第10話 保護者面談③
(あわ、あわわ……)
エルナは、緊張していた。
祝日の午後五時。保護者面談の当日。
エルナは真刃と共に、休校の学校にやって来ていた。
コツコツ、と近代的な校内の長い廊下を二人で渡る。
学校のような慣れ親しんだ場所を、真刃と一緒に歩くのは新鮮な気分だが、エルナが気になるのは真刃の格好だった。
黒のスーツに、赤いネクタイ。
普段は下ろしている前髪はオールバックで固めている。
完全な臨戦状態だ。
(お、お師さま、カ、カッコいい……)
面談のことも忘れて、凜々しい師の姿を思わず横目で見つめてしまう。
真刃のスーツ姿は初めて見るが、恐ろしく着こなしていた。
エルナは知らないが、これが、真刃が一人で依頼を受ける時の仕事着だった。
『今代において、スーツは男の戦闘服なんスよ』
という金羊の台詞を真に受けて、わざわざ腕の良い職人に、上質なスーツを数着仕立ててもらっているのである。
「エルナよ」
不意に真刃はエルナに話しかける。
エルナはビクッとして「ひゃ、ひゃいっ!」と答える。と、
「応接室とやらはこっちで良いのか?」
「は、はい。二階の奥です」エルナは、コクコクと頷いた。
「そこで大門先生が待っているはずです」
「そうか。それにしても大門とは……」真刃は、どこか優しげな顔で呟く。
「あのお人好しの一族が、今も生き残っていたとはな」
「……お師さま? 大門先生のことを知っているのですか?」
「いや。その一族の何人かをな。昔の話だ」
大門一族とは、とある大家の分家だった。
――
真刃にとって因縁深い、最強と謳われる国内最大の大家である。
大門の名を聞き、金羊に調べさせたところ、大門家も火緋神家も今も健在どころか、日本の引導師界を牽引する一族として、さらに繁栄していた。
何でも『御前』と呼ばれる者が、絶対君主として統括しているそうだ。
(
真刃は、目を細めた。
恐らく自分の『没後』に設けられた役職のようなものなのだろう。
ちなみに、例の依頼サイトも火緋神家が管理しているらしい。
本当に時代も変わったものだ、と、しみじみと思う。
「……お師さま?」
急に神妙な顔を見せる師に、エルナが首を傾げた。
「すまん。考え事をしていた」
真刃は苦笑を零す。
「それよりも、お前の保護者とやらが来たようだぞ」
「え?」師に指摘され、エルナは前に目をやった。
そこには白いスーツを着た大男がいた。
傍らには黒髪の少女――かなたの姿もある。
恐らく、別の階段を使って上がってきたのだろう。
「……ほう」大男の呟きが聞こえる。二人の方も真刃たちに気付いたようで、大門教諭が待つ応接室の前を通り過ぎて、こちらにやって来る。
「久しいな。我が妹よ」
「お、お兄さま……」
エルナは息を呑んだ。
フォスター家当主・ゴーシュ=フォスター。
フォスター家最強の引導師が、エルナの前に立つ。
――いや、正確に言えば、真刃の前にか。
「……貴様が、久遠真刃か?」
「そうだ」
巨大な壁のような大男に睨み付けられても、真刃は動じない。
「かくいう貴様は、ゴーシュ=フォスターだな」
「ああ、そうだ」
大男――ゴーシュは、ニヤリと笑う。
「どうやら、妹が色々と世話になったようだな」
「……師としてはな」
真刃は淡々と答える。しかし、ゴーシュは額面通りには受け取らなかった。
「ふん、言葉を濁すな。別にそれ自体を悪いとは言わん。意外と気の強いエルナだ。初めては力尽くか? 念入りに愛でも教え込んでやったのか?」
「…………」
真刃は、ゴーシュを見据えたまま、何も答えない。
一方、エルナは顔を真っ赤にしていたが。
