幕間一 ある日の残影

第11話 ある日の残影

 ――それは、月が輝く夜のこと。

 夜空の星明かりが、とても澄んでいた時代。

 美しく剪定された庭園を、真刃は屋敷の軒先から見つめていた。

 濃い鼠色の和服を着た彼の傍らには、庭園の地を満たすほどの灯火が輝いていた。

 すると、


「凄いですね。まるで精霊の園みたい。これってすべて従霊なんですか? 真刃さん」


 不意に声を掛けられる。目をやると、そこには紫色の和装を纏う少女がいた。

 歳の頃は十四、五か。幼いながらも月明かりによく映える美しい鼻梁。

 肩に届かない程度に伸ばした黒髪が、まるで清流を思わせる綺麗な少女だ。


「こいつらは、いつもオレの傍にいてくれるからな。普段は自由にさせている。それよりも」


 真刃は眉をひそめた。


「また来たのか。紫子」


「当然来ますよ」


 少女――紫子は、ムッとした表情を見せて頬を膨らませた。


「だって、真刃さん、私が来ないと、全然ご飯を食べてくれないじゃないですか」


「……食事ならば、最低限には摂取しておる」


 真刃は淡々と返した。紫子は、ますます不機嫌になった。


「もうそんな捻くれたことを言って。そんなことばかり言うのなら、今日から私もここに住み込みますからね」


「やめろ」真刃は嘆息する。「そんなことをすれば嫁の貰い手がなくなるぞ」


「あら。それなら真刃さんが私を貰ってくださいな」


 言って、紫子は真刃の腕にしがみついた。灯火たちは歓迎するように彼女の周囲を舞う。

 真刃は、少女を邪険に振り払いはしないが、眉をしかめた。


「冗談はよせ。危うくそうされそうになったことを忘れたのか?」


「……忘れてませんよ。凄く怖かったですから」


 紫子は、真刃の顔を見上げた。


「だけど、そこから助けてくれたのは真刃さんです」


「……オレはあの男がやったことが、許せなかっただけだ」


 静かに拳を固める。


「何も知らず、あの男に言われるがままに生きてきた自分に腹が立っただけだ」


「真刃さん」紫子は、目を細めて告げる。「あのままだと、私は『花嫁』にされるところでした。あの男自身か、あなたの。美子叔母さまのように」


 ギュッ、と真刃の腕を強く掴む。


「けど、真刃さんはあの男に逆らい、囚われた私に手を差し伸べてくれた」


「……それは」


 真刃は、言い淀む。彼女に手を差し伸べたのは、あの男に対する激しい怒りと、顔も知らない母の幻影を彼女に重ねたからだ。


『――クハハ、お前を攫ったのは他でもない』


 父の声が、脳裏に蘇る。

 昔から、あの男は調子に乗ると、自分のことを意気揚々と語り出す癖があった。

 あの時もそうだった。

 座敷牢に捕らえた紫子の前で、あの男は初めて母のことを詳細に語リ始めたのだ。

 かつて自分が行った行為のそのすべてを。


『要するに二人目が欲しいのだ。さらに質の良い二人目がな』


 母の過去と、紫子の未来を語るあの男は、到底許せる人間ではなかった。

 真刃は愕然とした。心臓が痛いほどに疼く。怒りで視界まで歪んできた。


 ――操り人形のように生きてきた自分の中に、これほどの激情があったのか。

 もしくは、知らず知らずの内に、顔も知らない母に愛情を求めていたのか。

 いずれにせよ、気付いた時には、真刃は父を殴り飛ばしていた。


 ――そう。この時、初めて父に逆らう理由が出来たのである。

 本来ならば、素手でさえ人など粉砕できる真刃の拳。しかし、わずかなりとも親子の情らしきものがあったのか、真刃はあの男を殺すところまでは出来なかった。


『……失せろ。二度とオレの前に現れるな』


 そう吐き捨てると、父は悲鳴を上げて逃げ出した。

 その後、真刃は、囚われた紫子に手を差し伸べたのである。

 だが、今はこう思う。


(あの時、手を差し伸べられたのは、むしろオレの方なのだろうな)


 紫子の視点からすれば、真刃は恐ろしい誘拐犯の一人だ。

 彼女には、人擬きである自分の手を振り払うことも出来たはずだ。

 それでも、彼女はこの手を掴んでくれた。怯えを抱きつつも、真摯な眼差しで見つめて。


『私は、これでも人を見る目はあるんですよ』


 後に紫子は、そんなことを真刃に告げた。


(このオレが「人」、か)


 真刃は、雲がかかる月を見上げて遠い目をした。

 すると、


「……真刃さん」紫子は、トスンと真刃の腕に頭を乗せて告げた。「ちゃんと私のことも貰ってくださいね。が正妻なら、私は妾でも、隷者でも構いませんから」


 真刃は紫子を見つめて、渋面を浮かべた。


「何だそれは。冗談はよさんか」


「……いえ、冗談って訳でもないんですけど」


 紫子は目を細めて微笑む。


「本当に真刃さんは仕方がない人ですね」


 と、その時だった。


「やあ、真刃。紫子も来ていたのか」


 再び声を掛けられる。

 真刃たちが目をやると、そこにはスーツを着た人物がいた。

 真刃と、さほど歳の変わらない青年だ。

「お兄さま」と紫子が呟き、「大門か」と真刃が双眸を細める。


「真刃。そろそろ三ヶ月。この屋敷の住み心地はどうだい?」


 温和な顔つきの青年――大門丈一郎が、微笑みと共に尋ねてくる。

 真刃は表情を変えずに答えた。


「悪くはない」


 真刃は、再び月と星に照らされた庭園に目をやった。


「だが、化け物を隔離する檻としては脆すぎるな。不用意だぞ」


「……全く君は」


 大門は嘆息すると、紫子に目をやった。


「紫子。僕はこれから真刃と話がある。少し席を外してくれないか」


「……分かりました」


 紫子は少し不服そうであったが、大門家の当主でもある兄に従った。真刃の腕を名残惜しそうに放し、一礼すると廊下の奥へと消えた。従霊たちも気を利かせてその場から消える。

 それを見届けてから、大門は厳しい眼差しで真刃を見据えた。


「……真刃。自分を卑下するようなことはもう言うなよ」


 一呼吸入れて、


「少なくとも、僕にとって君は妹を助けてくれた恩人であり、友人だと思っている。化け物だなんて思っていない。そもそも、僕らは血縁的には従兄弟になるんだよ」


「……従兄弟か」真刃は、やはり表情を変えずに大門を見やる。


「ならば、オレがどうやってこの世に産み出されたのかも知っているだろう。お前の叔母――オレの母親にされた者が、どのような末路を迎えたのかも」


「……それは紫子から聞いたよ」


 大門は神妙な顔をした。


「当時まだ十代半ばだった美子叔母さんが、君の父親に攫われて、一体どんな目に遭わされたのかも。けど、それは君のせいじゃない。悪いのはその男であって……」


オレにはその男の血が流れている」


 真刃は淡々と事実を告げる。父に対しては、もう何も感じなくなっていた。


「所詮は人擬き。しかも、人の部位に流れるのは外道の血だ。他の連中が望むように、早めに始末した方がいいぞ」


「――真刃!」


 温厚な青年は、より表情を険しくした。


「そんなことを言うなよ。いくら僕でも怒るよ。それに、君を受けれてもらうために、今もお嬢さまは必死に奔走されているのに――」


「……か」


 脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。


『真刃は、もっと幸せであることを思い知るべきだわ』


 そんなことを言って、微笑む少女だ。

 どこか遠い眼差しをして真刃は口角を崩した。


「……無駄なことをする。オレは捨て置けと言ったぞ」


「それでも捨てられないのが、お嬢さまなんだよ」


 大門は嘆息した。


「何にせよ、君は大門家に帰属することになるよ。ただ、その前に《隷属誓文》を使われることになると思う」


「……《隷属誓文》だと?」


 真刃は、ピクリと片眉を上げた。大門は頷く。


「戦闘時に使用できる従霊は三体までとする。それが君の《制約》だ」


「ふん」真刃は鼻で笑った。「それはまた中途半端な《制約》だな。オレの力を削ぐ首輪ならば素直に絶対服従でも誓文させればいいものを」


「そんなことは、流石にお嬢さまが許さないよ」


 大門は苦笑を浮かべた。


「ともあれ、これからは僕と同様に、君も軍属の国家引導師だ。そういう自暴自棄な考え方は改めてくれ。でないと」


 大門は肩を竦めて告げる。


「不機嫌になったお嬢さまに、ひっぱ叩かれることになるからね」


「それはいいな」


 そこで初めて真刃は笑った。この上なく皮肉気な笑みだったが。


「さらに怒らせればいいのか。そうすれば、オレを消し炭にしてくれる」


「……真刃」大門は眉をしかめた。


「君は、もう少し自分の幸せについて考えた方がいいよ」


「幸せだと?」真刃は、冷めた眼差しで大門を見据えた。


「それは不幸と同じ類のものだ。人の意志ではなく、あらかじめ天により定められているものだろう。ならば、オレは――」


 真刃は、月を見上げた。


「生まれ落ちたこと自体が不幸そのものだ。幸せなどあり得んな」


「……真刃。君って奴は」


 徹底的に自虐する従兄弟に、大門は嘆息した。ここまで来ると清々しくなってきた。


「とりあえず、今日のところは僕の方が引き下がるよ。けどね」


 大門は、ボリボリと頭をかいた。


「明日はお嬢さまも来られる。お嬢さまの前では、今の態度は少しだけでも改めてくれ。怒るよりもきっと悲しむよ。それだけは君も本意じゃないだろ?」


「……………」


 真刃はしばし沈黙していたが、「……善処する」とだけ告げた。


「その返事を言えるだけ、まだ更生の余地はあるようだね」


 大門は苦笑を零した。

 それから「また来るよ」と告げて、背を向けて廊下を歩いて行く。

 真刃は、そんな青年を一瞥して。


「お人好しめ」


 小さな声で呟く。あれでも大門は若くして相当な実力と名声を持つ引導師だ。

 軍においては我霊専門の秘密部隊にも所属しているため、決して暇な人物ではない。

 それでも彼は真刃に会いに来てくれた。

 そして紫子もだ。彼女もまた、毎日のように訪れては親愛を向けてくれる。

 素直に言えば嬉しくあり、有り難いとも思う。

 しかし、だ。


オレは、どうしようもなく化け物なのだぞ」


 真刃は、もう一度、月を見上げた。


もそうだ。幸せなど、人擬きに望めるはずもなかろうに」


 彼の呟きは、宵の闇に消えた。







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