第202話 王の審判⑨

「何なんだ! あれ・・はッ!」


 同時刻。

 ゴンドラ内で《宝石蒐集家トイコレクター》は愕然としていた。

 この異常事態に、誰よりも戦慄していたのは彼だった。

 当然だ。あれ・・はこの場所を真っ直ぐ目指して来ているのだから。


 海原を縦断する灼岩の巨躯。

 全高は、三十メートル以上あるかもしれない。

 太く長い巨腕に、ひしゃげた足。巨大な角を持つ頭部に、異様に大きい上半身と肩回り。胸部には爪状に割れた大きな空洞があり、まるで火口のようだった。背中一面と、肩から二の腕にかけては、炎を纏った赤い巨刃が乱立している。

 巨獣の全身からは黒い鎖が伸びていた。それらが、海原や虚空へと繋がれ、巨獣の動きを阻害しているようだが、それにも構わず巨獣は進む。


「……本当に、何なんだよ、あれは……」


宝石蒐集家トイコレクター》は、静かに喉を鳴らした。

 今も迫りつつある灼岩の巨獣。

 映画の中でしか見ないような怪獣が、現実に出現しているのだ。

 戦慄しないはずがない。


「――くそッ!」


 だが、いつまでも動揺はしていられなかった。

 早く決断しなければならない。

 迎撃か、撤退かを。


(あんな怪物と無理に戦う必要なんてない)


 彼は戦闘狂ではない。命を賭けてまでの戦いなど馬鹿馬鹿しい。

 あの怪物がここに到着するまで、まだ一分はかかる。

 ならば、今の間にゴンドラから降りて、夜の国ミッドナイト内に身を隠せばいい。

 そこで結界領域を解除すれば人混みに紛れ込める。

 あの怪物が本当に引導師ボーダーならば、追うことも出来ないはずだ。


(……よし)


宝石蒐集家トイコレクター》は撤退を決めた。

 そうして、急ぎゴンドラから脱出しようとした時だった。


(――――な)


 思わず硬直した。

 視線の先。巨大な怪物の姿を凝視する。

 海上の巨獣は、足を止めていた。

 だが、進撃を止めた訳ではない。

 溶岩流が這う巨躯を、強く震わせていたのだ。

 そして――。

 ガガガガッガッガッガッガッガ――ッ!

 突如、背面から、新たに刃が幾重も生えて連なり、巨大な剣となった。

 いや、幾つもの関節を持つそれは、まるで獣の尾。

 赤い巨刃で形作られた竜の尾のようだった。

 数十メートルにも至る巨刃の塊は、波打って動く。まるで蛇腹剣ガリアンソードを思わせるその滑らかな動きから、やはりあれは尾なのだと確信する。

 灼岩の巨獣は海面を荒立て、巨体を反転させた。それに合わせて巨刃の尾もしなる。

 そうして、

 ――ズゥガンッッ!

 巨刃の尾の先端が、大観覧車の中枢を射抜いた!

 ゴンドラが大きく揺らされ、《宝石蒐集家トイコレクター》が「うわあッ!?」と叫んだ。

 巨刃の尾の先端は大観覧車を縫い付け、そのまま土台ごと引き抜いた。


 ――そう。大観覧車は、海上へと吊り上げられたのである。

 その瞬間、夜の国ミッドナイトが誇る大観覧車は、『天上車輪ヘブンズホイール』の名前の通りになったのだ。


「――うわぁアアアアアッ!?」


 唯一の乗客である《宝石蒐集家トイコレクター》が悲鳴を上げる。

 大観覧車は海面へと叩きつけられ、水没した。

 ガラスが粉砕され、ゴンドラ内に流れ込んでくる海水。

 瞬く間に《宝石蒐集家トイコレクター》は海水に呑み込まれた。


 ――死ぬ。

 ――死ぬ。殺されてしまう。


 かつてないほどの恐怖と脅威を《宝石蒐集家トイコレクター》は感じた。


(嫌だ!? 嫌だ!? 死にたくない!)


 どんどん水没するゴンドラの中で、虚空の門を開く。

 宝石箱。以前サイトで購入した道具。引導師から奪った霊具。

 とにかく武器になりそうなモノを手当たり次第取り出すが、それらは使う前に海流に呑まれて、ゴンドラの外へと消えていった。

 そもそもこの程度の道具で、あんな怪物とは戦えない。


(―――嫌だ!)


 ここまで生き足掻いたというのに。


(死ぬのは怖い……。死にたくない!)


 根源たる意志に縋りついた。

 そして、

 バキバキバキバキバキ――ッ!

宝石蒐集家トイコレクター》の全身を、宝石が覆い尽くしていった。


(もっと強い力を。もっと強い姿を――)


 生き足掻く者は、自分だけの世界を広げ、おの象徴シンボルを解放した。


 ズザアアアアアアアアアアアアアアアアアア――……。

 海面が大きく膨れ上がり、巨大な何か・・が現れる。

 海水が流れ落ち、その姿が明らかになった。


 それは、巨大な騎士だった。

 全高は、三十メートルほどか。

 全身が七色に輝く宝石で造られた大騎士だった。

 肘から先が突撃槍ランスになった右腕に、楯が一体化した巨大な左腕。背中には二本の水晶柱。兜の額には一本角を持ち、下半身は甲冑を纏う馬のような形状だった。


 名前はまだない。

 追い詰められて、初めて発現した力の化身。

 ――名付きネームド我霊エゴス・《宝石蒐集家トイコレクター》の象徴化身シンボリック・ビーストである。

 さらに《宝石蒐集家トイコレクター》は、隷者ルビィに預けている魂力ストックも回収する。

 出し惜しみが出来るような相手ではないからだ。

 ルビィ自身の魂力も含めて、2700近い魂力が宝石騎士に注がれる。

 宝石騎士の全身が、眩く輝いた。

 そして、

 ズズズズズ……。

 海面を突撃槍ランスで裂いて、宝石騎士は穂先を巨獣に向けた。


『……ここまで生きてきた』


 宝石騎士は言う。


『オイラの生は終わらない。殺されてたまるか』


『……チガウナ』


 対する灼岩の巨獣も、初めて言葉を発した。

 その威容に相応しい恐ろしい声だ。


『オマエハ、サイショカラ、イキテイナイ。タダノ、モウシュウダ』


 ゆっくりと長く太い巨刃の尾で海面を薙いで、さらに告げる。


『モハヤ、ガイアク二、スギン』


 ――ズズゥン……。

 灼岩の巨獣は、一歩踏み出した。

 宝石騎士が、楯と突撃槍で身構える。

 海上にて対峙する巨獣と大騎士。

 そうして――。


『ナモシラヌ、トラワレタ、タマシイヨ』


 灼岩の巨獣は、宣告する。


『コヨイ、オマエニ、インドウヲ、クレテヤル』

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