第八章 王の審判

第194話 王の審判①

 海の国アクアブルー

 螺旋状のスライダーが設置されたプールがある道沿いを真刃は進んでいた。

 当然ながら一人ではない。

 黒鉄の虎と化した猿忌を除いて、二人の同行者がいた。


 ――ザパァン、と。

 プールから、巨大な水飛沫が舞う。

 猿忌が巨体を動かして、真刃に飛沫がかからないようにする。

 真刃は、プールに目をやった。


「オラオラオラぁ!」


 そう叫び、跳躍するのは少年だった。

 年齢は十五。大柄な体格に、逆立つ浅黄色の髪と褐色の肌が印象的な少年だ。

 彼は、プールに潜んでいた首長竜のような我霊と戦っていた。顔の真横まで到達し、銀色に輝く鋼と化した掌底――相撲でいうところの鉄砲を敵の横っ面に叩きつける!


「剛人ッ! 離れろ!」


 戦っているのは、彼一人ではなかった。

 もう一人の同行者である刀歌だ。

 彼女は、首長竜の首を蹴って離脱する少年と入れ替わるように跳躍した。

 熱閃の刃を数メートルまで伸ばす。そして我霊の首を両断した!

 我霊の首は路上に落ちて、巨体は水飛沫を上げてプールの中に沈んでいった。


「よっしゃあ!」


 少年は無事着地した刀歌の元に駆け寄り、パァンッと互いの手を打った。

 幼馴染という話だけあって、実に息の合った連携だった。

 そんな二人の戦う姿に、真刃はどうしても懐かしさを感じていた。

 刀歌には、桜色の着物を着た同僚の姿を。

 少年には、同じ髪の色、肌の色をしていた女性の姿を重ね合わせる。


金堂こんどう剛人ごうとか)


 少年のことは、刀歌から紹介された。

 少年自身からは、いささか以上に警戒されるような眼差しを向けられたが、猿忌にしろ、真刃にしろ、内心ではとても驚いていた。


 ――まさか、あの家系が今代にまで続いていたとは……。

 かつて、とある凄惨な事案で知り合った二人。

 金堂岳士と、その妻である金堂多江。

 あの二人の血を引く者と出会うなど夢にも思っていなかった。


 刀歌と楽し気に話す少年の姿に、真刃は双眸を細めた。


(そういえば、御影の奴は金堂多江と親しかったな……)


 そのえにしが、今代まで続いてたということだ。

 真刃自身は、彼らとはあまり交流はなかった。

 御影の付き合いで、たまに顔を合わせたぐらいの親交だった。

 けれど、それでも郷愁に似た想いを抱く。


 金堂剛人の声や精悍な顔立ちは、曾祖父によく似ていた。

 その髪と肌は、間違いなく曾祖母から受け継がれたのだろう。

 あの二人の愛の系譜が、今の世にも続いていることがとても嬉しかった。


 ただ、


「おい。オッサンよ」


 ツカツカ、と旧知の忘れ形見は近づいてきて、憤慨した顔で言う。


「俺と刀歌ばっか戦わせてんじゃねえよ。オッサンも働け」


 真刃は、内心で苦笑を零した。

 この少年。出会った瞬間から敵意が剥き出しだった。


「誰がオッサンだ!」


 それに対し、パカンッと刀歌が剛人の頭を叩いた。


「私の主君だぞ! 失礼にも程がある!」


 刀歌は刀歌で、幼馴染の態度に憤慨していた。


「そもそも帰ってきたのならどうして連絡してこないんだ! それどころか、刀真と一緒になって私の後を付けていたなど……」


「い、いや。そこはサプライズ的な感じでな……」


 と、剛人が気まずげに言う。

 どうも彼は今回の旅行を知って、刀歌の弟と一緒に付いてきていたらしい。

 刀歌の近況を聞き、その目で確認しに来たということだ。


「それに不安にもなんのも当然だろ? あれだけ《魂結びソウルスナッチ》を否定していたお前がいきなり隷者ドナーになってんだぞ。もしかして無理やりなんかされたんじゃねえかって……」


