第八章 天を照らす紅き炎

第369話 天を照らす紅き炎①

「お願い。私を殺して。真刃」


 そう願う杠葉に、真刃は無言だった。

 ただ静かに彼女を見つめている。

 沈黙が続く。

 そうして、


「……少し歩くか」


「ええ。そうね」


 真刃の提案に杠葉は頷いた。

 縁側から立ち上がる。

 そして二人は並んで庭園を歩き出した。

 この離れは日本庭園で囲われている。さらに奥は森で覆われており、その森を抜けることで火緋神家の本邸へと続くのだ。

 二人は庭園を抜けて森の中へと入っていった。

 森と言っても道幅は広く、参道のような趣がある場所だ。

 月の光も差し込んで、灯がなくとも充分に明るい。

 実に静謐な森だった。

 二人が出会い、生きた時代を思い出させる場所だった。


「「…………」」


 二人は無言で歩く。

 その一歩一歩に複雑な想いと重みがあった。

 ややあって、


「……燦と月子ちゃんは迷惑をかけてない?」


 杠葉が真刃にそう尋ねた。


「……そうだな」


 真刃は足を止めた。杠葉もそれに倣う。


「二人とも良き娘だ。月子はいささか我慢をしすぎるところもあるが、燦は……」


 そこで苦笑を浮かべる。


「とても活発な娘だ。まるで昔のお前のようだな」


「……あら」杠葉は小首を傾げた。


「私はあそこまでお転婆じゃなかったわよ」


「よく言う」


 真刃は杠葉へと目をやった。


「燦の方がまだ愛らしいぐらいだ。お前の破天荒さにはオレのみならず大門や紫子がどれほど振り回されたと思っておる」


「……そこまで酷かった?」


「ああ」真刃は頷く。


オレにとってはまだ二年も経っておらんからな。鮮明に憶えておる。お前はよくも悪くも行動力のある娘だった。勝手に我霊討伐に乗り出した時など大門が青ざめていたぞ」


 少女時代の杠葉は実に活発だった。

 やること成すことすべてに自信に満ち溢れていたせいかもしれない。

 考える前に行動していることが多々あった。


「そ、そうだったかしら?」


 頬に指先を当てて顔を強張らせる杠葉。

 なにせ、彼女にとっては百年前のことだ。少女時代の思い出の美化もあって、自分の無鉄砲な行動は曖昧な記憶になっていた。


「私はもう少しお淑やかだった気が……」


「記憶を改竄するな」


 一方、かつての恋人は容赦ない。

 真刃は嘆息しつつ、


「何かにつけてすぐに拳が飛ぶか発電していたぞ。まあ、根本においては正義感からの暴走ばかりではあったが……」


 当時を思い出しながらそう語る。

 杠葉は「うぐ」と呻いた。

 真刃は「やれやれだな」と苦笑を零す。

 それから二人は歩きながら思い出を語り合った。

 真刃は苦笑いが多かったが、杠葉は徐々に笑顔を見せるようになった。

 まるであの頃のように二人は森の中を歩いた。


「けど、真刃も変わったわ」


 杠葉が少し不満そうに言う。


「昔は私と紫子だけでも受け入れるのにあれだけ時間がかかったのに、今は八人もの女の子に囲まれているんでしょう?」


「……う、む」


 流石に真刃も気まずげな表情を見せる。

 そんな彼を杠葉は後ろ手を組み、ジト目で下から覗き込んだ。


「燦と月子ちゃんのことは流石にギョッとしたわよ。それに桜華さんも……」


 少し双眸を細めて、


「彼女に関しては安心したわ。ようやく想いが届いたんだって」


「…………」


 真刃は無言で杠葉に目をやった。


「彼女のことは大切にしてあげてね」


 垂れる髪を片手で抑えて、杠葉は頭を上げた。 

 そして、


「そろそろ頃合いかしら」


「…………」


 真刃は沈黙したまま、足を止める。

 杠葉は一人、前へと進んで、三メートルほど先で停止した。

 数瞬の間を経て、


「……真刃」


 杠葉は真刃の方へと振り返った。


「お願い。私を殺して」


 微笑んでそう願った。

