第321話 ブライド・ハント⑥

 場所は変わって、遥か上空。

 強い夜風が吹く。

 龍に乗って対峙する二人は、沈黙していた。

 ややあって、


「……あなたは」


 杠葉は口を開いた。


「何者なの? エルナさんじゃないわね?」


「……自分でも分かりません」


 銀髪の少女は、自分の胸に片手を当てた。


「私が何者なのか。どうしてここに居るのか。けれど」


 そこで彼女は微笑む。


「ここには来るべきだと思いました。あなたを止めるために」


「……どういう意味?」


 杠葉は表情を険しくした。


「この光景が見えないの?」


 真紅の神刀をゆっくりと眼下に向ける。


「今この街は襲撃を受けている。個々の敵は応戦している引導師たちよりも弱いかもしれないけれど、相手は馬鹿馬鹿しいほどの数だわ」


 杠葉は正体不明の少女を見据える。


「いずれ犠牲者も出るわよ。けど、私ならその前に殲滅できる」


「……そうですね」


 少女は双眸を細めた。


「確かにあなたのその剣ならば殲滅も可能でしょう。だけど……」


 彼女はかぶりを振った。


「それをすれば、あなたは真刃さんに存在を気付かれてしまう」


「…………」


「あなたのことを知れば、真刃さんも心穏やかではいられなくなります」


「……真刃が動揺すれば、そこを敵につけこまれるということ?」


 杠葉がそう尋ねるが、少女はかぶりを振った。


「そうではありません。真刃さんはとても強いですから。戦いにおいては、きっと揺らぐことなんてない。ただ、私は思うんです」


 彼女は微苦笑を浮かべた。


「今回は御影さま・・・・の想いこそを優先すべきだと」


 杠葉は再び沈黙した。


「真刃さんには、今は彼女だけを見つめて、その想いに応えてあげて欲しいんです。そして、お嬢さまご自身もまだ覚悟が出来ていないとお見受けしましたから」


「……覚悟ならとうに出来ているわ」


 杠葉はそう答える。


「……それは」


 一方、少女は哀しそうな眼差しを向けた。


「断罪される覚悟ではありませんか?」


「…………」


 杠葉は、視線を逸らして口を噤んだ。

 少女は言葉を続ける。


「真刃さんに殺される覚悟。けど、それは的外れな覚悟ですよ。お嬢さまも本当は気付かれているでしょう? 本当に必要な覚悟とは何なのか」


「……それは……」


 杠葉は強く唇を噛んだ。

 少女は瞳を細めて告げる。


「例え裏切られたとしても彼の愛は変わらない。それはお嬢さまもよく知っているはずです。あなたに必要なのは、彼に愛される覚悟です」


 彼女は、さらに言葉を続けた。


「決して消えない罪の想いを背負って、それでも彼を愛して愛されること」


「……私は」


 杠葉は渋面を浮かべた。


「……肉体は若くても心は老人なのよ。もう女としての情愛なんて消えているわ……」


「あら? 本当にそうですか?」


 少女は口元を押さえて、クスリと笑った。


「では、あなたはもう忘れてしまいましたか? 彼の腕に抱かれた時の喜びを。彼の腕の中で眠った時の安らぎを」


「…………」


 杠葉は無言になって視線を逸らした。

 ただ、その頬は微かに朱に染まっていた。


「誤魔化したってダメですよ。だって」


 少女は微笑んだ。


「私だって、今でもはっきりと憶えてますから」


「……あなたは」


 杠葉は視線を少女に戻した。


「……何者なの? いえ、もう薄々分かってきたわ」


 そう呟いて、自分の推測に微かに喉を鳴らす。


「……どうしてそんな状態になったの? 一体あなたに何があったの? 色々と問い質したいところだけど……」


 杠葉は眼下の街に目を向けた。


「まずは火急の件に話を戻すわよ。私に引っ込めと言うのならどうする気なのよ? まさか放置する気? この状況を?」


「それなら心配はありません。お嬢さま。あれを」


 そう言って、少女はある場所を指差した。

 海が見える方向だ。

 杠葉もそちらに目を向けて、驚いた顔をする。

 銀髪の少女は微笑んだ。


「……あの時とは違います。今の真刃さんはとても多くのモノを手に入れました。だから、彼が間違えることはもうないんです」


 一呼吸入れて、「九龍」と足元の黒龍に声を掛ける。


『……ガウ? ナンダ?』


「そろそろお暇します。この子がいないとかなたさんたちが心配しますので」


『ウム。承知シタ』


 と、告げてから、九龍は杠葉を一瞥した。


『ヨク分カラナイガ、杠葉サマガ、生キテイテヨカッタ』


 そう切り出して。


『アルジモ、キット喜ブ』


「…………」


 純朴な従霊の言葉に、杠葉は何も答えられなかった。

 銀髪の少女は、クスクスと笑った。

 そうして、九龍は地上へと向かい始める。


「待ちなさい!」


 そんな彼女に向けて杠葉は叫ぶ。


「待って! 紫子・・ッ!」


 その名を呼んだ。

 すると、少女は一瞬だけ振り返り、


「では、また会いましょう。お嬢さま」


 それだけを告げて。

 彼女と黒龍は、地上へと消えていった。


「あ。九龍。今夜のことは秘密にしてくださいね」


『……ガウ? 分カッタ』


 そんなことを喋りながら。









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