第301話 ジョーカーは気まぐれに②

 ――へっくし!

 その時、彼はくしゃみをした。

 一度身震いしてから、鼻を擦る。


「……誰か俺の噂でもしてんのか?」


 それとも慣れない場所で眠ったせいで体調でも崩したか。

 そんな人間のような考え方に、


「はは。俺らが体調崩すなんてあり得ねえか」


 彼は自嘲じみた笑みを見せた。

 彼――金髪碧眼の青年は今、全裸のまま大きな和室にいた。

 客間として扱われるような、そこそこ広い和室である。

 そこには布団だけが一枚敷かれていた。

 彼はその上で胡坐をかいている。

 そして――。


「………………」


 隣には一人の少女がうつ伏せになって倒れていた。

 昨夜の少女である。

 彼女もまた全裸だった。

 下着や紺色の胴着はそこらに捨て置かれている。

 ただ、少女の瞳は開いているのに、ピクリとも動かない。

 口元は半開き、だらしなく唾液で濡らしている。


「お~い」


 青年は、少女の背中に手を置いて揺らした。


「もう朝……つうか、だいぶ遅いか。おい、起きろよ」


 そう告げるが、少女に反応はない。

 青年は片眉を上げて、彼女の腕を取って正面から抱きかかえてみた。

 しかし、少女は「う、あ……?」と声を零すだけだった。

 眼差しが完全に虚ろになっていた。


「ありゃあ、ちょいとやりすぎちまったか。壊れちまってるな」


 かの瑠璃城学園の才媛。

 しかも名家の娘で、サムライのように勇ましい娘。

 そんな情報を掴んで期待したのだが、随分と脆かった。


「しまったな。儀式も試さないで、いつもの調子でやっちまったよ……」


 彼女を抱いたまま唸る青年。

 彼女を目当てにこの屋敷を襲撃した昨夜。

 流石は名門。なかなかの激戦だったと言える。正直なところ、彼もワクワクした。

 だが、彼の持つストックは膨大だった。倒しても次から次へと現れる敵に対して徐々に劣勢となり、当主が討たれた後は、まるで転げ落ちるかのように勝敗が決してしまった。


 やや拍子抜けの結末だったが、お目当ては無事GETできた。

 その時の彼女は放心状態だった。一族の全滅。さらには彼女の恋人か隷者だったのか、最後まで彼女を守ろうとした男を目の前で殺したことが相当に効いたようだ。

 彼女を肩に担ぎ上げて惨状と化した屋敷の中を歩く。


 絶望は新鮮な方がいい。この場で早速、彼女を頂くことにした。

 最初に濃厚なキスをしてやった。

 無論ただのキスではない。放心していた娘にも効果は絶大だ。そのおかげで少しは正気にも戻ったようでそこそこ激しい抵抗を見せてくれた時はかなり興奮した。


 だが、情事を始めてからはがっかりだった。

 十分もしない内に嬌声を上げ始めて、挙句、自分から足を絡めて「何でもするから殺さないでェ」と懇願された時には一気に萎えてしまった。


 まあ、萎えたのは気分だけで、むしろ激しくしてやったが。


「……武芸しか知らないって感じのサムライっ娘は大好物なんだけどなあ」


 腕を組んで「う~ん……」と唸る。

 多少の個人差はあるが、名付き我霊ネームド・エゴスの体液は麻薬にも等しい。

 それを加減もなく一晩中注ぎ続けられては、人間など正気を保てるはずもない。

 そのことは経験上でもよく知っているが、だとしても最近の娘は簡単に堕ちすぎる。

 もう少し頑張って『くっころ』をしてもらいたかったものだ。

 いずれにせよ、今回は外れだったということだろう。


「まあ、名門だけあってそこそこ強かったのは事実だしな」


 青年は少女のうなじに手を添えた。

 そして、

 ――ゴキンッ!

