第417話 零妃/逢魔が時代③

(やはり千年せんねんれい……)


 仮面の下で杠葉は双眸を細めた。

 予感はあった。

 なにせ、あまりにも生還者がいない。

 この状況は嫌でも最悪の存在を想像する。

 だからこそ杠葉は一人で来たのだ。

 そして立ち会った瞬間、それは確信に変わった。


(それにしても第参番か)


 千年我霊の情報は極めて少ない。

 目撃者があまりに少ないこともあるが、そもそも相手が名乗らないこともある。

 例外は第陸番ぐらいで、その他はほぼ闇に覆われている。

 怪異名から二体は女の我霊だと考えられているが、その内の一体に当たったようだ。

 千年我霊の番号は確認された順だ。強さの序列ではない。

 だが、そもそも全員が別格の怪物であることには変わりなかった。

 こうして対峙していると、それがよく分かる。


『……あれは、まごう事なき怪物だったな』


 かつて第陸番と遭遇したの言葉を思い出し、ズキンッと心が痛む。


(……強敵だわ。だけど)


 杠葉は神刀の柄を強く掴んだ。

 これは好機でもある。

 神威霊具を持つ自分が千年我霊と遭遇した。

 ここでこの女を討てば、七つの邪悪の一角を崩せるということだ。


 ――すうっと。

 杠葉は神刀を水平に構えた。

 そして雷鳴が轟いた。

 同時に杠葉は、すでに間合いを詰めている。

 雷に乗って移動したのである。

 杠葉は間髪入れず横薙ぎを繰り出した!

 しかし、

 ――ギィンッ!

