第268話 それぞれの対峙➄

 撃ち出された凶弾。

 それが少女に襲い掛かることはなかった。

 銃弾が放たれたことは事実だ。

 だが、それは燦に当たる前に弾かれたのである。


「……は?」


 蘭花ランファがキョトンとして目を見開いていた。

 反射的に身構えた燦の前。

 そこに、いつの間にか巨大な柱が立っていたのである。

 燦の身長よりも大きな六角柱だ。それが銃弾を弾いたのである。


 その光景にギョッとしたのはビアンも同じだった。

 思わずその場で足を止めた。


 が、それが幸いとなる。

 あと数秒進んだ先。月子の前で巨大なアギトが開かれていたのだ。

 それがガギンッと閉ざされた。

 ビアンは唖然とする。それは月子もだった。


「え? え?」と、目を瞬かせていた。


『悪運強き男だ……』


 アギトは言う。そしてはそれの全貌が明らかになった。

 アギトの主は狼だった。

 全身には青白い炎。額に黄金の一本角を持つ巨大な蒼狼だ。

 燦も月子もギョッとしていた。


『だが下郎よ』


 蒼い狼は牙を見せて告げる。


『この御方は我が主のお妃殿だ。うぬごときが触れてよい御方ではない』


「え? え?」


 月子が目を瞬かせた。すると蒼い巨狼は振り向き、


『月子さま。どうかご安心を。この狼覇がいる限り、御身にこのような下郎を触れさせることなど二度とございませぬ』


「え? 狼、覇……」


 巨狼の名を反芻して月子はハッと目を見開いた。


「おじさまの従霊の!」


『御意。五将が一角。御身が専属従霊を仰せつかった狼覇でございます』


 そう名乗ってから、狼覇は視線を燦の方へと向けた。


『そなたは何をしておる。いつまで燦さまを危険に晒しておくつもりだ?』


『分かっているのである』


 不意に新たな声がした。

 それは大地から発せられていた。

 燦と月子が驚いている中、地面から丸太の如く太い腕が生えてきた。

 それは徐々に形作る。巨大な獅子だ。

 真紅の鬣を揺らした三眼の獅子。獣人のような人型であり、両手首には黒い数珠を着け、下半身には袈裟を纏っている。上半身ははだけていた。


「うわ! うわあ!」


 燦が悲鳴を上げる。

 三メートルはある獅子の獣人は、出現と共に燦を肩に乗せていたからだ。

 獅子僧は六角柱――いや、六角棍を地から引き抜いた。


『燦姫よ。ご無事であるか?』


 獅子僧は言う。


『改めて名乗りを。拙僧の名は赫獅子。五将が一角にして燦姫の専属従霊でござる』


「あ、あたしの専属従霊?」


 燦は赫獅子の鬣を掴んで目を丸くしていた。

 自分に専属従霊が与えられていることは知っていたが、燦も月子も自分の従霊とは鬼火状態でしか会ったことがなかったのだ。

 それも一度だけ。それ以降、二体は眠ってしまったため、会話をしたこともなかった。

 だが、この危機に専属従霊たちも目覚めたのだろう。


『月子さま』狼覇が言う。


『それがしの背に。それがしの炎は悪しき者以外は灼きませぬゆえに』


「は、はい」


 月子は蒼い炎に少し躊躇いつつも狼覇の背中に乗った。

 意外と温かい。毛もふさふさで命の感触がした。


「おい! てめえ!」


 ビアンが間合いを詰めようとするが、狼覇の眼光で圧し留められる。

 二体の従霊の出現に、蘭花ランファや周囲の怪物デミ・シンボルたちも警戒を増していた。


 そんな中、


「……お前ラは」


 ワンは双眸を細める。


「あの化け物野郎の式神カ……」


 そう問うと、赫獅子と狼覇の眼光がより鋭くなった。


『うぬが化け物と呼ぶ者が……』


 狼覇が牙を剥く。


『仮に我らが主のことならば不敬にもほどがある』


『同意である。だが……』


 赫獅子は六角棍をワンへと向けた。


『貴様は他にも聞き捨てならぬことをほざいたな。答えてもらおう』


 一拍おいて。


『何故、貴様が杠葉さまの名を知っている?』


「……なに?」


 ワンは怪訝そうに眉根を寄せた。

 赫獅子の鬣に掴まる燦も「え?」と驚いていた。


「え? 赫獅子、杠葉って人を知っているの?」


 そう尋ねると、赫獅子は『……うむ』と答えた。


『今はまだ詳しくは語れませぬが、よく知った御方でござる』


