幕間二 面影の君
第269話 面影の君
それは今から十分ほど前。
襲撃された保健室でのことだった。
『あああッ! しくったっス!』
金羊は自分の間抜けさに憤慨していた。
まさか自分だけ取り残されるとは想定していなかった。
『いや、違うっス!』
これも本来は想定すべきことだった。
明らかに前回の件で警戒されていたのである。
『月子ちゃん! うあああああッ!』
床に落ちた月子のスマホが激しく振動する。
金羊の焦りそのものだった。
(どうするっスか! どうすればいいっスか!)
必死に対策を考える。
まずは救援を求めるべきだ。
しかし、一体誰に求めればいいのか。
電脳空間内を移動できる金羊を除くと、主である真刃の元に駆けつける時のみを例外として瞬時に場所を転移できる従霊はいない。そもそもそれが出来るのなら、真刃は今回の危機にほとんどの従霊を護衛に回していただろう。
現状、即座に応援に駆けつけられる従霊はいないということだ。
ならば教師たちか。
金羊のすぐ近くには保険医が倒れたままでいる。
彼女が目覚める様子はない。
(彼女のスマホに移って同僚に助けを求めるべきっスか? いや、この異常事態っス。すでにここに向かっている可能性もあるっスね。けど、そもそも月子ちゃんたちが封宮に捕まっている以上、必要なのは……)
もし仲間が
同じく異相世界を創る我霊の結界領域ならば空間系の引導師がいれば干渉できる。
しかし、二つの術式はやはり似て非なる異能なのだ。
共に行うのは異相世界の構築ではあるが、結界領域は現実世界のコピー。コスパは良く、条件付けなどの融通も利くが、本質的には空間操作系に分類される術式だった。
一方、
空間ではなく心。
従って、心には心で干渉するしかない。他者が構築した
(瑠璃城学園は名門っス。
その人間たちを呼ばなければならない。
それも奴らが
急がなければならないと判断した時だった。
「――ここが保健室だね!」
突如、ドアが開かれた保健室に人影が現れたのだ。
金羊は目を見開いた。
(――瑞希ちゃん!)
それは篠宮瑞希だった。どうして大学生のはずの彼女がここにいるのかと思ったが、首に入門証を掛けていることで、金羊はすぐに理解した。
(彼女が火緋神家の護衛っスか!)
「……くそ。遅かったか」
瑞希は保健室内を一瞥すると、片膝をついて倒れている保険医の首筋に手を当てた。
「……けど良かった。まだ生きてる」
そう呟く。と、
「篠宮さァん! そちらはどうですかああッ!」
廊下から声が聞こえて来た。これも金羊が知っている声だ。
直後、予想通りの青年が顔を見せた。
大門紀次郎である。彼と一緒に初めて見る青年も現れた。
蒼い髪の青年。瑞希と同じぐらいの年齢か。
恐らく大門たちも護衛者なのだろう。
ともあれ、今は状況を伝えることが先決だ。
金羊は、瑞希に向かって声を掛けようとした、その時だった。
「……一足遅かったみたいね」
不意に女性の声がした。
しかし、瑞希ではない。大門の後から一人の少女が入室してきたのだ。
金羊は彼女の姿に目をやって――。
(……………は?)
思わず思考が停止した。
電脳系の従霊だけあってまさにフリーズ状態だ。
保健室に入った長い髪の少女は金羊――月子のスマホを拾い上げた。
彼女が覗き込んだため、金羊は間近で少女の顔を凝視することになった。
(……………え?)
そこでようやく再起動。
(は? えっ、はあ?)
改めて目を瞠る。
これはもはや他人の空似どころではなかった。
面影を宿す燦ですらこれほどではない。
――遥か遠き日の。
記憶の中の少女そのものの姿がそこにあった。
そのあり得ない状況に、金羊は未だ固まったままだった。
一方、少女は拾ったスマホをまじまじと見つめて。
「これはきっと月子ちゃんのスマホね。けど、月子ちゃんがいたのなら、燦も傍にいたはずなのにほとんど争った形跡もない。なら」
彼女は自分の胸ポケットにスマホを入れた。
「ここで
「葛葉さん!」
その時、瑞希が駆け寄ってきた。
「それ月子ちゃんのスマホだよね! 僕に貸して! 何か情報があるかも!」
そう告げるのだが、
「それには及ばないわ」
彼女は微笑んでかぶりを振った。
「
言って、彼女は窓側へと歩き出した。
そうして窓から数歩手前で止まり、
「うん。ここね」
指先を虚空へとすっと降ろした。
途端、何もない空間に大きな亀裂が奔った。
瑞希たちは目を瞠る。
そんな彼女たちに少女はニコッと笑い、
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ。燦と月子ちゃんを迎えに」
そう告げて、手から炎を噴き出して強引に亀裂を広げた。
そして唖然とする瑞希たちをよそに、彼女は亀裂の中へと飛び込むのだった。
そんなあり得ない人物と展開に、
(――はあっ!? はああっ!? これどういう事なんスか!?)
もはや絶句するしかない金羊だった。
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