第370話 天を照らす紅き炎②

 天を衝く炎。

 それは煌々と森を照らした。

 業火の柱の中には人影がある。

 杠葉だ。

 彼女の白装束はすでに灰となっていた。

 そして、

 ――ゴウッ!

 業火の柱が四散して消える。

 火の粉がパラパラと周囲に散った。


 業火の柱が消えた場所。

 そこにいたのは炎に覆われても無傷である杠葉だった。

 しかしながら、その姿は大きく変わっている。

 美しく長い黒髪も白い肌も変わらない。

 ただ焼失した白装束の代わりに、炎の天衣を纏っていた。

 ベースとしては巫女服か。大きな袖に外套のようになびく裾。すべてが紅い炎で造られているため、奇しくも緋袴を纏っている姿だ。そして、その右手には物質レベルまで収束された炎の大太刀を構えていた。


 まさしく火の神の巫女だった。


「その姿も久方ぶりだな」


 真刃が言う。

 神刀と契約する以前の、炎で象られた杠葉の戦闘装束だ。

 かつての時代では数度のみ見た姿である。

 いや、あの頃よりもさらに洗練されているか。


「ええ。そうね」


 一方、杠葉は苦笑を浮かべた。


「でも、正直これって一族では不評なのよ。服が燃え尽きちゃうから。けど」


 すうっと大太刀を横に薙ぐ。


「真刃が相手だもの。初手でも最低限これぐらいわね」


「……まあ、光栄と捉えておこう」


 言って、真刃は巨腕を構えた。

 数秒の間、二人は視線を重ねる。

 そして、


 ――ゴロゴロゴロッ!


 突如、雷鳴が轟いた。

 次の瞬間、杠葉は真刃の目の前にいた。

 炎の大太刀を振り下ろす!

 対し、真刃はその炎刃を巨腕で防ぐ。同時に左の拳を繰り出すが、再び雷鳴が轟くと、それは空を切った。

 激しい動きで真刃の帽子が地面に落ちる。

 今の一瞬で杠葉は真刃の背後に移動していた。

 まるで瞬間移動のような速度だ。

 真刃は巨腕で背後を薙ぐが、それも雷鳴と共にかわされた。

 杠葉は数メートル先に移動していた。

 彼女の両足からは雷光が火花を散らしていた。しかも少し宙に浮いている。


「……信じられんことをしているな」


 かつての恋人であり、戦闘の師も担った真刃が少し驚いた顔をした。


「よもや、雷に乗っているのか?」


「ええ。そうよ」杠葉が頷く。


「神刀自体はまだ使ってなくとも、神刀の加護は常にあるのよ。今の私の体は雷速であっても耐えられるわ」


「そうであってもよくそんな真似を思いつくものだ」


 流石に真刃も脅威を感じる。

 高速移動を得意とする者は数多くいる。

 例えば、杠葉と同じ術式を使う燦は超電導を利用した高速移動ができた。

 しかし、杠葉は雷そのものに乗っているのである。

 雷を飛ばすと同時に、その上に乗って移動しているのだ。

 その速度は超電導加速さえも比較にもならない。

 だが、生身でそれをやれば、たとえ魂力で強化しても人体では耐え切れない。

 そんなことが出来るとさえ考えないだろう。


「忘れないで。私は百年生きているのよ」


 杠葉は言う。


「この百年、色々と試行錯誤したわ。これもその一つ」


 直後、雷鳴と共に杠葉の姿が消える。

 ――ザンッ!