そんな対照的な二人に、ゴーシュは「ふん」と鼻を鳴らした。
「いずれにせよ、お前はエルナを落とした。本家の娘であるエルナをな。フォスター家に喧嘩を売ったその度胸だけは称えてやるさ」
ゴーシュは、パチパチと気のない拍手を贈った。が、すぐに獰猛に笑って。
「だが、相応の報いは受けてもらうぞ。無論、エルナもフォスター家に返してもらう。純潔を奪われたとはいえ、エルナにはまだ使い途が幾らでもあるからな」
「……お兄さま」
エルナは、異母兄を睨み付けた。そんな妹を、ゴーシュは鋭い眼光で一瞥する。
「今の俺相手にそんな目を向けるか。完全にこの男の女になったようだな」
そう告げると、エルナはビクッと肩を震わせた。
まるで大型獣と遭遇したような威圧感。今の異母兄は臨戦の気配を放っていた。
改めて思い知る。自分とは格が違うのだと。
エルナは蒼白な顔で一歩後ずさると、
「……貴様は、人をまるで道具のように言うのだな」
真刃は、冷酷さを宿した眼差しをゴーシュに向けた。
ただ、同時にその手は、宥めるようにエルナの肩に添えられている。
「
「そうか? 俺は存外お前が気に入ったぞ」
そう言って、ゴーシュは、興味深そうに蒼い瞳を細めた。
今の自分は、威圧感を全く抑えていない。事実、異母妹は圧力に吞まれていた。
だが、目の前の黒いスーツの男は、全く揺らいでいなかった。
「面白い」ゴーシュは笑う。「どの家系にも帰属していない。在野の者でありながら、一流の実力を持つ引導師。かなたの報告も存外的外れでもないようだ」
「……その少女か」
真刃は、かなたに目をやった。黒髪の少女は、少しだけ顔を上げる。
「彼女も、貴様にとっては道具なのか?」
「ああ、その通りだ」
ゴーシュは、悪ぶれることもなく言う。
「昔の戦利品だよ。おまけ程度だと思っていたが、存外美しく育った」
そこで、かなたを一瞥して。
「こいつの母は極上の女だった。一目で気に入ってな。絶対に手に入れると決めたものだ。しかし、《
当時を思い出したのか、くつくつと笑う。
「無論、落とした後も存分に可愛がってやったぞ。戦利品の調教は、もはや《
ゴーシュは真刃とエルナを交互に見て、「ふふん」と笑った。
「その女は事故で失ってしまったが、かなたはその女の血を引いている。だから、こいつにも今夜、女の喜びを教えてやるつもりなのさ」
「……え」
エルナが唖然とした顔で、異母兄とかなたを見つめた。
そして、みるみる青ざめていく。
「お、お兄さま! まさか、その子と《
「かなたは俺の配下だ。そして《
ゴーシュは、エルナの言葉を切って捨てた。
エルナは、かなたに視線を向ける。
「あなたは、それでもいいの?」
その問いに対し、かなたは粛々と答える。
「私は、ご当主さまの道具ですから」
「あ、あなたは!」
「……よせ。エルナ」
真刃が、かなたに詰め寄ろうとするエルナを止めた。
「《魂結び》に関しては当人たちの問題だ。確かに口を出すべきではない」
「け、けど、お師さま!」
「今は引け」
――
真刃はエルナの肩を取り、小さな声でそう告げた。
「流石に、貴様の方は物わかりがいいな」
一方、ゴーシュは、ニヤリと笑った。
「ますますもって気に入ったぞ。貴様とは一度酒でも酌み交わして語り合いたいものだ」
「
真刃は、カツン、と靴音を鳴らして一歩踏み出した。
「ああ、そうだな」
ゴーシュは背中を向けた。かなたも追従する。
「では」
そして、ゴーシュは告げた。
「これ以上、教師を待たせるのも悪いしな。さっさと面談といくか」
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