第三章 乙女たちは動き出す

第256話 乙女たちは動き出す①

 カタカタカタカタ……。

 暗い室内にて、キーボード音が響く。

 一度も途切れることもなく一心不乱にその音だけが鳴っていた。


 カタカタカタカタカタカタ……。

 それはさらに十数分ほど続いた。

 すると、


「入るわよ」


 不意に声を掛けられる。ここは廃ビルだ。拠点とする際に最低限の機能だけは復帰させているが、ドアの建付けは悪く最初から開いてた。


「……ボロいわね」


 そのドアを強引に閉じて彼女は部屋に入った。

 年の頃は十代後半ほどか。まだ少女の面影がある長い髪の東洋系の女性である。

 長い黒髪を左右でシュシュで結いでいる。スレンダーな体形で下はジーンズ。上にはタンクトップと、短い丈の黒いジャケットを羽織った女性だ。

 首元には自分の尾に喰らい付く蛇の入れ墨が刻まれていた。

 彼女は未だカチカチと鳴る方へと目をやった。


 部屋の片隅にポツンとある机。

 その机の上に置かれたノートPCの前に一人の男がいた。

 上半身に蛇の入れ墨を入れた半裸の男。再会した時は黒に戻りかかっていた髪もくすんだ金へと染め直し、顔の至るところにピアスを着けた青年だ。

 脱獄したビアンである。


ビアン」彼女は近づき、ビアンの座る机に片手を置いた。


「何してんの?」


「おう。来たか。蘭花ランファ


 視線はモニターに固定したままビアンが応じる。

 モニターには数字の羅列が並んでいた。


「なに。お仕事って奴さ」


 言って、ポンとキーボードを打つ。

 すると、モニターが切り替わった。

 どこかの監視カメラの映像だろうか。制服を着た子供の姿が映し出された。


「これ、何よ?」蘭花ランファと呼ばれた彼女が眉をひそめた。


「どっかの学校の映像なの?」


「ああ」


 マウスを動かしつつ、ビアンは頷く。


「瑠璃城学園とかいう引導師ボーダーの学校だ。そんで俺の目的は……」


 視線とマウスを忙しく動かす。

 そして、


「……ビンゴだ」


 ビアンが蛇のように双眸を細めた。


「無事に進学できたみてえだな。月子ちゃんよ」


 映像には下校する月子の映像が映し出されていた。

 その隣には、本命の火緋神燦ターゲットの姿もあったので確認の手間が省けた。


「ふ~ん。綺麗な子ね」


 蘭花ランファがモニターを覗き込んできた。


「あんたの趣味からしてお目当てはこっちの金髪の子? 拉致るの? 背は少し低いけど、見たところ、十五か、十六ぐらい?」


「いや。こいつも拉致るつもりだが本命は隣のガキの方だ。こいつをワンがご所望なんだよ。それと金髪のガキは十二だぜ」


「……は?」蘭花ランファが目を丸くした。


「え? 十二? マジ? このルックスで?」


「おう。俺の食指が動いても不思議じゃあねえだろ?」


 言って、ビアンは机に置いていた煙草の箱を取って一本火を点けた。

 口に加えて肺一杯に煙を吸い、ふうっと一気に吐き出した。

 紫煙が天井付近へと漂っていく。


ワンから聞いてると思うが、俺はこいつのせいで地獄を見た」


 煙草を再び咥えてそう呟く。


「クソガキが……」


 まさに蛇のような双眸でモニターの少女を睨み据える。


「報いは必ず受けさせてやるぜ」


 そう吐き捨てて、煙草を灰皿に擦りつけた。


「……災難ね」


 一方、蘭花ランファは少しだけ憐憫の眼差しを見せていた。


「この子も私みたいにされるんだ」


「けけ。お前とは違うさ」


「何が違うの……ん」


 何かを言おうとした蘭花ランファは、立ち上がったビアンに唇を塞がれた。

 十数秒ほどキスを交わす。

 ややあって口を離すと、親指で彼女の唇をなぞった。


「全然違うさ」


 そして蘭花ランファを抱き上げて、そのまま近くのソファーへと向かった。

 蘭花ランファはされるがままだ。ソファーにドスンと腰を降ろす。次いで蘭花ランファを自分の膝の上に座らせて背後から抱いた。


「おらよ。ご褒美だ。これが欲しくて来たんだろ?」


 そう告げて、ビアンは虚空から飴玉のような包み紙を取り出した。それを片手で解く。中身はやはり飴玉だった。淡い桜色の飴玉だ。

 蘭花ランファが大きく目を見開いて「うあ」と声を零した。

 ビアンは意地悪く笑うとそれを口に含み、背後から強引に彼女の唇を奪った。

 舌を何度も絡めて、飴玉を彼女の咥内に移す。

 それから、再び彼女の唇を堪能してからゆっくりと離した。

 蘭花ランファは、トロンとした眼差しでビアンを見つめている。

 早速効果が出ているようだ。


「……いきなりはやめてって言ったじゃない」


 視線を逸らしながらそう告げるが、部屋に入った時の気の強さは鳴りを潜めていた。

 そんな彼女に、


「けけ。お前はマジでいい子だな。蘭花ランファ


 ビアンはニタリと笑う。


「こないだまではお前も《ピンイン》なんか率いてイキがってたが、俺の熱心な教育もあって今となっちゃあこんなにも素直だ。お前は俺のお気に入りさ。だからいつも優しくしてやってんだろ? だが月子は違う」