 神刀の一太刀は防がれた。

 魂母前の腕にいつの間にか握られていた矛で凌がれたのだ。

 魂母前は衝撃の勢いに乗って大きく後方へと跳んだ。


 くるりと矛を振るう。

 穂先に赤い飾り。漆黒の柄に閉じた無数の口が刻まれた不気味なぼうである。

 あまりにも禍々しい気配を放っている。

 一目で真っ当な霊具ではないことが分かった。


「せっかちな子ね」


 みなごろしの魔性がクスクスと笑う。


「けれど、神威霊具はやっぱり怖いわ」


 言って、蛇矛の柄を見やる。そこにはうっすらと裂傷があった。


「私が大陸にいた頃から愛用しているこの子は結構な霊具なのよ。一太刀で損傷を入れられたのは初めてのことだわ」


「――そう」


 杠葉は静かに神刀を薙いだ。


「次はそれごと胴体を二つにしてあげるわ」


「まあ、怖い」


 蛇矛を胸に抱きしめて、魂母前は微笑む。


「これは私も少し真剣になる必要がありそうね」


 そう告げた。

 そして蛇矛を掲げて命じる。


「喰らいなさい。『へび』」


 直後、柄にある無数の口が開き、絶叫を上げた。

 戦場でなければ思わず耳を塞ぎたくなる金切り声だ。

 杠葉も表情を強張らせる。と、

 ――ごとり。

 突然、そんな音がした。

 それで終わりではない。次から次へと音が続く。

 思わず目をやると、それは村人たちが倒れていく音だった。

 泣き叫んでいた少女も糸が切れたように、変わり果てた恋人の上に倒れ込んだ。


「――――な」


 杠葉は息を呑んだ。

 気絶――いや、違う。恐らくは死んでいる。


「素敵な異能でしょう?」


 魂母前が微笑みと共に説明する。


「この声を聞くと、心が弱った者は死に至るのよ」


「――何故ッ!」


 杠葉は魂母前を睨みつけて叫ぶ。


「どうして彼らを!」


「え? だって邪魔じゃない」目を瞬かせて魂母前は答える。


「彼らがいると、あなたはどうしても気になるでしょう? 私としてはあなたに気を利かせたつもりなんだけど? それに」


 彼女は蛇矛を愛しげに撫でて。


「純粋な戦力強化ね。この子はこの異能で人を殺すとより強く硬くなるのよ。神威霊具ほどじゃなくても、この子も困ったぐらい業の深い子だから」


「……あなたは」


 ギリと杠葉は歯を軋ませた。神刀の柄も強く握りしめる。

 これ以上の問答は不要だと感じた。

 杠葉の殺気に、魂母前も沈黙で返した。

 ただ静かに、蛇矛の矛先を杠葉に向けた。

 いつ崩れてもおかしくない緊迫した時間が続く。


 ――が、その時だった。






「……なんとも興醒めよな」






 その声は唐突に本堂に響いた。

 静かであり、厳かなる男性の声である。

 杠葉は、その声にゾッとした。

 鼓動が跳ね上がる。全身が危機を告げていた。

 一方、魂母前は本殿の奥へと目をやって、


「……あのォ」


 蛇矛を杖にしてもたれかかりつつ、大きく嘆息した。


「ここで祭神さまにお出でになられては、教主役の私の立場がないのですが?」


「それはそちが悪い」


 男性の声はそう断じる。

 直後、音もなく本殿の奥にあった扉が削られた。

 真紅の大扉が、縁まで削るほどに大きく円状にくり抜かれたのである。


 扉の奥。

 そこにいたのは、恐ろしいほどに美しい女性だった。


 年の頃は二十歳ほどか。

 地につくほどに長い髪。絹糸のような質の髪は白く、純白の河のようだ。

 身に纏うのは白い祭服。その美しさから白拍子のようにも見える。

 だが、彼女は片膝を立てて胡坐をかいていた。

 手には赤い盃。その神秘的な容姿からは考えられない酒豪のような仕草だ。

 女性は一息に盃を呑み干して、


「余の興を奪いおったのだ。落胆の声も零れよう」


 そう告げる。その声は先程の男性のモノだった。

 驚くことに誰が見ても女性にしか思えないこの白い美女は男性らしい。


「ああ~、そうでした」


 それに対し、魂母前は気まずげに頬をかいた。

 その視線は、自身が殺した少女に向けられている。


「彼らは祭神さまのお気に入りでしたね」


「さよう」白い男は言う。


「かの少年少女の行く末には余も久方ぶりに興が触れた。この舞台の手腕には流石は鏖魔性よと称賛もしておった」


「それは光栄ですが……」


 パンと手を重ねて魂母前は「ごめんなさい」と謝罪する。


「私は予期せず、あなたの愉しみを奪ってしまったのですね」


「興の移ろいやすきは、そちの悪癖よな」


 いつしか再び酒で満たされた盃に口を付ける。


「だが、許そう。此度の遊戯はそちの誘いゆえに」


「感謝いたしますわ」


 魂母前は軽く頭を垂れた。

 そんな彼らのやり取りに、杠葉は割り込む言葉がなかった。


(……どういうことなの?)


 困惑する。

 本殿の奥にて座るあの男が人でないということは分かる。

 恐らくは名付き我霊。

 だが、名付きの頂点である鏖の魔性に対するあの泰然とした態度は――。


「……ああ。時にそこな娘よ」


 そこで男は、初めて杠葉の存在に気付いたように尋ねる。


「余には訊いてくれぬのか? 余が何番・・かやと」


 ――ぞわり、と。

 杠葉の背筋に悪寒が奔った。

 神刀から炎が噴き出した。仮面も巫女服も焼き尽くして、杠葉は炎の天衣を纏った。

 そして神刀を振り上げて白い男へと跳躍する!


「……ほう」


 対し、男は座ったまま双眸を細めた。


「懐かしきかな。其は《火之迦ひのか具土ぐつち》か」


 そう呟くと、ゆっくりと細い指先を杠葉に向けた。

 すると、

 ――ゴウッ!

 凄まじい風圧が杠葉に直撃した。

 そのまま吹き飛ばされて、杠葉は壁に叩きつけられる!


(――クウッ!)