 怪物の膂力で、少女の首をへし折った。

 彼女は後ろに倒れ込む。

 次いで青年は立ち上がると、昨夜脱ぎ捨てた衣服を身に纏い始める。

 その間、少女の遺体は近くの胴着と一緒に、影の中へと沈み込んでいった。


「あ~あ。俺もルビィちゃんの元ご主人さまみてえに生きたままストックできるような力がありゃあ便利なんだけどなあ……」


 そんなことを呟きながら、最後にズボンを履く。

 そうして彼は部屋を出た。

 広い庭園が見える渡り廊下。

 そこには無数の遺体があった。

 少女の一族。昨夜、彼が皆殺しにした者たちだ。


 青年は鼻歌混じりに廊下を進む。

 すると、見える範囲から次々と遺体たちが影の中へと沈んでいった。

 ややあって、彼は玄関に辿り着いた。

 靴を履き、外へと出た。

 やはり日はかなり高かった。

 そんな空を見上げつつ、


「あ~あ……」


 ポケットに片手を入れて、青年はボリボリと頭を掻く。

 そして、


「俺の運命の番い魔バディちゃんはどこにいんのかなあ」


 そう呟いて、誰も居なくなった屋敷から青年は立ち去るのだった。



       ◆



 同時刻。

 フォスター邸のリビングにて。


「しかし、一気に大所帯になったな」


 ソファーに腰を降ろした刀歌が、そう呟いた。

 妃としてのお披露目も無事済み、彼女は学校の制服に着替えていた。

 この時間、普段は学校なので何となく制服を選んだのである。

 同じくソファーに座るエルナとかなたも同様だった。

 先程、強欲都市グリードからやってきた《久遠天原クオンヘイム》の引導師ボーダーたちは、副隊長である獅童と武宮を除いて、芽衣と六炉が案内している。

 彼らはこの下の階で生活する予定だ。芽衣たちの顔見知り――というより、一応芽衣の直属の部下になるらしい――なので、彼女たちが案内しているのである。


 一方、燦と月子は双子の姉妹を案内していた。

 あの双子は親衛隊員ではあるが、真刃が面倒を頼まれているらしく、そのため、山岡同様にこの階に同居することになっていて同世代の燦たちが案内している訳だ。

 話によると、あの双子は、元々は市井の出らしいので、彼女たちの対応については真刃も色々と考えているようだ。


 ちなみに、真刃自身は執務室にまだいた。

 山岡と瑞希も交えて、獅童と武宮に詳しく状況を説明している最中だった。

 従って、壱妃、弐妃、参妃が手隙になってしまったのである。

 まあ、古参の妃である三人で話をしたかったこともあるが。


「ちょっと心配してたけど、意外と女の人は一人だけだったわね」


 と、エルナが話を切り出した。

久遠天原クオンヘイム》の引導師ボーダーたちはほとんどが男性だった。

 一人だけ女性がいたのだが、彼女は獅童の側近で筆頭隷者らしい。


「まあ、あの双子を入れると三人だがな」


 刀歌は両腕を上に伸ばして、ふふんっと笑う。


「とは言え、あの双子はまだまだ子供だな。カウントする必要もないだろう」


 豊かな胸をゆさりとアピールしながら、刀歌は満足げな顔を見せた。


「……一応は燦さんの事例もあるのですが……」


 一方、かなたは少しだけ危惧して言う。

 ここで燦と同い年の月子が事例から除外されているのはご愛敬か。


「確かに今はカウントする必要もないでしょう。懸念すべきは真刃さまがつい過保護になりすぎることですが、そこは私たちも気を付ければよいことです。従って」


 かなたが、一旦そこで言葉を置く。

 続きはエルナが語った。


「目下、新たな妃問題は桜華さんだけってことね」


「………う」


 これには刀歌が言葉を詰まらせた。

 ――久遠桜華。

 刀歌の剣の師であり、曾祖父の姉に当たる女性だ。

 完全に刀歌の身内である。


「あれから全然連絡ないけど、桜華さんが漆妃になる可能性は極めて高いわ」


 壱妃は言う。


「そこはもう確定に近いと思う。というより、彼女の百年の想いを考えるとむしろ結ばれて欲しいとまで思ってるわ。嫉妬とかは別にして」


 そこで少し嘆息しつつ、


「ともあれ、彼女が漆妃になると、またパワーバランスが大きく変動するのよ。どう考えても六炉さんと桜華さんの二強時代が来るわ」


「……むむむ」


 刀歌は呻いた。

 一方、かなたは無言だ。

 どうやら自分同様にエルナも妃同士の力量差に危惧を覚えていたようだ。

 そして、それは恐らく刀歌も同様だ。


「……確かに、あの二人は強い」


 刀歌が言う。


「特に桜華師は私の師でもあるしな」


 その台詞に、エルナは眉をひそめた。


「……そうよね。けど、改めて考えてみると師弟揃って妃になるんだ……」


 そう呟いて刀歌を見やる。


「刀歌って実はかなり複雑な気持ちなんでしょう? だって真刃さん、間違いなく桜華さんの面影を刀歌に見ていたもの」


「――うぐッ!」


 実は力量差以上に気にしていたことを指摘されて刀歌が呻く。


「性格も口調もスタイルだって似た感じだし、彼女の見た目なんてもう完全に刀歌のお姉さんだもんね。その上、桜華さんが妃になると自分自身でも比較しちゃうから、内心で刀歌、けっこう危機感を抱いてない?」


「……いわゆる上位互換の存在ですか」


 かなたがはっきりと言った。


「――な、なにを言うか!」


 刀歌は自分の胸を、ぽよんと叩いて言う。


「桜華師は今でも尊敬しているけど、私は下位互換じゃないからな! そもそもだっ!」


 徐々に瞳をグルグルと回しながら言葉を続ける。


「スタイルだって胸のサイズは同じぐらいでも、私の方がけっこう背が高いんだ! これぐらいの背の方がバランスもいいんだぞ! きっと主君も私の方がぎゅうっとしやすいって思ってくれるはずだ! うん、そうっ!」


 立ち上がって腕を振り、刀歌は叫ぶ!


「私は全然劣ってなんかないぞ! いずれ桜華師よりも剣の腕も上げるし! むしろ私の方こそが桜華師の上位互換だなっ!」


 テンパったとはいえ、そこまで言い放つ刀歌にエルナもかなたも目を瞬かせた。

 と、その時だった。

 ――ピコン。

 と、刀歌のスマホが鳴ったのだ。


「………ん?」


 その音で少し冷静になったのか、刀歌は自分のスマホを確認した。

 メールが一通入っていた。

 その送信者と内容は――。


「………は?」


 刀歌は一気に青ざめた。


「え? ええッ!? なんでッ!?」


 そう叫び、思わずスマホを落としかけてしまう。

 分かりやすいほどの動揺ぶりだった。

 そんな参妃に、エルナとかなたは眉根を寄せて小首を傾げた。


「……刀歌さん?」


「どうかしたの? 刀歌?」


 それぞれが尋ねると、


「……え、えっとな……」


 青ざめた顔のまま、刀歌は自分のスマホを二人にも見せた。

 それを見て、エルナたちも大きく目を見開いた。

 それは、まさに話題の人物からのメールだったのだ。


「……えっと」「これは……」


「……うん」


 刀歌は恐る恐る頷く。

 そうして、改めてそのメールに目を通して、


「まさか今の聞こえたの? なんか私、桜華師に呼び出しをくらったみたいだ……」


 そんなことを告げた。










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