第359話 昼下がりのティータイム➄

 その時。

 平日の大通りを歩く彼は上機嫌だった。

 くるりくるり、と。

 人通りが少ないこともあって、ついステッキも回転させてしまう。


「おっと、いかんな」


 これはマナー違反だ。

 彼――《恒河沙剣刃餓者髑髏》は反省する。


「しかし、久遠君は変わっていなかったな」


 歩きながら双眸を細める。

 かつて彼が最も警戒した引導師。

 本来ならば、すでに亡くなっているはずの人物だ。

 だというのに、こうして現代で相対することになった。

 視たところ、人のままでだ。


「彼は間違いなく久遠君本人だった。我霊エゴスに堕ちたようでもない。そもそも名付きになるには期間が短すぎるしな……」


 彼と対峙したのは百年ほど前のことだ。

 あれからすぐに不遇の死を迎えて我霊に堕ちたとしても、すべての我霊は獣の百年を過ごさねばならない。現時点で知性を取り戻すには時間が足りていなかった。

 まあ、エリーゼのように期間を短縮した事例もあるが、それは例外中の例外であり、極めて特殊な事例だ。排除して考えた方がいいだろう。


「……ふむ」


 餓者髑髏はあごに手をやった。


「桜華君とも会いたかったところだが、彼女も我霊ではないらしいしな。それを判断したエリーの眼力は疑うまでもない」


 コツコツと歩く。


「果たして彼らは何者なのか。大量の魂力を取り込み続ければ老化はかなり抑えられるとは思うが、他にも幾つかは考えられる手段もあるか」


 例えば、時間停止。

 彼がその能力を有していたことは、餓者髑髏は身を以て知っている。

 餓者髑髏は「ふ~む」と髭を指先で弄った。


「では、自分自身の時間を停めて今代にて解除したのか? 久遠君一人だけならばそれも可能かもしれないが、桜華君までそれが出来るのか……」


 かつて見た彼女は見惚れるほどの剣技を持っていたが、引導師としてはさほど注目するほどではなかった。そんな彼女に時間停止など出来るとは思えない。


「……ふ~む」


 餓者髑髏は円塔帽子シルクハットのつばをステッキで押し上げた。


「考えても答えアンサーは出んな。やれやれ。素直に久遠君に問えばよかったかな」


 苦笑を浮かべてそう呟く。

 まあ、教えてくれるかは疑問ではあるが。


「おっと。考え込みすぎたか」


 そこで餓者髑髏は懐から懐中時計を取り出した。

 明治時代から愛用している特注の逸品だ。

 ――千年以上の時を生きた魔人。

 だからこそ、それぞれの時代に適合することはお手のものだった。

 ここ三十年ほどの進化……特に情報媒体に関する進化は劇的であり、実に目まぐるしいものではあったが、それにも適合した。

 当然のように彼はスマホを所有しているし、ネットにも精通している。それこそ名付き我霊専用のサイトを立ち上げて運用するぐらいの知識もある。


 世界は実に便利になった。

 移り行く時代を生きてきた者として、ある意味、人間以上にそれを強く実感していた。


 だが、その一方で、こういった古い品は素晴らしいモノだと思っていた。

 こうして手にするだけで、かつての時代を思い出すからだ。

 これも一種の懐古趣味なのかもしれない。


「ふふ。吾輩にもまだ『人』らしさがあるのかも知れんな」


 そう独白しながら時間を確認する。

 今も現役で頑張ってくれている時計が教えてくれた。

 約束の時間がかなり迫っていることを。


「ふむ。少々急ぐか」


 今日はもう一つ重要な待ち合わせがあるのだ。

 呼び出したのはこちらだ。あまり待たせるのは頂けない。

 餓者髑髏は歩く速度を少し速めた。

 そうしてとある純喫茶の前に到着する。

 約束の時間まで十分ほど前だった。


 ――カランと。

 ドアのベルを鳴らして、餓者髑髏は店内に入った。

 クラシックが流れる落ち着いた内装である。

 小さくはあるが、シックな色合いで統一されている中々の趣だった。

 ただ平日であるためか、客は少なさそうだったが。


「いらっしゃいませ」


 カウンターにいる店主がそう告げる。

 同時にウェイトレスが「何名さまでしょうか?」と声を掛けてくるが、


「ああ。大丈夫だ。すでに待ち人が来ているようだからね」


 柔らかな笑みと共に片手で制し、そう返した。


「承知いたしました。では、後ほどご注文を窺います」


 ウェイトレスはそう告げると、店長の元へと向かった。

 餓者髑髏は店内を歩き出す。

 実際に待ち人は先に到着していた。


 窓沿いの一席である。

 そこには二十代前半ほどの女性が一人座っていた。

 肩までの長さで横に広がるようなカールのかかった亜麻色の髪に、漆黒のドレス。室内でありながら、魔女が身に着けるような三角帽子を被っている。

 肌は白く、顔立ちも実に美しい。右目の下にある涙ぼくろが印象的だった。

 神秘的な女性ではあるが、今は無邪気にチョコレートパフェを頬張っている。

 見ているだけで幸せになりそうな笑顔だった。


(……変わらないのは彼女もか)


 餓者髑髏は内心で苦笑を零した。

 変わったといえば髪型と服装ぐらいか。

 こればかりは流行り廃りがあるので時代ごとに大きく変わる。

 ただ、逆説的に言えば、それ以外は千年以上前・・・・・から変わらないということだ。


「あら」


 スプーンを咥えつつ、彼女も餓者髑髏の来店に気付いたようだ。


「あらら。ごめんなさいね」


 彼女はスプーンをパフェのグラスに置き、


「久しぶりね、ガー君。ちょっと早く着いちゃったから先に注文させてもらったわ」


「いえいえ。構いませんよ」


 餓者髑髏は円塔帽子シルクハットを手に取ると優雅に一礼した。


「むしろ吾輩の方こそお待たせして申し訳ない」


 一呼吸入れて、


「メールやチャットではよくやり取りもしていますが、直接お会いするのはおよそ五十年ぶりでしょうか。ようこそお出で下さいました」


 そして最大の敬意と共に、彼女の名を呼ぶのであった。


「――第参番。《傾世鏖魔性ケイセイオウマショウ魂母前タマモノマエ》殿」



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