第290話 朝を迎えて④

 そうして一分後。

 真刃は一人、ワークチェアに腰を掛けたままだった。


「……それで」


 ややあって口を開く。


「どうして黙っているのだ? 何か用があるのではないのか?」


 そう尋ねる。

 訪問者はここに来るには珍しい人物だった。

 白銀の乱れザンバラ髪と、琥珀色の瞳。

 雪のごとき白さが際立つ抜群の肢体の上には、白装束を着崩れさせて羽織っている。

 そしてやや眠たそうな眼差しは、真っ直ぐ真刃を見据えていた。


 ――陸妃・天堂院六炉むろである。

 改めて記述するが、この時間帯に彼女が執務室に訪れるのは非常に珍しい。

 ましてや普段の衣服ではなく寝間着しろしょうぞく姿でだ。

 陸妃の空気を察した猿忌を始めとした従霊たちは席を外している。


「何かあったのか?」


 真刃が再びそう問う。と、


「……ごめんなさい」


 おもむろに、六炉は頭を垂れた。

 真刃は「……六炉?」と彼女の名を呼んで眉をひそめた。


「何を謝る?」


「……真刃のこと」


 六炉は視線を落として語る。


「昔のこと。勝手にエルナたちに話した」


「……ああ。そのことか」


 真刃は、指先を組んで苦笑を零した。


「気にすることはない。オレ自身もこの機に話すつもりだったしな」


 六炉がエルナたちに真刃の過去を伝えたのは二日前の夜のことだ。

 しかし、その後、月子と燦の《魂結びの儀》などもあって、六炉は真刃に謝罪するタイミングを完全に逃していた。だが、このままではいけないと思っていた。

 だからこそ、朝が弱いのも頑張り、着替える間も惜しんで執務室に来たのである。


「お前はやはり生真面目だな」


 真刃は微笑むと、六炉を手招きする。

 彼女は、トコトコと真刃の傍に近寄った。

 真刃は椅子から立ち上がり、


「しかし、服を着替えるぐらいの間はあったのではないか?」


 そう言って、普段以上に跳びはねている六炉の髪を手櫛で梳かしていく。


「……ん。それだと間に合わない気がした」


 六炉はそう答えてから、


「真刃は生真面目な人が好き?」


 と、尋ねる。真刃は「ふむ」と呟き、


「そうだな。嫌いではないか」


「だから桜華さんにも気をかけるの?」


「…………」


 真刃は髪を梳く手を止めて沈黙した。

 一方、六炉は嘆息する。


「彼女と真刃の間に事情があるのは分かる。けど……」


 一拍おいて、


「今のあの人はもの凄く拗らせている。もう色々と」


 真刃を見つめて、はっきりと六炉は言う。


「特に勝手に『久遠』を名乗るのはイタい。ムロなら恥ずかしさで死ねる」


「…………」


 真刃は思わず沈黙する。

 まさか、おっとりした性格の六炉にまで言われるとは思わなかった。

 あの旧友は、どうやら相当なことをしているようだ。


「……それに関しては一応だがオレも認めたことだ」


 とりあええず、綾香にもしたフォローをする。


「……そうなの?」


 すると、六炉がムっとした顔をした。


「ムロもまだ『久遠』の名前は貰ってないのに」


「……お前の場合は総隊長殿に会ってからだろう」


 言って、六炉の柔らかな頬に片手を添える。


「仮にもお前の父だ。挨拶するのは当然の筋だしな」


「それは絶対に面倒なことになると思う。ん……」


 と、少しくすぐったがりながら六炉は言う。


「けど、真刃がそうすべきだと思うならムロは従う。今はその前に」


 六炉は再び真刃を見つめた。


「問題は桜華さん。どうするの?」


「…………」


 即答ができず真刃は沈黙する。が、


「……そうだな」


 ややあって小さく嘆息する。


「御影……いや、桜華に関してはオレがどうにかしよう」


 今はそうとしか言えない。

 いかなる対応になるのかも分からない。

 すべては、もう一度、桜華と会ってからだった。


「そう」


 六炉は深くは問わない。


「真刃がそう言うのなら任せる。けど、桜華さんの対応には幾つか要望がある」


「……何だ?」


 彼女の頬から手を離して真刃がそう問うと、六炉は「ん」と顔を上げた。


「まずはかなたに怪我をさせたこと。それに関しては桜華さんをちゃんと怒って」


「ああ」真刃は頷く。


「それは六炉の意見が正しい。あやつは稽古事に厳しすぎる」


 いかに稽古事。そして相手がかつての戦友であったとしても、可愛いかなたに怪我をさせたことばかりは、文句の一つでも言ってやるつもりだった。


「ん」六炉も首肯した。


「それから改めて言っておく」


 彼女は、真剣な眼差しで真刃を見据えた。


「ムロは桜華さんのことはテテ上さまから聞いたこと以上のことは知らない。けど、たぶん桜華さんは百年以上もずっと想いが彷徨い続けていたんだと思う」


