第320話 ブライド・ハント➄
桜華がこの場所に来たのは、完全に偶然だった。
決戦の日は近い。
それも百年の想いが込められた決闘だ。
流石の桜華も緊張していないと言えば嘘になる。
そのため、街へと出向いていたのである。
気晴らしにではない。
むしろ精神を研ぎ澄ますためだった。
赴いた場所は、繁華街の人混みの中。
行ったことは隠形だ。
気配を完全に消して、すぐ傍にいても存在を認知させない。
それを人混みの中で実施した。
それは、実に見事なものだった。
客引きが、桜華越しにサラリーマンに声を掛けるほどである。
ここまで完璧な隠形には、桁違いの集中力を必要とする。
精神を研ぎ澄ますには持って来いの修練だった。
そうして、桜華は三十分ほど気配を消して人混みに紛れていた。
――が、そんな時に、結界領域に取り込まれたのである。
そして、名付きの我霊の馬鹿げた宣告。
状況の詳細も戦況も分からない。
ホマレに連絡を取ろうとしても
この異常事態だ。彼女にも何か異変があったのかも知れない。
(……くそ)
ホマレの住居を確認していなかったことは失態だった。
これでは救援に向かうことも出来ない。
ともあれ、桜華は周囲を警戒した。
その時だった。
ビルの一つ。その屋上から巨大な炎の柱が立ち昇ったのは。
そこで戦闘が始まったと考えるのは当然だった。
桜華は、すぐさまその場所へと跳躍した。
そして、旧知の顔を見つけたのである。
かつて仕留め損ねた魔性の女の顔を――。
そうして、
「……お前は……」
さしものエリーゼも唖然としていた。
「……馬鹿な……久遠、桜華……?」
「……ああ」
桜華は頷く。
「久しいな、《
ふっと笑う。
「どちらでもよいか。どうせここで斬る」
言って、白き光剣を薙いだ。
「――お前ッ!」
その時、ルビィが鬼のような形相を見せた。
「お姉さまに対して無礼な! どこの
「……ふむ」
桜華はルビィを一瞥した。
「お前こそ
そこまで呟いてから、今度は未だ驚いた顔をしている蒼火の方を見やり、
「少年」
「しょ、少年? 俺のことか?」
「ああ。君のことだ。どうやら君は
「あ、ああ」蒼火は困惑しつつも頷く。「構わないが――」
「――お前ッ!」
ルビィが気炎を吐いた。
「舐めた口を! そいつの前に殺してやるわ!」
そう言って、隣に控えていた人形が立ち上がった。
しかし、それが動き出す前に、
「……おやめなさい」
エリーゼが片手でルビィを制止させた。
「……ルビィの勝てる相手ではありませんわ」
「え? お姉さま?」
ルビィが目を瞬かせる。が、
「この女の相手は私がしますわ」
エリーゼは、構わずそう告げる。
そうして一歩前に踏み出した。
同時に、桜華も前へと進み出す。
二人の美女は、互いにゆっくりと近づいていく。
どちらも、散策でもするような、ごく自然な歩き方だ。
だが、異様な緊張感に、ルビィも蒼火も動けなくなっていた。
二人の美女は桜華の――剣の届く間合いで止まった。
「……いいのか?」
桜華はふっと笑った。
「その姿のままで? 本性を出す前に死ぬぞ?」
「……なるほど」
エリーゼは双眸を細めた。
「私の真の姿を知る者は数えるほどしかいません。
そこで、桜華の持つヒヒイロカネの柄を触媒にした光刃を一瞥する。
「そしてその光の刃。信じ難いことですが、あなたは本当に久遠桜華なのですね」
そう告げて、侮蔑するように口角を上げた。
「ですがその姿は何ですの? あなたはいつ
「貴様のような人食いと一緒にするな」
桜華は言い放つ。
「『私』は今も人だ。いささか以上に特殊ではあるがな。だが、それを説明するのも面倒だ。どうせ貴様はここで『私』に斬られるのだから意味もないしな」
「大した自信ですわね」
エリーゼは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「確かに一度は不覚を取りましたわ。ですが、ここに金堂多江はいないですわよ? それともどこかに隠れているのかしら?」
そう尋ねるエリーゼに、
「……多江はもういない。いや……」
一拍おいて、桜華は左手を自分の胸に当てた。
「多江は……『私』の友は今もここにいる」
「あら、そうですの」
エリーゼは双眸を細めた。
「どうやら、あの女の方はちゃんと死んだのですね。残念。あの女も現れるようならば、今度こそ二人揃えて殺して差し上げましたのに」
「ふん。よく言う」
桜華は微笑を浮かべた。
「かつて『私』たちに殺されかけて泣きじゃくった女が」
そう告げた瞬間。
――ズンッ!
音がした訳ではない。
だが、周囲を巻き込んで圧力が一気に上がった。
ルビィや蒼火などは、威に呑まれて思わず倒れかけるほどだ。
それほどまでの殺気をエリーゼは放っていた。
長い沈黙。
そして、
「……ええ」
エリーゼが唇を開く。
「間違いなく、あなたは久遠桜華ですわ。人の神経を逆撫でにするその言い草はまるで変わりませんのね。本当にあの頃のまま。そう――」
一拍置いて、
「
どこか口調を幼くして告げる。
直後、
――ドンッッ!
エリーゼの腹部が爆発した。
いや、そう思わせるほどの莫大な触舌が腹部の腹から溢れ出したのだ。
ルビィと蒼火が目を見開くが、桜華はすでにその場にいなかった。
まるで空間でも跳んだかのように、屋上にある昇降口の上に立っていた。
そうして、白き光刃を薙いで、
「……いいだろう」
桜華は不敵に笑った。
「百年前の因縁を一つ、ここで消しておくことにしよう」
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