 真刃はしばし無言だったが、おもむろに右手を横に出した。

 同時に、ボボボッと鬼火が現れる。

 従霊の長である猿忌の鬼火だ。


「……猿忌よ」


『……御意』


 主の呼びかけに猿忌は応じる。

 すうっ、と鬼火が零れ落ちるように地面へと沈み込み、その直後、大地が真刃の腕へと収束されて、炎を噴き出す岩の巨腕と化した。


 ギシリ、と。

 巨腕の拳が強く固められる。


 一方、杠葉は何もしない。

 無防備のまま、断罪の時を待っていた。

 それに対して真刃は、数秒ほど沈黙を通して、


「気に喰わんな」


 今の心情を吐露した。

 杠葉は「え?」と眉をひそめた。


オレはお前を殺すつもりで来た」


「……ええ。分かってるわ」


「ならば問おう」


 巨拳を降ろして真刃は問う。


「刺客を前にして、火緋神家の長はどうして構えぬ?」


「…………」


「お前はあの日、大義を以てオレを止めたはずだぞ」


 その問いかけにも杠葉は答えない。

 真刃は言葉を続ける。


「だが、今のお前は何だ? ただ死を望むだけの女か?」


「……何が言いたいの? 真刃」


 杠葉が尋ね返す。

 すると、


「戦え」


 真刃は率直に告げた。


オレは火緋神杠葉ではなく、火緋神家の長を殺しに来たのだ」


 一拍おいて、


オレはお前のあの日の選択を否定しない。お前が今日まで築き上げたモノを否定しない。苦しくとも懸命に生きた日々だったのだろうな」


 真刃は杠葉を見据える。


「そう。今宵までお前は火緋神家の長として生きた。そこには喜びも矜持もあったはずだ。だというのに今のお前は何だ? 昔の男への想いに引きずられて抗うこともなく死を受け入れるのか? それが火緋神家を統べる当主として正しい行いなのか?」


「…………」


「お前は火緋神家最強の引導師なのだろう? 一族を守る責務はどこに行った?」


「……真刃」


 杠葉は唇を強く噛む。


「……あなたの言いたいことは分かったわ。けれど、私は――」


「最期まで貫き通せ」


 彼女の声を遮って真刃は言う。


「選んだ道を迷うな。オレはお前の生きた道を否定しない。お前自身も否定しない。だが、これだけは言わせてもらうぞ」


 真刃は巨腕を前に出して、再び拳を固めた。


「あの日、道は違えてしまったが、オレが愛した火緋神杠葉という女は誇り高い女だった。最期の瞬間までそれを知らしめてくれ」


 そう強く願う。

 杠葉は大きく目を見開いた。

 数秒間、静寂が降りる。

 そして、ギュッと拳を固めて、


「……酷いわね。真刃」


 泣き出しそうな顔で杠葉は笑う。


「最期を前にしてそんな我儘を言われるなんて思ってもいなかったわ」


「何を言うか」真刃は鼻を鳴らした。


「我儘で言うのならば、お前の方が数段上手のはずだぞ」


「……それを言われると返す言葉もないわね。けど」


 杠葉は大きく息を吐き出すと、長い髪をかきあげた。


「確かにあなたの言う通りだわ。最期の最期だけは『火緋神杠葉』に戻りたいなんて、私の方こそが我儘だったのね」


 そう呟いて、真刃を見据えた。


「私は火緋神家の長。足掻きもせずに死ぬなんて許されないことだったわ」


「ああ。その通りだ」


 真刃は笑う。

 杠葉の表情には覇気があった。

 かつての頃と同じ輝きだ。


「それでこそ杠葉だ。愛おしくて抱きしめたくなるな」


 そんなことを口にする。

 それに対し、杠葉は苦笑を浮かべて、


「もう。お婆ちゃんをときめかさせないでよ。ぎゅっとされたくなるじゃない」


 そううそぶく。

 が、すぐに表情を引き締めて、


「……じゃあ行くわよ。真刃」


 そう宣告した。

 直後、杠葉を中心に、業火の柱が昇り立つのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る