第255話 変化する日常④

 十分後。

 場所は変わって北校舎の屋上。

 校舎裏で気絶してしまった中等部の先輩たちのことは職員室に連絡を入れて、その足で燦と月子はここにやってきたのだ。

 フェンスに覆われた屋上はそれなりに広く、結構な数の長椅子ベンチも設置されているのだが、昼休みもすでに半ばを過ぎているため、そこそこ埋まっていた。


「あ。あそこ空いてる」


 そんな中から空いた長椅子ベンチを見つけて燦たちは座った。

 二人が並んで座ると、彼女たちの名前通り、太陽と月のようで画になるのだが、それだけあって二人が揃っている時に声を掛けてくる者は少なかった。実際、屋上でも彼女たちは目立っているが、他の生徒たちは遠巻きに視線を送るだけだった。


「……最悪よね」


 そんな中、燦は深々と溜息をついた。


「月子、中等部に上がって何回ぐらい告られた?」


「……えっと」


 月子は困ったように眉根を寄せて。


「十六回ぐらい。《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》まで言われたのは今回が初めてだったけど……」


「うわ。多い」


 燦は目を瞬かせた。


「あたしは十一回だよ。けど、そのほとんどが……」


 再び盛大に溜息をつく燦。


「あたしに女王さまになってくださいって」


(うわあ)


 月子は内心で呻いた。


(そっちのパターンもあるんだ……)


「けど、あたしも《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》を挑まれたよ。高等部の人に」


「え?」


 月子は驚いた。燦は話を続ける。


「その人、高等部でも隷者ドナーが結構いる上位の人らしくて、あたしのことも本気で隷者ドナーにするつもりだったみたい」


「え? さっきの人みたいに?」月子は目を瞬かせた。「けど、武舞会以外で《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》は校則で禁止されているんじゃ?」


「そこは暗黙のりょーかいってことでこっそりされてるんだって。特に中等部に上がったばかりの子は狙われてるって言ってた」


 と、不快げに眉根を寄せて燦が説明する。


「えっと、いわゆる青田買いだって」


 言葉の意味が分かっていないのか、小首を傾げる燦。

 一方、月子は強張った表情を見せていた。


 何とも最悪な青田買いだった。

 だが、何よりも警戒すべきことは、市井出身である月子だけならばいざ知らず、燦にまでそれを行うとしたことだった。


 国内最大の名家の一つ。火緋神家。

 その本家の直系である燦を隷者ドナーにしようと目論んだ生徒がいたのだ。

 正直、これは想定していなかった。


(……学校は治外法権)


 奇しくも先程の少年が言っていたことは事実なのだと実感した。


「……それでその人はどうしたの?」


 神妙な様子で月子は尋ねる。


「ん。燃やした」


 燦はあっけらかんと即答した。


「さっきの奴と同じみたいに」


「そ、そうなんだ……」


 これはこれで頬を強張らせる月子。

 どうやら『燦式マッパの術』はすでにお披露目済みだったようだ。


「うっとしいよね。ホントにヤダ」


 と、不満そうに燦は頬を膨らませた。

 月子は静かな眼差しで親友の横顔を見つめていた。

 少しの間、とても真剣に考える。

 そして、


「……隷者ドナーになろう」


 そう告げる。

 燦は「え?」と月子を見やり、目を瞬かせた。


「私たち、ちゃんとおじさまの隷者ドナーになろう」


 再度、月子はそう告げた。

 燦は驚きで目を見開いた。


「燦ちゃんは強いけど、高等部まで出てくると、中には一流の引導師ボーダーとほとんど変わらない実力者だっているよ。そんな人が手段を選ばずに挑んできたら……」


 武舞会への参加は任意なので避けることは出来る。

 だが、裏でも《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》が横行しているとしたら話は別だ。


 本来は双方合意で成り立つ《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》ではあるが、条件をクリアする方法なら幾らでもある。問答無用でねじ伏せてから合意に持っていくことなど常套手段だ。


 中には拉致まで行われるケースもあるらしいが、校内でそこまでの強硬はないとしても、常に戦い続けなければならない状況では、いつかは敗北してしまう可能性が高かった。


 それならば――。


「だから、おじさまの隷者ドナーになろう」


 そう告げる月子の表情は真剣そのものだった。

 一方、燦は両手の指先を絡め合わせながら、もじもじとして。


「そ、それって、おじさんの本当の隷者ドナーになるってこと?」


「うん。そう」


 月子はしっかりと頷く。

 燦は「ひゃあっ!」と顔を真っ赤にした。


「け、けど、それなら、あたしたちはすでにおじさんの隷者ドナーだって言い張れば……」


「それはすぐにバレちゃうよ」


 と、淡々とした口調で月子は言う。

 自分はすでに隷者だと言い張ることは簡単だった。

 しかし、隷者になったところで腹部や手の甲に紋様でも浮かび上がる訳でもない。実証するには、それこそ《魂結び》が出来ないことで示すしかないのだ。


 だが、そうなってくると実証を逆手にとって、相手に《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》を強行的に挑まれるリスクがある。簡単にバレてしまう上にデメリットしかなかった。


「け、けど、エルナたちの話だと……」


 燦はますます顔を赤くしつつ、


「凄く苦しくて、激しくて、その、チュ、チュウもされちゃうって。自分で息も出来なくなっちゃうからって……」


 グルグルと瞳を回してそう呟く。


「う、うん。そだね」


 そこで初めて月子も頬を赤らめた。


「普通の《魂結びソウルスナッチ》はそこまで負担はないらしいけど、おじさまは特別だからってかなたさんも言ってたから……」


 が、そう呟いたところでグッと拳を固めて。


「けど、もう必要なことなの。うん」


 大きく頷いて、スマホを取り出してアプリを起動させる。


 その名も『LovinYou』。

 金羊がもの凄いハイテンションで組み上げた寵愛権管理アプリである。

 月子は今週末の日付と日時を入力し『宣言』をタップする。

 ポン、とニッコリ笑ったデフォルメイラストの月子の顔がポップアップされた。

 ちなみに、このデフォルメフェイスイラストは妃全員分が用意されてある。

 各自の特徴を結構押さえた金羊の力作である。

 ピロンとスマホが鳴ったので、燦もアプリを起動させた。

 デフォルメ月子を見て「ひゃあっ!」と息を呑んだ。


 これで月子は寵愛権をその日に行使することになったのだ。

 肆妃たちにとっては、実は初めての行使である。


「……私、寵愛権の日におじさまにお願いしてみる」


 少し震える声で月子がそう告げる。

 親友の覚悟に、燦は言葉もなく目を見開くだけだった。


「こ、怖いけど、私から言い出したことだから……」


 月子は燦の手を取った。


「だから、まずは私からするよ」


「……月子」


 燦は月子の手を強く握り返した。

 月子の柔らかな手は少しだけ震えていた。

 だが、それでも月子の決意は揺らがないのだろう。


「……うん。そうよね」


 燦もまた覚悟を決めた。


「これはいずれ来ることだし、うん」


 大きく息を吐いて。


「月子! 頑張って! あたしも次の日に予約入れるから! あ、あたしも頑張るから! 二人で頑張ろう! 月子っ!」


「――うんっ! 頑張ろう! 燦ちゃんっ!」


 と、意気込む肆妃たちだった。


 芽衣と六炉。

 エルナとかなたと刀歌。

 そして燦と月子。

 世代は違えども、こうして妃たちの日々は変化していく。


 ただ、彼女たちはまだ知らない。

 さらなる大きな変化が、遠き過去より訪れようとしていることに――。

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