第134話 夜明けは遠く②

 ――ザンッ!

 黒田信二は、襲い来る屍鬼の首を刎ねた。

 首を失った屍鬼は、その場で倒れ伏す。

 これまでの化け物に比べれば、あっけないぐらいの最期だ。

 しかし、数が圧倒的だ。

 倒しても倒しても、次から次へと襲い掛かってくる。


「――くそッ!」


 信二は駆け出した。

 信二の仲間は、五人だった。

 飛ばされた場所は、やはりどこかの旅館の中。

 そこを屍鬼どもに襲撃され、乱戦を経て街道にまで撤退した。

 だが、その撤退戦で仲間を一人失った。

 一体一体は、確かに弱い。

 だが、それは、これまでの化け物に比べれば、だ。

 いかに優れた武具を持とうとも、数倍にも至る数の差はこれまで以上の危機だった。


「ひ、ひいッ! 助けて!」


 仲間の一人が悲鳴を上げる。

 見れば、刀を屍鬼に掴まれていた。

 信二は駆け寄り、その屍鬼の首を刎ねた。


「大丈夫か!」


「す、すまねえ! 黒田の坊ちゃん!」


 この川沿いの街道にいる屍鬼の数は三十ほど。

 たった五人で迎え撃つには無理がある。


「先生や金堂さんたち! 他の仲間たちと合流するぞ!」


 信二は吠えた。

 しかし、仲間たちは完全に怯えている。動きが鈍い。

 腐敗しているとはいえ、敵が完全に人の姿をしていることも委縮に繋がっていた。


「しっかりするんだ!」


 信二は、さらに吠えた!


「守りたいひとを思い出せ! 僕たちは死ぬ訳にはいかないんだ!」


 その言葉は、劇的に効いた。

 仲間たちの双眸に、覇気と覚悟が戻る。

 信二たち、五人の男は駆け出した。

 狭い路地を選んで走る。広い場所では数に呑み込まれるからだ。


「みんな! 死ぬな!」


 信二は叫ぶ!


「僕たちは絶対に生き延びるんだ!」



       ◆



 一方、その頃。


『……主よ』


 おもむろに、猿忌が表情を険しくした。


『緊急事態だ。わずかに残っている人間が屍鬼の襲撃を受けている』


「――なに!」


 桜華が顔色を変える。


「どこだ! すぐに案内しろ!」


『確認しただけでも同時に七か所だ。ここから最も近い場所であっても遠い。我らの足でも五分はかかる』


「――くッ!」


 桜華は舌打ちする。

 だが、それでも見捨てる訳にはいかない。


「白冴! お前も分かるのなら、そこを案内しろ!」


『承知いたしました。では――』


 桜華の胸元で白冴がそう返そうとした時、


「……猿忌よ」


 真刃が言う。


「その七か所。最も近くにいる従霊二十体に戦闘の許可を与える」


『ッ! 主、それは――』


 猿忌は目を瞠り、白冴も息を呑んだ。


「厳命だ。一人でも多く救え」


 続けて、真刃はそう命じる。

 猿忌は『……御意』と答えて頷いた。

 その直後のことだった。

 ――ジャラララララララッ!

 真刃の全身から、実体のない黒い鎖が飛び出し、虚空や床へと繋がる。

 同時に、真刃の全身が鉛のように重くなる。

 これは、真刃の《制約》だった。

 三体以上の従霊を、戦闘に参加させた罰則である。


「久遠ッ!」


 桜華が、彼の肩を手で支えた。


「お前、《制約》が!」


「……そうも言ってはおられまい」


 真刃は、表面上は涼しい顔でそう告げる。


「今は何よりも人命を優先すべき時だ。流石に動けんがな」


《制約》の拘束力は、その反した内容に比例する。

 従霊ニ十体の参戦。

 それは、相当に重い拘束だった。

 真刃は自分の腕から伸びる鎖に目をやった。


(全力ならば、この拘束も引きちぎれるかもしれんが……)


 それには、恐らく全従霊の力がいる。

 そして、真刃の全力とは、人命救助に用いるような繊細な力ではなかった。

 いま打てる最善手は、やはりこれぐらいだろう。


「御影。お前も救援に向かえ」


「だ、だが、もし、今のお前が我霊に襲われたら……」


 一瞬、桜華の唇から、女としての言葉が零れた。

 しかし、すぐにかぶりを振る。

 今の言葉は、彼の相棒としても、引導師としても相応しくないモノだ。


「すまない。分かった。自分もすぐに救援に向かう」


 そう言って、桜華は炎刃を顕現させた。

 月明かりの中、炎が円を描く。

 桜華は、窓辺を円形に切り裂いた。

 硝子ガラスごと壁が外に落ちる。

 炎の刃だというのに、その切断面は実に鋭利なモノだった。


「では、自分も行く」


 言って、桜華は窓辺から外へと飛び出した。


「白冴! 自分を案内しろ!」


『承知いたしました。おう……いえ。御影さま』


 と、白冴も応じる。

 桜華の影は瞬く間に見えなくなった。

 それを見届けてから、


「……さて」


 真刃もまた、窓辺から外へと飛び出す。

 全身の鎖もそれに追従するが、これらの鎖はその場に縛り付けるモノではなく、魂を縛る概念の鎖だ。少しほど伸びるが、真刃の動きにともなって繋がった虚空ごと移動する。

 ――ズズンッ、と。

 真刃は、庭園に着地した。

 両足が地に深く沈む。真刃の体重からは考えられない重さだ。

 それだけの重圧が、肉体と魂にかかっているのである。


「……これは、あまり晒しておくモノでもないな」


 自分が弱体化しているなど、堂々と晒したところで意味がない。

 真刃は鎖を一瞥すると、鎖に魂力を注いで干渉してみる。

 すると、全身の鎖が、すうっと消え始める。

 存在感が薄れるように試みてみたのだが、上手くいったようだ。

 見た目的には、鎖を完全に消すことが出来た。

 ただ、肉体にかかる重圧は、全く変わらなかったが。


「少々神経を使うが、これぐらいの干渉ならば可能なのだな」


 ポツリと呟く。と、


『……やはり行くのか。主よ』


 真刃の後を追って、顕現し直した猿忌が声を掛けてきた。

 真刃は、淡々とした声で「ああ」と答える。


「この異界。この世界のぬしを倒さぬ限り解けぬだろう」


 真刃は言う。


「だが、相手は名付き。従霊五将、そして御影でさえ勝機はない」


 ギシリ、と。

 軋むほどに重い腕で拳を固めた。


「勝機があるのはオレだけだ。ならば、オレが行くしかあるまい」


『……………』


 猿忌は無言だった。

 しかし、理解もする。

 主人の指摘は、どうしようもなく正しいのだと。


「時間が惜しい。行くぞ」


『……御意』


 猿忌は、そう応える。

 そして、


「猿忌よ」


 従霊の長に、真刃は命じた。


オレに爪牙を与えよ」

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