 そこで微かに琥珀色の眼差しを細める。


「そんな桜華さんを真刃が見捨てられるはずがない。だから、困難はあったとしても桜華さんはきっと漆妃になると思ってる。これはエルナたちも予感している」


 流石に刀歌は複雑な顔をしてたけど。

 と、続ける。


「…………」


 真刃は何も答えない。

 真刃にとって『御影刀一郎』は同僚であり、戦友だった。

 そこにある想いは、愛ではなく友情である。

 そんな御影と結ばれるなど、かつての頃なら一笑に付したことだろう。

 だが、彼女・・がずっと隠していた秘密を知って。

 何より、再会した『桜華』の想いさけびを聞いた今となっては――……。


「……真刃」


 六炉は言葉を続ける。


「漆妃になったら、桜華さんは当然ムロや芽衣と同じ大人組になる。だから、芽衣とも相談して決めたの。桜華さんだけど……」


 一拍おいて、彼女は言う。


「これがもう一つの要望。彼女の初エッチの時はムロたちの時よりもずっと激しめにして。気遣いとかなしで。それが色々と拗らせて迷惑をかけてくれた彼女への罰」


「………は?」


 これには真刃も目を丸くした。


「芽衣と罰について考えた。真刃は優しいから、かなたのことがあってもきっと桜華さんを本気で怒れない。だから、愛されすぎる・・・・・・ことで罰にしようって話になった」


 たゆんっと大きな胸を張って、六炉はそんなことを告げる。


「……お前……いや、お前たちは」


 真刃は、思わず額に手を置いて溜息をついた。


「まったく……何が罰だ。その台詞はオレの方がいささか以上に傷つくぞ」


 小さな声でそう呻くが、そこでふと思いついた。

 そして数瞬だけあごに手をやって。


「ふむ、そうだったな……」


 意趣返しも兼ねて、少しばかり意地悪く笑った。


「かくいうお前も元々は謝罪のためにここに来たのだったな。ならば、お前自身もその罰を受けに来たのか?」


「え?」


 六炉はキョトンと目を瞬かせた。


「さて。六炉よ」


 真刃はそんな彼女の腰を抱き寄せて逃がさないようにする。

 それから、六炉の前髪をかき上げて、お互いの視線を合わせた。


「え? え?」


 想定外の事態に、六炉は激しく動揺し始める。

 対する真刃は我ながら少し意地が悪いかと思いながらも、


「どうなのだ? オレの愛しい六炉よ」


 そう尋ねた。

 六炉は、ビクッと細い肩を震わせた。

 頬も耳も、着崩れた白装束から見える肌もどんどん赤くなっていく。

 体温の上昇も発火せんばかりだ。


 そうして、


「し、真刃のいじわる……」


 そう呟くと、赤い顔のまま視線を泳がせて、


「ば、罰だって言うのならムロも受ける。けど、いつもより激しいのはまだ少し怖い……。その、だけど、真刃が望むのなら――」


 と、しどろもどろに答えようとした時だった。


「ああ―っ!」


 不意に声が響いた。

 二人して視線を向けると、ドアを開けたところに少女がいた。

 遅れて現れた燦である。


「何してるのよ! ムロ!」


 そう叫んで二人に駆け寄る。


「今日はまだあたしの寵愛権の日なんだから!」


「……いや、寵愛権の日とはなんだ?」


 初めて聞く名称に真刃は眉根を寄せた。

 しかし、燦は聞いていないようだ。

 それは真刃の腕の中にいる六炉も同様のようだ。

 少しだけホッとした表情を見せつつ、


「むむ。ムロはこれから罰を受けるところ」


「何が罰なの! ご褒美じゃない!」


「けっこう覚悟がいるの。燦にはまだ分からないこと」


 と、そんなやり取りをしている。

 そして燦は、真刃に抱き着く六炉を必死に引き剥がそうとする。


「おじさんから離れろォ!」


「……むむむ」


 真刃はすでに六炉を離しているのだが、意外と力が拮抗している。

 どうやら燦は真刃から魂力を借りて筋力を上げているようだ。


(初めて使うのがこれなのか……)


 流石に真刃も呆れてしまう。

 ともあれ、東の大家の二つ。天堂院家と火緋神家。

 その直系の姫君たちが暴れている。

 とても簡単に収まる気配はなさそうだ。


(……やれやれだな)


 真刃は深々と嘆息した。

 やはり自分には女難の相がある。

 そう感じずにはいられない真刃であった。


 ただ、真刃はまだ知らない。

 仮に女難があるとしたら、これからがまさに本番であるということを――。







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長期休暇スペシャル、お付き合いありがとうございました!

次回から毎週、水曜と土曜に更新する予定です!

引き続き、本作をよろしくお願いいたします!


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