
ルビィは茫然とした。
と、その時、海辺に輝くモノを見つけた。
ルビィは海水でドレスが濡れるのも厭わず、ふらふらとそれの元に向かった。
そして、それを拾い上げる。
それは宝石箱だった。彼の宝石箱だ。
「………………」
ルビィは、それを抱きしめた。
虚ろな瞳で、その場で膝をつく。
(……私は、どうすればいいの?)
解放された。だが、今更どうしろというのか。
人を殺した。何人も殺した。
もう
いや、そんなことはどうでもいいか。
「………うあァ……」
宝石箱を抱きしめたまま、自分の唇に触れる。
吐息が熱い。唇も艶めいていた。
――あの魔性の快楽を知ってしまった。
あれを知ってしまった以上、もう人の世界になんて戻れない。
「……私は、ルビィはどうすればいいの……」
深く俯き、そう呟いた時だった。
「ああ。なるほど。あなたが『ルビィ』なのですのね」
不意に。
その声は、背後からした。
ルビィが、虚ろな眼差しを声の方へと向ける。
すると、そこには――。
「ごきげんよう。ルビィさん」
そう告げる女がいた。
年の頃は二十代前半ほどか。蒼い眼差しに赤い唇。黄金に輝く髪を持ち、それを頭頂部辺りで冠状にしている。同性のルビィでも思わず魅入る美貌と、白いスーツの上からでも分かる抜群のプロポーションを持つ女性だった。
「……あなたは誰?」
ルビィがそう尋ねると、黄金の女は少し困ったような顔をした。
「あら? 私のことは聞いていないのかしら? 三日後に、私の主人と共にお会いする約束だったのですけれど?」
「……会う? まさかあなたは……」
ルビィは目を見開き、立ち上がった。
黄金の女は唇に人差し指を当てて、ふふっと笑った。
「主人には内緒でね。失礼とは思いつつも《
黄金の女は、双眸を細めて夜の海に視線を向けた。
「……まさか、このような事態になるとはね」
「……ルビィは……」
ボチャンッと。
宝石箱をその場に落として、ルビィは黄金の女にふらふらと近づいていく。
「これからどうすればいいの……?」彼女の袖を両手で掴む。「《
ボロボロと涙を零した。
「あらあら」黄金の女は小首を傾げた。「まるで捨てられた仔猫のようね」
そこで少し考える。
「いいでしょう。特別に我が主の寵愛を賜う機会をあなたにあげましょう」
「………え?」
涙に濡れた瞳を見開くルビィ。
「もし《
「ホ、ホント……?」
ルビィは瞳を輝かせて、自分より頭一つ分背の高い女を見つめた。
黄金の女は「ええ。もちろんですわ」と頷くが、
「ですが、その前に」
ぐいっと。
「………え」
不意に腰を抱き寄せられて、ルビィは目を瞬かせた。
「まず確認しなければならないことがありますわ」
黄金の女は、そう告げる。
次の瞬間、ルビィは瞠目した。いきなり黄金の女に唇を奪われたのだ。
数瞬の間、ルビィはただただ混乱していたが、
「~~~~~~ッッ」
うなじも抑えられ、ルビィは全身を硬直させた。
黄金の女の舌が、蛇のように絡んでくる。
そうして、さらに十数秒が経ち、
「……あらあら」
ようやく唇を離して、黄金の女は苦笑を零した。
「随分とだらしない顔ですこと。これではダメね」
言って、ルビィの頬に片手を添える。
ルビィは何も答えない。
ただただ肌を火照らせて、口元からは涎を垂らしている。力も抜けているようで、黄金の女が腰を支えていなければ、このまま倒れ込んでいたことだろう。
「このままでは、とても
「……ひょ、ひょういく?」
呂律も回っていない。
呆けた表情のまま、ルビィは黄金の女の台詞を反芻した。
「ええ。そうよ」黄金の女は頷く。
「あの方は慈悲深きお方よ。けれど、その御心に甘えるだけではダメ。あなたは、これから私と同じく天の座に御座すお方にご奉仕する立場になるのですから」
「……う、あ……」
黄金の女の腕の中で、ルビィは震えた。
ここに至って、生物としての本能が訴えかけていた。
――危険だ。ここより先へと踏み込むのはあまりにも……。
言い知れない恐怖から、黄金の女の腕を引き剥がそうとする。
――が、
「あらあら。今更逃げるのかしら。ルビィ」
そう告げて、万力のような握力で、ルビィのうなじを抑えた。
ルビィは「ひ」と息を呑むが、悲鳴を上げる前に、再び唇を奪われてしまった。
体を震わせる。力の入らない拳で、黄金の女の肩や腕を叩いて抵抗するが、それもほんの数秒ほどだけ。十数秒も経てば、黄金の女の袖を強く掴むだけになっていた。
ゆっくりと、唇が離される。
そうして、
「ねえ、ルビィ」
黄金の女が、優し気な声で問う。
「私の教育を受ける気になってくれたかしら?」
「……ふぁい。お姉さまぁ……」
ルビィは応えた。その眼差しは完全に理性を失っていた。
「……教えてぇ、ルビィにいっぱい教えてぇ……」
袖を掴んだまま、そう願う。
黄金の女は「ふふ」と微笑んだ。
「いい子ね。人間は嫌いだけど、ルビィのことは好きになれそうですわ」
捕えた
そうして、ルビィの両腿に片腕を回して、彼女を抱きかかえた。
持ち上げられたルビィは、カクンっと首を傾げて脱力した。
元々体力も限界だったのか、気絶したようだ。
「あら? 気絶してしまったの?」
ルビィを抱きかかえながら、黄金の女は目を瞬かせた。
「まあ、良いですわ。早速今夜からでもあの方への
そう告げる。
が、黄金の女は、おもむろに双眸を細めた。
「それにしても」
一転して、険しい表情で呟く。
「あの灼岩の巨獣。やはりあの男の血族なのかしら? だとしたら……」
ギリっと歯を鳴らす。
「あの男の妻。あの忌まわしい女の血族でもあるということね」
かつて、自分に死の恐怖を味あわせてくれた憎き女。
あの夜から百余年。
とうの昔に息絶えているだろうが、その末裔が現れたということか。
「本当に人間はしつこい」
吐き捨てる。
「だけど構わない。
最後の声色は、姿に似つかわしくない幼いモノだった。
そうして。
真紅の魔女をその腕に。
黄金の女は、闇の中へと消えた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます