第393話 肆妃『星姫』/忍の道は険しくて③

 翌日の朝。

 燦は言った。


「ねえ。師匠。ニンポーはもういいから、魂力オドの操作を教えて」


「……魂力の操作ですか?」


 昨日と同じ滝つぼの畔にて、ヒカゲは小首を傾げた。

 燦は「うん」と頷いた。


「ニンポーは残念だったけど、師匠の魂力操作はあたしに必要なことだと思ったの」


 言って、燦は両の拳に炎を灯らせた。


「あたしの系譜術クリフォトは炎と雷を操る《炎奉衣ジ・プロミネンス》。知っているでしょう?」


「はい」ヒカゲは即答した。

 流石に火緋神家の傘下で本家の系譜術を知らない者はいない。


「けど、この術って凄い欠点があるの」


「……あの、それは」


 ヒカゲは少し頬を引きつらせた。


「私が聞いてもよいことなのでしょうか?」


 どうも下っ端が聞いてはいけない内容な気がする。

 だが、それは無用の心配だったようだ。

 燦はニカっと笑って「大丈夫だよ」と告げた。


「みんな知ってるけど口にしない欠点だから。あのね、要するにね」


 九歳の少女は微かに頬を朱に染めた。


「全力で戦うと、服が全部燃えちゃうの」


「…………」


「ふねんふ? そんな服もずっと開発してるってお父さまが言ってたけど、全然ダメだって。あたしたちの術って基本的に炎の服を作るモノだから長くは持たないんだって」


「……それは」


 ヒカゲは額に片手を当てた。


「確かに難儀な欠点ですね……」


「だから、お父さまやお兄さまたちからは炎を出すのは手だけにしろって言われてるの」


 しょぼんとした顔で燦が言う。

 一方、ヒカゲは思う。


(それは意外と心配されてるのでは?)


 火緋神家の本家筋の人間は不仲説があるのだが、案外、次期当主と目されている巌さまや、異母兄弟の方々は末娘に甘いのかもしれない。


「だけど、あたしはこれじゃあダメだと思うの」


 燦は真っ直ぐな瞳でヒカゲの顔を見上げた。


「手だけじゃ全然弱いもん。けど、裸になるのもヤダ。だから」


「……魂力操作を覚えて術の精度を上げると?」


 腰を屈めてヒカゲがそう続けるが、燦はブンブンと首を横に振った。


「あのね。あたしが考えてるのは別のこと。それはね……」


 燦は顔を近づけて、ヒカゲに耳打ちする。

 ヒカゲは少し驚いた。燦は続けて言う。


「だから、あたしが師匠に習いたいのは魂力を自分以外に通す方法なの。ねえ、『水』や『岩』にそれが出来るのなら」


 少し不安げな眼差しで燦は尋ねる。


「『空気』って出来ないかな?」


「……ああ。そういうことですか」


 ヒカゲは内心で感心していた。

 主君である家系の少女に対して失礼極まりない話ではあるが、この子はあまり考えずに動くタイプかと思っていたが、意外なぐらいに頭がいい。


「なるほど。用途としては炎を遮断するための層のような真空状態の維持。そして内部で酸素を供給するための空気孔の構築というところですね……」


「え? しゃだん? しんくう?」


 燦はキョトンとした顔をした。

 そこら辺の知識はまだないようだ。直感だけで可能だと感じていたのだろう。

 けれど、その発想をするだけでもこの子は凄いと思った。

 ヒカゲは再び燦の顔を覗き込み、


「……燦さま」


 この少女と出会って、ヒカゲは初めて微笑んだ。


「意外と燦さまは忍者に向いているのかもしれませんよ」


「え? そうなの?」


 一方、燦は小首を傾げるだけだった。

 ヒカゲはクスクスと笑い、


「いいですよ。特訓にお付き合いします。万が一のための服の予備はありますか」


「うん。いっぱいあるよ」


 そう言って、燦は虚空から服を取り出した。

 体操服ばかり何十着と出てくる。


「準備万端ですね」ヒカゲは苦笑を浮かべる。


「では、始めましょうか。空気の操作は私も初めてなので一緒に考えながらやりましょう」


「うん! 分かった!」


 燦も笑った。

 ちょっと楽しくなってきたヒカゲだった。

 そうして夕方。

 腰を下ろしたヒカゲの膝の上で、燦はスゥスゥと寝息を立てていた。

 そんな少女の髪をヒカゲは撫でる。

 その姿は、まるで仲の良い姉妹のようだった。


「頑張りましたね」


 ヒカゲは微笑む。

 やはり才能は桁違いの少女だった。

 今日一日だけで彼女が望む形にかなり近づけたと思う。

 これなら明日には完成するかも知れない。


「よいしょ」


 確かな手応えを感じつつ、ヒカゲは燦を背乗った。

 そのままグランピング施設に向かう。

 が、その帰り道だった。

 ふと、何かの気配を感じたのだ。振り返ると、それは森の一角からだった。気配はすでに消えているが、一瞬だけ人影が見えたような気がした。


(他の利用者?)


 ここは別に燦専用の修行場ではない。

 一族の誰かがいたのかも知れない。

 そう考えて、ヒカゲは特に気にせず燦を連れて帰っていった。

 その夜。

 グランピング施設の浴室にて。


「うわっ! 師匠って意外とある……」


「い、いえ、燦さま。流石にそう揉み下されると……」


「いいなあ、あたしもこれぐらい欲しいなあ……」


 二人はさらに仲良くなった。



 翌日。


「……むむむ」


 滝つぼの畔にて燦は唸っていた。

 そろそろ午後四時。

 彼女はぶっ続けで特訓をしていた。

 そして、


「――やあああああッ!」


 愛らしい雄たけびと共に、燦の全身が炎に覆われる。

 外から見ると二メートルほどの火球だ。


「燦さま! 頑張って!」


 ヒカゲはエールを贈る。

 ややあって火球から大きな両腕と、小さな尻尾と角が生えてくる。

 最後に口もバカリと開いて、ゴフウッと火炎を吐いた。


「やった! 燦さま!」


 ヒカゲは笑みを零して、パンっと柏手を打った。

 この炎獣こそが、燦が習得しようとしていた姿だった。

 炎獣は大きな腕でシャドーボクシングをしてみせた。


「呼吸も上手く出来ているようですね」


 ヒカゲは観察する。

 燦が炎や雷で怪我を負うことはない。

 しかし、酸素は別だ。炎で全身を囲えば、瞬く間に酸素を使い果たしてしまう。

 そのために、燦は空気を魂力で操る方法を学んだのだ。

 あの炎獣の内部には、真空状態の空気の層が作られて衣服が燃えるのを遮り、さらには角の先端に空気孔があって常に酸素を供給し、二酸化炭素を排出している。

 それがこの三日間の成果だった。


「お見事です。燦さま!」


 ヒカゲがそう言うと、炎獣は崩れ落ちて、中からVサインをする燦が現れた。

 ――が、流石の燦もそこが限界だったのだろう。

 ふらりと倒れ込んだ。

 ヒカゲは瞬時に移動して、燦を正面から抱きかかえた。

 燦は満足げな顔で気を失っていた。


「……ふふ」


 ヒカゲは笑みを零しながら、燦の頭をポンポンと叩いた。

 この子は才能だけではない。

 頑張り屋でもあるのだとこの三日間で知った。

 そうして当初の予定通り、燦は一つの忍法を会得したのである。


「忍法・火ぐるみの術ってとこね」


 クスクスと笑ってそう命名する。

 いずれにせよ、気絶した燦をこのままにはしておけない。

 昨日と同じく、ヒカゲは燦を背負おうとした、その時だった。


 ――ドボンッ!

 突然、滝つぼの方から大きな落下音が響いたのだ。


 上流から大きな石でも流れ落ちたのか。

 ヒカゲは燦を抱きしめたまま振り返り、思わず息を呑んだ。

 滝つぼから何かが顔を覗かせていたのだ。

 巨大な目に口が大きく裂けた、明らかに人ではない存在だ。


(まさか――)


 ヒカゲは唖然とする。

 それは紛れもない怪物――我霊エゴスだった。


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