第257話 乙女たちは動き出す②
(どうにも気が重いですねえェ)
その日の朝。
大門紀次郎は少し重い足取りで火緋神家本邸を歩いていた。
前に続くのは長い渡り廊下。
時々使用人がすれ違って恭しく頭を垂れてきた。
大門も会釈を返しつつ目的の部屋に向かった。
(一体、何事でしょうかあぁ)
彼が向かう先は火緋神家の次期当主。
火緋神巌の私室である。
御前さまに次ぐ火緋神家第二位の人物の私室だった。
(巌さまは苦手なのですがあぁ……)
大門は守護四家の一角。大門家の現当主だ。
分家筆頭とも呼べる立場だが、当然、本家の方が格は上だ。
巌は大門の上位者……直属の上司のような立場にいた。
さらに付け足すのならば、さほど親しくもない上司である。
そんな人物がわざわざ私室に呼ぶのである。
どう考えても厄介事に違いなかった。
(今回も何か無茶ぶりをされるのでしょうかあぁ……)
飄々とした大門とて人間なのだ。
足取りも重くなって当然だ。
しかし、この渡り廊下も無限に続いてくれる訳でもない。
ほどなく大門は巌の私室の前に到着した。
襖で閉ざされた和室である。
(さて)
大門は一息つくと廊下にて両膝をつき、
「大門です。参りました」
「ああ。入って来てくれ」
襖の向こうから声が聞こえてくる。
大門は襖を開けて入室した。
何度も来たことのあるこの部屋は相変わらず質素だった。
正座して使用する低い机や書棚。後は箪笥ぐらいか。
私物がほとんどない印象だ。
巌は部屋の中央にて正座していた。
その前には来客に備えてか、座布団が敷かれている。
「失礼します。巌さま」
そう言って、大門は巌の前にまで移動する。
「座ってくれ」と巌に勧められ、大門は座布団の上に正座する。
「大門よ」
巌はいきなり話を切り出した。
「早速で悪いが、非常事態だ。お前に頼みがある」
「何でしょうか。巌さま」
大門としても早い応対は有り難いので会話に乗る。
「……実はな」
そう続ける巌は淡々と用件を告げた。
火緋神家の監獄から脱獄者が出たことだ。
「単独での脱獄ではない。仲間がいたのだろうな。その中に暗示使いもいたようだ。監視たちは脱獄に気付かず数日発覚が遅れた」
大門は眉をひそめた。
「追跡は?」
「すでに御前さまのご指示で追跡班を編成して出しておる」
厳かな声で巌が言う。
「……あの男は」
大門は表情を険しくした。
「月子くんに執着していたはず。彼女に連絡は?」
「無論、そちらも手を打っている。時間的には授業中のため、本人に直接連絡はまだつけていないが、学校に問い合わせたところ無事だそうだ。この件は山岡には伝えた。すぐに学校に向かってくれるそうだ」
淡々とそう告げる巌に、
「そうですか。山岡殿が」
大門は少し安堵した様子を見せる。
「安心いたしました。あの方ならば確実に月子くんを保護してくれるでしょう」
山岡辰彦への信頼は、守護四家の当主たちにも厚い。
あの老執事はそれだけの実績を積んできているということだ。
(……それに恐らく久遠氏も動いているでしょうねええ)
あの少し過保護な青年が動かないはずがない。
一旦、彼女の安全は保証されたと言えた。
「では、私には追跡班に協力せよと?」
そう尋ねる大門に巌は「いや」とかぶりを振った。
「お前には、月子と
「月子くんと……燦さまでしょうか?」
「ああ」
巌は頷く。
「あの男とは
「なるほど。承知いたしました」
大門は即座に立ち上がった。
「ならば私も迅速に動きましょう。護衛班はどこに?」
「表で待機している。お前も含めて四名。少数だが精鋭だ。ただ……」
そこで巌は神妙な顔をした。
「実はその中に御前さまの推薦者がいるのだ」
「御前さまの?」