 同時に真刃は腹部に斬撃を受けた。

 衝撃を感じた時には、杠葉は大太刀を水平に構えて真刃の遥か背後にいた。

 超人的な反射速度で腹部から広く岩の装甲を展開して凌いだが、刹那でも遅れれば真刃とて無傷では済まない一撃だ。


「凄いわね。真刃は」


 炎の大太刀の柄を強く握って杠葉は振り向いた。


「今の一太刀を防いだってことは雷速さえも視認できているのね」


「これは幸運だっただけだ」


 真刃は皮肉気な笑みと共に嘆息する。


「纏っているのが猿忌でなければ間に合わなかっただろうな」


 それから自身の巨腕に目をやった。


「もはや牙ではこれ以上凌ぐのは難しいか。猿忌よ」


 一呼吸入れて、


オレに爪牙を与えよ」


『――御意』


 右の巨腕――猿忌が応じる。

 直後、岩の巨腕が崩れ落ち、代わりに真刃の全身を岩の欠片が覆った。

 それは瞬く間に形を整えていく。

 鋭い牙を固く結ぶ鬼の仮面に、紅い紋様が輝く黒鉄の全身甲冑。両肩と背面からは炎を噴き出しており、それがたすきのように宙で揺らいでいる。

 右腕のみを武装する牙に対し、より高次な強度で顕現した爪牙の武装だ。


「防御を固めてきたわね。けど」


 杠葉は真刃を一瞥して言う。


「それだけじゃあ、私の速度には対応できないわよ?」


『ああ。心得ておる』


 真刃はそう答えると、片足を軽く上げた。

 そして、

 ――ズンッ!

 強く大地に打ち付けた。

 途端、世界が移り変わっていく。

 月に照らされた森の道から、無数の紅き刃が突き立つ灼岩の世界へと。


「これは封宮メイズ?」


 灼けつく空気に包まれた世界にて杠葉は眉根を寄せた。


「どうしてこんなものを展開したの?」


 そう尋ねると、真刃は『なに。簡単な話だ』と前置きをして、


『この姿のオレが全力で動くには現実世界はいささか繊細すぎるのでな』


 右腕を薙いだ。

 同時に手甲から鋼の直刀が飛び出してきた。


『どうも昔からお前はオレが膂力任せの男だと思っているようだが……』


 真刃は深く重心を沈める。

 右腕の直刀も構える。

 そうして、


『むしろオレは速さにこそ自信があるのだぞ』


 ボソリとそう告げると同時に真刃は跳躍した。

 杠葉は目を瞠る。

 信じ難い速度の跳躍だった。頑強な灼岩の大地でなければ、地盤が大きく陥没するに違いないほどの衝撃を伴う加速である。


「――くッ!」


 杠葉は咄嗟に大太刀を構えた。

 真刃が振り下ろした直刀と交差する!

 斬撃自体は凌ぐが、重い衝撃に杠葉の体は十数メートルも後方に飛んだ。

 回転しながら飛翔する杠葉。

 天衣から炎を噴出して宙空で態勢を整えるが、次の瞬間には真刃が目の前にいた。


「――ッ!」


 杠葉は歯を軋ませながら雷に乗って回避。

 だが、一瞬遅れではあるが、真刃はそれに追いついてくる。

 幾度となく交差する炎の大太刀と鋼の直刀。

 地を蹴る轟音と雷鳴が絶えず鳴り響く。目でも追えない速度で移動する二人は、戦う場所を次々と変えた。


(結局それも馬鹿力じゃない!)


 超高速の戦闘のさなか、杠葉はそんな憤懣を抱く。

 雷速で移動する杠葉に対し、真刃は純粋な脚力で対抗してきたのだ。

 現実世界ではそんな加速はあり得ない。

 地盤が加速の衝撃にとても耐えられないからである。

 封宮メイズがなかったかつての時代では出来なかった真刃の全速戦闘だった。

 従ってこの速さは杠葉も初見だった。


(なんて出鱈目なッ!)


 冷たい汗が頬を伝う。

 これには流石に驚きを隠せなかった。

 生身で雷速に迫る脚力など驚愕するしかない。

 とは言え、まだ速さにおいては杠葉に分があった。

 繰り出した斬撃も何度かは直撃していた。

 しかし、真刃の強固な装甲を削れない。

 一方、杠葉は攻撃を受けていないが一度でも喰らえば負傷は免れない。

 即座に治癒するとしても、それは確実に隙へと繋がるだろう。

 そうなれば押し切られる可能性が高い。

 速度、攻撃の手数では上回っていても戦況はかなり厳しかった。


(だったら!)


 杠葉は後方へと雷を飛ばす。

 長い、長い飛雷だ。それに乗ることで一気に真刃から距離を取った。

 真刃も遅れて追ってくるが、その前に杠葉は大太刀の刀身に左手を添えて構えた。

 直後、灼岩の大地から炎の壁が噴き出した。

 流石に真刃も足を止める。

 が、炎の壁は囮。目晦ましだ。

 本命は天上に浮かぶ三つの大火球だった。

 天に坐する三つの大火球は螺旋を描いて真刃に迫る!

 そして、

 ――ドオォンッッ!

 凄まじい大爆発を起こした。



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