第五章 夜明けは遠く

第133話 夜明けは遠く①

「――くそがッ!」 


 咲川温泉の一角。

 とある旅館の中で、金堂こんどう岳士たけしは怒気を吐き捨てた。


「何が楽しもうだ! あの屑野郎が!」


 これまでの三夜。

 岳士たちは、この温泉街の寄合場に囚われていた。

 食料と、医療器具に薬品。

 それだけを、あの黄金の女に与えられていた。

 岳士たちはその医療器具や薬品で、どうにか傷の手当てをして生き延びていた。

 しかし、ずっと疑問に思っていた。

 寄合場は大きな建屋ではあるが、これだけの大人数が呻き声や、時には治療で絶叫を上げる者もいたというのに、全く外の人間に気付かれる様子がないのだ。


 だが、その疑問も、今夜解けた。

 なにせ、つい先程まで寄合場に仲間たちと共にいたのに、突如、全く別の場所へと移動させられたのである。

 こんな芸当が出来るのなら、寄合場の隔離ぐらい容易いだろう。


(どこまで化け物なんだ。あの野郎は)


 ――やはり怪物。

 あの男も、あの女も、恐らくは怪異。鬼やあやかしたぐいだ。


(だが、それでも俺は死ぬ訳にはいかねえ。多江のためにも)


 ギリ、と歯を軋ませる。と、


「金堂さん!」


 仲間の一人が、声を張り上げた。

 突如、旅館――しかも女房と一緒に泊った宿――に移動させられた岳士だったが、ここには他にも五人の仲間がいた。どうやらある程度、人数を分けて飛ばしたようだ。

 岳士と親しい、坊ちゃんや先生の姿はない。

 恐らく、彼らも別の場所へと飛ばされているのだろう。


「あそこだ!」


 仲間が、指を差す。

 示す先は玄関先。そこには無数の刀や槍、斧が突き立てられていた。


「武具の提供は、いつも通りか」


 岳士は、いつも通り斧を手に取った。

 他の四人も、各々武具を取る。


「……金堂さん」


 槍を手にした青年が尋ねる。


「さっきのあの男の言葉。どう思う?」


「『ぼー……何たらないと』とかいう奴か?」


 聞きなれない言葉に、岳士は眉をひそめる。


「言葉の意味は分かんねえが、今日の相手は、今までの化け物よりも弱いってことだよな?」


「額面通りならな。だが、数を増やすとも言っていた」


 槍の青年は、険しい表情を見せた。


「今までの化け物は、大きさは虎ほど。数は十体程度だった。なら今回は……」


 青年の言葉を岳士が継いだ。


「弱いってのを信じるなら犬か狼ぐらいか。けど、数は……」


 岳士は、斧の柄を強く握った。


「倍以上は、覚悟しといた方がいいかもな」


 岳士の言葉に、四人の男も神妙な顔つきで頷く。


「とりあえず孤立すんのはやべえ。みんな、お互いを支え合ってくれ」


「ああ」「分かっています」「おう」「金堂の旦那も気をつけろよ」


 四人はそれぞれの返事をする。

 岳士は、ニカっと笑った。


「まあ、お前らにも惚れた女がいんだろ? もう一度惚れた女を抱けずに死ねるかっての」


「はは」「確かに」「おうともさ!」


 四人の内、三人は笑った。

 しかし、一人だけは、


「いや、実は、俺はまだなんですよね……」


 そんなことを言う。

 岳士たちは、目を丸くした。

 彼は、この集団の中でも最も若い。

 二十歳になったばかりぐらいの青年だった。

 青年は、刀をぐっと握りしめてから、頬をかいた。


「その、今回の旅行で初めて……のつもりだったんですよ」


「うわあ。そいつは災難」「最悪だよな」「おいおい」


 男たちは、苦笑を浮かべる。

 岳士も、ふっと笑みを零していた。


「そいつは、ますますもって死ぬ訳にはいかねえな」


「……もちろんです」


 青年は、少し顔を赤くして言う。


さちは幼馴染で、とても臆病な娘なんです。昔から俺以外の男だと会話するのも怯えるぐらいに。俺はあいつを大切にしたいんです。幸せにするって決めているんです」


「……そっか」


 仲間の一人が青年の肩を、ポンと叩いた。


「じゃあ、しっかり今夜も生き延びねえとな」


 言って、玄関へと先に降りた。

 刀を肩に担ぎ、引き戸に手をかける。


「まあ、その大切なさっちゃんの大事な初めてを、お前が貰ってやんねえといけねえしな」


 少しだけ下品な笑みを見せつつ、そう言って引き戸を開けた。

 途端、岳士たちは硬直した。

 全員が、大きく目を瞠っている。


「……え?」


 岳士たちの方に視線を向けていた男も、ギョッとして前へと目をやった。

 すると、そこには――。


「「「おオオオオアおおおおオアあああああ……」」」


 腐敗。腐乱。腐臭。

 そこには、それらが蠢くようにあった。

 引きちぎられた衣類。今にも零れ落ちそうな眼球。骨の見える腕。

 無数の動く死体が、引き戸のすぐ傍に佇んでいたのだ。


 ――


 化け物にもなれなかった最下級の我霊の群れが、そこにいた。


「うわああああああぁああああああああああ――ッッ!」


 引き戸を開けた男が絶叫を上げる。

 その直後、屍鬼の一体が、男の首筋に噛みついた。

 そして、首の肉の大半を喰い千切る。

 男は、ビクンッと大きく痙攣を起こして、その場で膝を崩した。

 手に持っていた刀も、大量の鮮血と共に、ガランと玄関に落ちる。

 屍鬼どもは倒れた男に群がった。四肢、胴体と容赦なく喰らいつく。


「わああああああ――ッッ!」


 槍を持っていた青年が、横薙ぎに槍を振るった。

 穂先が滑らかに空気を切り裂き、数体の屍鬼どもの首を刎ねた。

 首を刎ねられた屍鬼どもは、糸が切れた人形のように倒れた。

 相も変わらない凄まじく鋭利な刃だ。

 ――が、それによって、残りの屍鬼どもの標的に、槍の青年はされた。


「「「があああぁああああ―――ッ」」」


 涎を撒き散らして、青年へと襲い掛かる!

 そのおぞましさは、昨夜までの化け物の比ではない。


「――ひいッ!」


 槍の青年は、恐怖で身を竦ませた。


「危ねえ!」


 それに素早く反応したのは岳士だった。

 手に持った斧を屍鬼に投げつける!

 一体が斧で吹き飛ばされる。


「逃げろ! 旅館の奥にだ!」


「あ、ああ! 分かった!」


 槍の青年は、ハッと正気に返った。

 武器の山から刀を二本取って廊下を走り出す岳士と、後に続く他の仲間たち。

 槍の青年も、一振りで間合いを取ってから、彼らの後に続いた。

 だが、その後を屍鬼どもが追ってくる。

 骨が欠け、肉が削ぎ落ちた緩慢な動きではない。

 獣のように、四肢を使って追ってくるのだ。


(あれが弱敵だと!)


 走りながら、岳士は歯を軋ませた。

 いきなり、大切な仲間の一人を失ってしまった。


(確かにこれまでの化け物よりは弱えェ。だが、何なんだあの数は!)


 ここだけでも十数体はいる。

 旅館の外には、さらにいるに違いない。


「何が一人も死なねえかも知んねえだ!」


 岳士は吐き捨てた。


「あの屑野郎! 今夜で俺らをみなごろしにする気だ!」

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