 杠葉はすぐさま立ち上がるが、舌打ちする。

 今の一撃は真横からの衝撃だった。

 そこには蛇矛の穂先を向ける魂母前の姿があった。


「……はあ」


 魂母前は深々と嘆息した。

 そして、


「……祭神さま」


 半眼の眼差しを白い男に向ける。


「勝手に殺そうとしないでくださいまし。意趣返しですか? この子は私の愉しみなのに」


 少し頬も膨らませてそう告げると、


「クハハ、許せ。鏖魔性」


 美しき男は大らかに笑った。


「懐かしき太刀ゆえにな。つい指先が向いただけよ。されど」


 男は伸ばした指先をあごへとやった。


「そちから愉しみを奪うことには変わりないな。《火之迦ひのか具土ぐつち》の娘よ」


 男は片膝をつく杠葉を見やる。


「吉報ぞ。余と鏖魔性はこの地より去る」


「「………え?」」


 奇しくも杠葉と魂母前の声が重なった。

 杠葉はもちろん、魂母前も驚いた顔で男を見つめている。



「『神租シンソ』『大君タイクン』『鏖魔性オウマショウ』『伽藍眸ガランボウ』『牙我王ガガオウ』『餓者ガシャ』『雷帝ライテイ』」



 男は詠うように、それらの言葉を紡ぐ。


「天の七座とその眷属は、今宵より九千の夜、沈黙の時を迎えよう」


「……どういう意味よ?」


 杠葉が立ちあがり、白い男を睨み据える。


「《火之迦ひのか具土ぐつち》の娘よ。そして鏖魔性よ。余は思うのだ」


 男は言葉を続ける。


「時代は大きく変化した。槍や弓で争っていた時代ではない。武具はより無慈悲となり、人は塵芥の如く散る。新たに生まれる同胞はらからは溢れんばかりだ。今代はまさに」


 一拍おいて、


「魔が跋扈ばっこする時代。逢魔が時代ときよ」


 だが、と続けて指先を天上に向けた。


「つまらぬ時代よな」


 その呟きと同時に天井が大きく穿たれた。

 夜空が解放され、月の光が差し込んでくる。


「星は夜の闇の中でこそ美しい。されど、底知れぬ闇の中では光は消え去る。大戦おおいくさに貧困、恐慌、先の見えぬ道。今代の人の子らは絶望に伏しておる」


 男は小さく嘆息した。


「このままでは闇がこの国を覆うことになろう。ゆえに我らは姿を隠すのだ」


「そういうことですか……」


 白い男の意図をいち早く理解したのは魂母前だった。

 死体だらけの周囲を見渡して嘆息する。


「確かに今の子たちはあまりにも転がり・・・やすいですわね」


「さよう。生き疲れておるのだ。ゆえに、かの少年少女には期待したのだがな」


 白い男は皮肉気に口角を崩す。

 魂母前は「意地悪なことは仰らないでくださいまし」とかぶりを振った。

 一方、杠葉は険しい表情を浮かべていた。


(これが千年我霊……名付き我霊の在り様……)


 かつて第陸番と対峙したから、名付き我霊とは人の輝きを観るために悲劇を自演すると聞いていた。それは第陸番だけに限られた話ではないということか。


「ゆえに、我らは九千の夜の間、姿を隠そう」


 白い男は言う。


「されど、我らが不在といえども我霊の奔流は止まらぬ。これは時代の潮流ゆえに。そちら引導師はそれを塞ぐことに尽力せよ」


 ふっと笑みを零す。


「再び人の子らが活力を取り戻す日までな」


「……身勝手な言い草ね」


 杠葉は忌々し気に吐き捨てる。


「だが、そちらにとっては吉報であろう」


 男は双眸を細めた。それから魂母前を一瞥し、


「弔うぞ。よいな?」


「彼らは祭神さまの信徒です。御心のままに」


 恭しく魂母前は頭を垂れる。


「余の信徒らよ」


 男は穏やかな声で告げる。


「よくぞ生き尽くした。此度は輪廻へと還るがよい」


 途端、死体の一部が床ごと消えた。空間が抉られたような消え方だ。

 それは次々と起こる。まるでこの社ごと消し去る勢いだ。

 あまりの勢いに杠葉はゾッとする。

 本殿から飛び出し、飛行して空中へと退避する。

 地上へと振り返った時、さらに背筋が凍った。

 そこには何もなかった。

 跡地に無数の大穴だけを残して、あれだけ巨大だった大社が消えていたのだ。



『では、《火之迦ひのか具土ぐつち》の娘よ』



 あの男の声がする。

 だが、その姿はすでにどこにもない。魂母前の姿もだ。



『さらばだ。そちは人のために尽力することだな』



 あの男はそう告げた。

 それ以降は何も聞こえてこなかった。


(………くッ!)


 杠葉は強く唇を噛んだ。

 誰一人、救うことが出来ず。

 彼女の心には言い知れぬ敗北感だけが残った。

 これが火緋神杠葉と、二体の千年我霊の最初の邂逅だった。


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