大門は目を瞬かせた。
「それは珍しい。どなたでしょうか?」
御前さまは火緋神家の総括者ではあるが、直属の部下はいない。
そのため、任務の際の人員編成は主に巌か守護四家によって行われる。
御前さまが誰かを推薦するなど非常に珍しいことだった。
「……若い女だ」
腕を組んで巌が言う。
「若い女性? もしや篠宮家の瑞希さんでしょうか? 彼女なら燦さまと月子くんとも面識があります。御前さまはそれを配慮されて……」
「確かにその者もいる。私が選んだ。他にも扇の息子もな。護衛は不要と
大門の台詞に巌はかぶりを振った。
「最後の一人は私も全く面識がない女なのだ」
一拍おいて。
「年の頃は十七か十八ほどだ。髪の長い娘だった」
「巌さまがご存じない?」
大門は眉をひそめる。
「火緋神一族の者ではないのでしょうか?」
「……御前さまは火緋神家の遠縁だと仰られていた」
「遠縁、ですか……」
大門は反芻する。すると巌は、
「実のところ、私としてはその娘は御前さまの直系の血縁者ではないかと考えておるのだ。若き日の御前さまのお子の血筋。何かしらの理由で疎遠となっていたが、今回の事件を機に一族に呼び戻そうと考えておられるのではないかとな」
少し苦笑を零す。
「私の推測に過ぎんがな。ともあれ、お前にはその娘にも気を掛けて欲しいのだ」
「……なるほど」
どうにも腑に落ちない感じがする。
御前さまの直系は確かに不明ではあるが、ただ推奨しただけで孫ではないかと疑うのは発想が飛びすぎのような気がする。
そんな疑問を抱いたが、いずれにせよ大門は頷いた。
「承知いたしました。それでその少女の名は?」
「……
と、巌が答える。
「その少女、長い髪以外にも特徴をお教え願えますか?」
「それは特に必要ないかもしれんな」
嘆息してそう返す巌。
「篠宮と扇はすでにお前とも面識があるだろう? 唯一ないのがその娘だ。会えばすぐに分かるはずだ。だが、あえて特徴を言うのならば」
そこで渋面を浮かべる。
「あまりにも
「……え?」
大門は目を瞬かせた。巌は言葉を続ける。
「まるで
嘆息混じりに一呼吸入れて。
「だからこそ御前さまの血縁ではないかと疑った。私は一族でも最も御前さまに近い者だからな。自分の娘にあそこまで似ていては血縁者かと疑いたくもなる」
「……そういうことでしたか」
大門は得心した。
「承知いたしました。燦さまと月子くん。そしてその少女もお守りいたしましょう」
大門家の若き当主はそう告げた。
そうして巌に深く一礼をし、退室する。
再び長い廊下を歩く。
今度は誰ともすれ違わない。
黙々と。
大門は黙々と進んでいた――はずだったが。
「………ふむ」
不意に立ち止まり、彼は呟いた。
「なるほどな。この未来線となったか。しかし」
そこで少し口調を柔らかくして。
「……まったくあの方は。その行動力ばかりは変わられないのですね」
そう呟いて苦笑を浮かべるが、彼の眼差しは虚ろだった。
その時、彼の影が廊下へと伸びてランタンを持つ男の形へと変わった。
それは浮かび上がり、実態と化す。
「おかげでより複雑になってしまった。
その台詞は実体化した影の方からだった。
声も全く違うモノに変わっている。
「ままならないな。外法に手を染めてもなお、ままならない……」
だが、と続ける。
「それでも私は進む。私の……我が裡なる父の望みを叶えるために」
火の灯らないランタンを掲げる。
そして影は蜃気楼のように揺らいでいき、
「……そう。私はもう二度と間違えない……」
その呟きと共に、再び消えた――。
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