第201話 王の審判⑧

 その存在には、誰もが驚愕していた。

 総毛立てて、ドーンワールド内にいる我霊エゴスたちが一斉に顔を上げる。

 淀んだ瞳に映るのは、海原を縦断する巨躯だ。


 赫光を纏う圧倒的なまでの暴威の化身。

 まさしく、災厄の王である。

 我霊たちは、恐怖の悲鳴を上げた。

 そして蜘蛛の子を散らすかのように、我霊エゴスたちは走り出した。

 海に飛び込んで人工島から脱出する者、少しでも遠くへと駆け出す者と様々だ。

 ひたすら闇雲に、脱兎のごとく敗走する。


「――ぎゃァん!?」


 獲物を前にした我霊エゴスさえも、悲鳴を上げて逃走を優先させた。

 訳も分からないまま、化け物に襲撃され、まさに今、死の目前であった一般人の男女は遥か遠方を見上げた。

 二人は、呆然と、海を闊歩する灼岩の巨獣を見やる。


「……神さま?」


 傷ついた肩を押さえて、女性が呟いた――。




「………え?」


 違うエリア。愕然としていたのはエルナも同様だった。

 真刃たちと要救助者を探してエリア内を進んでいたところに、突如、あれ・・が現れたのだ。動揺しないはずがない。

 ――まさか、あれ・・我霊エゴスなのか?

 あまりの巨大さに眩暈を覚えつつも、最大の警戒をする。

 が、同行する燦の方は呑気だった。


「あっ! おじさんだ!」


 巨獣に向かって、大きく手を振っている。


「おじさぁん! ここだよォ!」


 そんなことまで言い出した。

 エルナは一瞬キョトンとしていたが、すぐに燦の言葉の意味を理解した。


「えええッ!? ちょっと待って!?」


 燦の両肩を掴む。


「あれが真刃さんってこと!? あれって従霊なの!?」


「うん。そうだよ」


 燦は、当然のように頷いた。

 それから、少し悪戯っぽく微笑んで。


「へえ~。エルナってば知らなかったんだ」


 壱妃なのに。

 そう続けたところで、燦は頬を左右に引っ張られた。


「調子に乗るな。真刃さんは結構秘密主義なのよ」


 言って、今度は頬を押し潰す。

 燦は「うむゥ」と唸った。


「とにかく、あれは真刃さんなのね?」


 少し手を緩めて尋ねるエルナに、燦は「うん」と頷いた。


「従霊の集合体なんだって。おじさんの切り札だって金羊が言ってた」


「……そう」


 そう言えば、以前、刀歌が言葉を濁していたことがあった。

 確かにあの規模サイズの従霊では、説明するのに困惑するのも無理はない。


(いずれにせよ、あれが出て来たということは……)


 エルナは、巨獣の進む先に目をやった。

 エルナたちがいる太陽の国サンシャインではない。目的地は夜の国ミッドナイトだ。


(そこに今回の敵がいるのね)


 ここからでは支援も間に合わない。


(私には何もできない。気をつけて。真刃さん)


 紫色の瞳を細める。


「ひゃめろ! ヒェルナ! あたしのひょっぺであひょぶな!」


 燦がエルナの腕を掴もうとする。

 餅のように柔らかい燦の頬を弄りながら、愛する人の身を案じるエルナだった。




 一方、その頃。

 遊具が動き続ける夜の国ミッドナイトの一角にて。

 かなた、月子、刀真の三人は足を止めていた。


「か、か、か……」


 刀真が瞳を輝かせた。


「怪獣だあッ! 怪獣が出て来たあッ!」


 少年らしい興奮を見せている。

 このエリアに徐々に近づいてくる巨獣に見入っている。

 その傍らで、月子も表情を明るくさせていた。


「おじさま!」


 胸元に片手を当て、ホッとした顔を見せる。


「良かった。無事だったんだ」


 その呟きに、驚きの表情を見せたのはかなただった。


(……え?)


 月子に目をやってから、海を渡る巨獣に視線を向ける。


「月子さん? あれは真刃さまなのですか?」


「あ、はい」


 月子が頷く。


「おじさまの従霊です。全従霊を集合させた姿というお話でした」


「……集合、体……」


 呆然と反芻する。

 そして改めて、巨獣の姿を見つめた。

 かなたの驚きは、エルナとはまた違っていた。

 彼女には、あの姿に見覚えがあったのだ。


(……骸鬼王の館……)


 自分が、あの人の妃となったあの館。

 そこで見た夢の中に、あの巨獣は出て来た。

 その時の巨獣はさらに倍以上は巨大だったが、姿自体は完全に一致する。


(けど、あれは骸鬼王の眷属が見せた記憶のはず。百年以上も前の……)


 それが、何故――。

 表情には出さず、かなたは困惑した。

 すると、


『……お嬢』


 不意に、首のチョーカーが小さな声で語りかけてきた。

 かなたにしか届かないほどの小さな声。赤蛇の声だ。


「……赤蛇」


『混乱しているか?』


 そう尋ねてくる専属従霊に、かなたは頷く。


「あれは何なの? どういうことなの?」


 赤蛇が小さな声だったので、かなたも小声で尋ねる。


「私はあれを知っている。けど、それは――」


『お嬢』かなたの声を赤蛇が遮った。


『まず前提から話すぞ。オレはお嬢を誰よりも推している』


 赤蛇は言う。


『お嬢の性格からして壱妃の座は銀髪嬢ちゃんに譲るかも知んねえ。だが、それでもご主人に一番愛されて欲しいのはお嬢なんだ。それこそご主人が今も大切に想う二人――まあ、あえてっちゃんも入れたら三人か。あの三人よりもだ』


「…………」


 かなたは無言だ。


『そんで本題だ。今、オレがお嬢に伝えられる情報は一つだけだ。ご主人のあの姿が、どう呼ばれているかだけだ』


「……なんて呼ばれているの?」


 瞳を輝かせる刀真と、巨獣を見つめる月子に会話を気付かれていないか一瞥しつつ、かなたはそう尋ねた。


『昔の二つ名には一つルールがあってな』


 と、前置きしてから、赤蛇は語る。


『流行ったのは百年ほど前のことだ。千年我霊エゴス=ミレニアどもへの対抗と討伐の宿願を込めて、老害ジジイがあの二つ名を名付けたのが切っ掛けだった。完全な怪物である奴らに対し、半分は「人」であるという意味で、二つ名の間に「ノ」を入れたんだ』


 一拍おいて、


『豆知識程度で憶えとくといいぜ。古い時代から存在する「ノ」の入った二つ名を持つ奴は、怪物のような力を持っているが、半分は人なんだってな』


「……半分は、人……」


 かなたは、巨獣を凝視した。


『知っておきな。弐妃・杜ノ宮かなた』


 赤蛇は告げる。


『あれの名は《千怪万妖センカイバンヨウ骸鬼ガイキノ王》。ご主人の象徴シンボルたる獣の名だ』


「…………」


 その名を聞いても、かなたはもう動揺しない。

 ただ、静かに。

 かなたは、愛する人の姿を見つめていた。

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