「ん? ああ。それなら心配無用だ」


 言って、刀歌は真刃の元に駆け寄って、その腕に両手を絡めた。

 愛しい人に身を寄せる。それから幼馴染の方に振り向いて、


「私は主君を愛しているから。愛されてるから。だから私は隷者ドナーになったんだ」


 満面の笑みでそう告げる。

 剛人は「お、おう。そっか……」と引きつった笑みを見せている。

 ただ、心の中では盛大に吐血していたが。


『……うわあ』


 刀歌のリボン。蝶花が呻く。


『エグイ。それはエグイよ。刀歌ちゃん……』


「え? 何が?」


 蝶花の呟きに、刀歌はキョトンとした表情を見せた。

 一方、真刃は実に複雑そうな表情を見せ、黒鉄の虎はかぶりを振っていた。

 出会って間もないが、刀歌以外はすでに剛人の心情を察していた。

 なにせ、実に分かりやすい少年なのである。


「ま、まあ、ともかくだ」


 精神をゴリゴリに削られながらも、剛人は言う。


「刀歌の旦那を名乗る気ならもう少し働けよ。オッサン」


「……むむ。待て剛人」


 真刃の腕を掴んだまま、刀歌が口元をへの字に結んだ。


「それは聞き捨てならない。今の主君には戦えない理由があるのだ」


「……何だよ。それは?」


 剛人が尋ねると、刀歌は「う」と言葉を詰まらせた。

 それを告げると、真刃の《制約》についても話さなければならない。

 愛する人の弱点を告げることは、例え相手が幼馴染であっても抵抗があった。


「とにかく戦えないのだ」


 少し頬を膨らませて、そう返す刀歌。

 滅多に見ない幼馴染の幼い仕草に、剛人が少しドギマギする。

 まあ、実のところ、彼女の中華服チャイナドレス姿にずっと動揺しっぱなしなのだが。


オレの事情を気遣う必要はないのだが……」


 刀歌の心情を察しつつ、真刃が、ポンと刀歌の頭を叩いた。

 次いで、剛人の方を見やり、


「小僧。怠け者の誹りは受けよう。だが、わざわざオレが出張らずとも、お前たちが負けるとは思えんしな」


「お、おう。そうか?」


 剛人は、頭に片手を当てて言う。


「まあ、昔から俺と刀歌の連携は完璧だからな。この程度の我霊エゴスに負けはしねえよ」


「うん。確かに剛人は強くなったな」


 真刃に身を寄せたまま、刀歌が頷く。


「術の発動が凄くスムーズになっている。修行の成果だな」


「ああ。まあ、向こうでは、のんびり術式起動なんてさせてたら頭に風穴空くしな」


 想い人でもある幼馴染に褒められ、剛人は腕を腰に当てて、ニカっと笑う。

 上機嫌なのは一目瞭然だった。本当に分かりやすい少年である。


(ともあれ、刀歌の負担を軽減できたのは幸いだな)


 そこは、偽りなく思う。

 想定外の登場をした少年だが、助かっているのは事実だ。

 なにせ、真刃の《制約》は、すでに発動しているのである。

 透明化させて見えなくはしているが、四肢には鎖が巻き付いている。

 流石に歩くことが、少々厳しく感じていた。


(この束縛の重さからして、戦闘に入った従霊は十か十一といったところか)


 今の体感を重量に換算すると、恐らく五百キロほどだろうか。

 引導師ボーダーであっても、下手をすれば潰される重量だ。

 真刃は、グッと拳を握ってみた。


(まだ完全に動けなくなるほどではないが……)


 経験からして二十程度までの従霊の戦闘参加ならば、真刃自身が戦闘に入ることも、どうにか可能だ。また、すべての従霊を集結させた場合は、真刃本人はほぼ動けなくなるが、骸鬼王の巨躯と膂力で《制約》を押し切ることも出来る。

 だが、いずれにしても《制約》が発動したままの戦闘は、酷く精神を摩耗させるのだ。

 やはり、こればかりは厄介なものだと思う。

 軋むように重く鈍い自分の掌を見やり、真刃は小さく嘆息した。

 これもまた、かつての時代の遺産とも言える。

 金堂家と違って、負の遺産ではあるが。


(ともあれ、今は力を温存しておくべきだな)


 真刃は、再び強く拳を固めた。

 エルナと、燦。かなたに月子。山岡に、新たに来訪を知った刀歌の弟。

 それに加えて巻き込まれている一般人もいる。

 救うべき者は多いが、今回の結界領域は広すぎる。転移時に運よく近隣にいない限り、会うことは困難だろう。ましてや全員を見つけ出すなど不可能といってもいい。

 刻一刻と《制約》の負荷も増大していく中、果たしてどうすべきか。

 真刃は、一瞬だけ瞠目して考えた。

 そして、


「……すべての従霊に告ぐ」


 小さな声で、臣下たちに語りかけた。

 そうして、各エリアに展開している従霊たちに新たなめいを加えた。


『……ふむ。確かにそれが最善手だな』


 黒鉄の虎に変化している猿忌が首肯した。

 通信を遮断されようとも、真刃のめいだけは従霊たちに必ず届く。傍らに立つ刀歌が「え?」と顔を上げるが、真刃は「気にするな」と告げた。


「それより刀歌。すまないが、もう少しお前に頼らせてもらうぞ」


 言って、彼女の頭を優しく撫でる。

 刀歌は顔を赤くして「う、うん」と頷いた。


「任せておけ! 私が主君を守って見せる!」


 ポヨンっと自身の胸を打つ。


「いやいや。だから働けって」


 不満げな声を上げて、剛人が真刃を睨みつけた。


「サボり魔のオッサンよ。今は協力してっけど、これが終わったら話があるからな」


「……話か?」


 真刃は、双眸を細めた。


「まあ、いいだろう。だが……」


 そこで天を見上げて告げた。


「それは、今回の老害に落とし前を着けさせてからだな」

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