 視線が定まらない蘭花ランファのジャケットを脱がしながら言う。


「あのメスガキは俺のそんな優しさを踏みにじりやがったんだ。調子に乗りやがって。もう優しくなんぞあり得ねえよ。いたぶって、いたぶって、いたぶり尽くしてやんぜ」


 ビアンの憎悪の籠った呟きに、蘭花ランファは何も答えない。

 薬物でどんどん過敏化されていく感覚に声も出せずにいた。


「だがよ」


 ビアンは、そんな調教済みの彼女の衣服を剥いでいく。

 上半身はすでに裸だ。彼女を反転させて今度は正面に座らせる。


「あのメスガキにはとんでもねえ化け物が護衛についてんだよ」


「ばけ、もの……?」


 熱い吐息を零しつつ蘭花ランファは反芻する。ビアンは「……ああ」と答えた。


「とても人間とは思えねえ怪物だった。ありゃあきっとワンでも勝てねえ……」


 出来ることなら二度と遭いたくない。

 それどころか、近づきたくもない怪物だった。

 だがしかし。


「……あの野郎はエボンを殺した」


 暗い表情でビアンは呟く。


「何かと口うるせえ野郎だったよ。だが、あいつは俺の数少ねえ朋友ダチだったんだ」


「……復讐するの?」


 ビアンの殺意に当てられてか、少しだけ正気を取り戻す蘭花ランファ

 ビアンは「そうだ」と答えた。


「いずれにせよ月子を手に入れんのにあの化け物は邪魔だからな。だが、俺じゃあ全く勝ち目はねえ。だったら化け物には化け物だ。蘭花ランファ


 ビアンは彼女のうなじに手をやって視線を合わさせた。


「あの女は今どうしてる?」


「昼から、いないわ」


 蘭花ランファは心あらずの状態だったが答えた。


「知り合いに……会いに行くって、護衛も拒んで、出かけたわ」


「……そうか」


 この国はあの女の故郷だと聞く。

 知り合いがいてもおかしくはないだろう。

 現在、ビアンが所属する《黒牙ヘイヤア》はほぼすべてのメンバーがこの国に来ていた。

 傘下にある下部組織ピンインも含めれば、総勢三百名を超える大一団である。

 目的はとある人物の殺害のためだ。

 エボンを失った影響なのか、かつての覇気を取り戻したワンによって統率されている。

 この廃ビルはその拠点だった。


 だが、拠点こそ同じくにしているが、あの女は単独で動くことが多かった。

 目的は同じらしい――と言うより、あの女の目的をワンが叶えようとしている――が、協力も部下として利用する気もないようだ。


 ビアンワンに『好きにさせていいのかよ?』と尋ねたら、


『協力するのも独自に動くのもOK。これはあの人と俺の賭けなのサ』


 そんなふうに嘯いてワンは肩を竦めていた。

 どうやらあの女と何かしらの約束を交わしたらしい。

 しかし、これはチャンスだった。

 あの女にこちらを利用する気がなくとも、ビアンには利用する理由が大いにあった。

 そのために、自分の隷者ドナーである蘭花ランファをあの女の世話役に推したのである。

 元名家の直系である蘭花ランファはそれなりの実力を持つ引導師ボーダーであり、護衛としても役に立つ。何よりあの女と同世代の女なので世話役として申し分はない。

 ワンにも異論はなく、あの女も興味がないのか拒否をしなかった。


 そうして蘭花ランファビアン諜報員スパイとしてあの女の懐に潜り込んだのである。


「あの女の行動はこれからも逐一俺に連絡しろ。いいな」


「わ、分かった……」


 本来は勝気な性格の蘭花ランファが弱々しく頷いた。

 ビアンは下卑た笑みを浮かべると、彼女の背中を右手でゆっくりとなぞった。


「~~~~っっ!?」


 蘭花ランファは声も出せず大きく仰け反った。


「おっと」


 ビアンはソファーから落ちそうになった彼女の腰を支えた。

 その際に、彼女の首筋に舌を這わせる。

 それにも彼女は大きく震えた。


「流石は俺の自信作だな。いい感じにキマって来たか」


 ニタニタと口角を上げる。


「そんじゃあ頑張ってくれてるお前のためにご褒美といくか。まあ、俺も随分と御無沙汰だったしなあ。ちょい激しくなるがお前なら受け止めてくれるよな?」


 そう尋ねるが、もはや全身が性感帯となっている蘭花ランファには何も答えられなかった。

「けけけ」と嗤う。

 それも分かった上での問いかけだ。

 そうして、


(化け物には化け物だ……)


 外道の蛇は、舌なめずりをする。

 それは目の前の女に対するモノか、それとも――。


(潰し合ってもらうぜ。化け物どもよ)

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