 そう告げた。すると、


「……ほウ」


 ワンが口角を上げた。


「こいつは予想外の展開だナ。方針を変えるカ……」


 言って、前へと歩き出す。


「この式神どもも捕縛するゾ。だガ……」


 ビアンを筆頭に部下たちへと視線を送る。


「てめえら。式神相手だからと侮んじゃねえゾ。見たところ完全自律型の式神だ。手強いゾ。それにこいつらはエボンを殺した野郎の式神ダ」


 一拍おいて。


「最悪一体だけでもいイ。当初のガキ相手とは違ウ。気ィ引き締めろヤ」


 ボスとして命じる。

 怪物デミ・シンボルと化した部下たちも隙なく身構えることで応じた。

 一方、ビアンも表情を戦士のモノに変えて呟く。


「……ああ。そうかい。こいつらがエボンを……」


 懐から無痛注射を取り出した。

 女の扱いに関しては心底クズなのだが、連れに対してはこんな態度も見せる。

 そんな幼少時から共に生き延びた腐れ縁に、


「直接殺した式神なのかは流石に分かんねえがナ」


 ポンと肩に手を置き、ワンは告げる。


「だが、俺が知る限り、あの野郎は式神遣いだっタ。ガキどもの護衛として自律型の式神をつけてたってところだロ」


 言って、自身も無痛注射を取り出した。

 それを見てビアンはかなり驚く。


「おいおい。式神相手にお前まで出張るつもりか?」


「まあ、念のために準備ぐらいはナ」


 と、ワンが答える。

 一方、狼覇たちは狼覇たちで、


『ふん。では赫獅子よ。それがしたちとしては』


『うむ。そうだな。頭目らしきあの男を捕えるであるか』


 そんなやり取りをした。

 それから互いに乗せた肆妃たちに、


『姫君たちよ。ここは拙僧どもにお任せを』


 ズズンッ、と六角棍を地に打ち付けてそう告げた。

 緊迫した空気が湿地帯に覆う。

 まさに一触即発だ。

 しかし、その空気を切り裂いたのは、狼覇たちでもなければワンでもなかった。


 ――ビキンッ!

 突如、空間に亀裂が生まれたのである。

 さらには炎まで噴き出した。


「……は?」


 思わずビアンが目を剥いた。

 この湿地帯は彼の封宮メイズビアンの世界だ。

 そこに亀裂が刻まれた。

 それは外部から誰かに介入されているということだった。

 敵味方関係なく全員が驚き、炎の亀裂を凝視した。

 そして――。


「……お邪魔するわね」


 炎の亀裂が大きく広がり、そこから一人の女性が現れた。

 いや、女性というよりも少女と呼ぶべきか。

 長い黒髪に、短い黒のスカートと同色の長紐靴ブーツ

 豊かな双丘を収めた、袖のない白いブラウスの上には赤いネクタイを巻き、胸ポケットにはスマホらしき膨らみがある。他にも何やら入門証のようなカードを首にかけていた。

 彼女は平然と異相世界に割り込んでくると、そのまま歩き出した。

 湿地帯で濡れるのを嫌ってか、それとも無意識か。

 歩くたびに炎が足元に発生し、炎の足跡を残していく。


 全く予期していない闖入者に誰もが困惑して動けないでいた。

 そんな中、


『……莫迦、な』


『……なん、だと?』


 赫獅子と狼覇が、我知らず驚愕の呟きを零した。

 それは在りえない人物だった。

 長から共有された記憶では、今代はかの時代から百年経っている。

 ならば、彼女はすでに亡くなっているはずだ。

 いや、仮に存命だとしてもあの姿は――。


「……おいおイ」


 ワンが眼光鋭く少女を睨みつけた。


「単独で他人ひとさまの封宮メイズに乱入とはとんでもねえナ。お前は何モンだ?」


「……私?」


 腰に片手を当てて彼女は立ち止まった。


「私の名は葛葉くずのは。そうね」


 彼女は首から掛けた瑠璃城学園の入門証を手に取った。

 プラプラと振りながら、それを見せて、


「燦と月子ちゃん。可愛いあの子たちの保護者よ」


 そう名乗る。

 そして驚いた顔をしたままの燦と月子。

 彼女たちを乗せる赫獅子と狼覇の姿に微かに瞳を細めて、


「うちの子たちが世話になったようね。お礼をしてあげるから感謝しなさい」


 そう告げるのだった。






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