第416話 零妃/逢魔が時代②
火緋神家の御前・火緋神杠葉。
長年に渡って一族を支えてきた彼女は、常ならば火緋神家の本邸にいる。
彼女は秘密のヴェールで隠された存在だった。
しかしながら、そんな彼女も頻繁に表舞台に立つ時代があった。
それが昭和時代の戦時と戦後である。
輪廻の守護者たる引導師は、人の争いには不介入。
それは全世界においても共通の大原則だった。
そのため、他国も自国も引導師は戦争には参加していなかった。
そもそも戦時の引導師たちに介入の余力はなかった。
戦争ほど理不尽に命を奪う行いはない。
未練を残さずに死ぬ人間の方が少なかった。
特にこの時代の戦争は、過去最悪の我霊発生率を叩き出していた。
大家から名も知れない家に至るまで、各家は未熟な引導師まで総動員して我霊討伐に臨み、かろうじて世界の均衡を保っていたという。
それは戦後の十年間まで続いた。
まさに混沌たる時代だった。
そんな混沌の中、杠葉もまた戦いの場に赴いていた。
未熟な者たちから、次々と命を落としていく深刻な状況。
最強の自分が胡坐をかいていることなど出来ない。
特に危険な案件ほど杠葉は進んで出向いていた。
そして、この案件はその中でも最悪のモノだった。
昭和初期の頃。
ある地方にて、特殊な宗教が蔓延していた。
それはいわゆる終末思想。
そして快楽主義の団体でもあったそうだ。
三欲こそが極楽浄土へと誘う。そんな教義を掲げていたとのことだ。
最初はただの新興の宗教団体と考えられていたが、訝しんだ引導師が潜入し、そのまま帰って来なかった。その後も何十人もだ。
その中には名の知れた引導師も多くいたが、やはり帰って来ない。
ただならぬ危険を感じ、火緋神家にまで依頼が回ってきたのである。
(……ここね)
月が輝く夜。
深い山奥にて開拓された地。
元々は山村だった場所に杠葉は一人佇んでいた。
その身には巫女服。顔の上半分を覆う赤い梟の仮面を着けている。
手に神刀・《
だが、状況に応じては抜剣する必要があると感じていた。
一人、山村の中を進む杠葉。
異常な静けさだ。屋内外にまるで人の気配はない。
(恐らくあそこね)
杠葉は前を見やる。
その先には大きな屋敷があった。
鳥居を持つ、荘厳な大社だ。
この山村のおよそ四分の一を占めている巨大さだった。
恐らく村人――信者たちはあそこに集まっているのだろう。
杠葉はさらに進む。
鳥居をくぐり、大社の敷地内に入る。
そこもまだ無人だ。
杠葉はさらに進み、本殿へと入った。
外見通りの広い場所だ。
奥には祭神でも祀っているつもりなのか、大仰な真紅の大扉が見える。
(……これは)
仮面の下で杠葉は眉をひそめた。
入った途端、異臭がする。数多の嬌声も耳に届く。
その場には多くの男女がいた。
半裸から全裸と様々だが、誰もが絡み合い、一心不乱にまぐわっている。
異臭は彼らから発せられていた。
恍惚とした彼らは、杠葉が本殿に入ってきたことにも気付いていない。
思わず目を逸らしたくなる光景だが、杠葉はすぐに気付く。
この中には人外がいる。
例えば、四肢が剛毛に覆われ、顔の上半分が牛になった男。怪物は少女を膝に乗せ、少女は腰を降りながら怪物に唇をねだっている。他にも巨大な目を持つ猿のような者もいれば、下半身が巨大な蛇になっている女もいる。相手はそれぞれ人間のようだ。
杠葉は化け物――我霊の頭部だけを狙って、全方位に炎弾を撃ち出した。
炎弾は我霊の頭部に直撃し、そのまま倒れ込む。
だが、助けられたはずの人間たちは悲鳴を上げて、倒れた化け物にしがみついていた。
完全に快楽に堕ちてしまっているようだ。
杠葉は強く唇を噛んだ。
と、その時。
「……ご無体なことをなさいますな」
不意に声を掛けられた。
同時に、この場にいる人間たちが「教主さま!」「ああ! 教主さま!」と一斉にざわつき、両手両膝をついてひれ伏した。
杠葉が声の方に目をやると、そこには黒い宮司姿の男がいた。
村人たちの言葉からしてこの男が教主なのだろう。
(……人間じゃないわね)
教主は顔を布で隠していたが、杠葉は見抜く。
間違いなく名付きの我霊だ。
(やはり特級案件。しかも、恐らくこいつは……)
杠葉は警戒した。
すると、教主の男は言う。
「愛し合う者を引き離すなど、なんと酷なことをされるのか」
「……よく言うわ」
杠葉は吐き捨てる。
「こいつらは知性のない我霊よ。どうせこの後は『食事』なのでしょう」
「いえいえ。存外そうはならぬ者もいたかもしれませんぞ」
言って、教主は指差した。
杠葉が教主を警戒しつつ視線を向けると、そこには先程の少女がいた。誰もが教主の男にひれ伏す中、未だ頭部の無くなった牛男の体を必死に揺さぶっている。
「田助ぇ、田助ぇ!」
と、涙を零してそう叫んでいた。
「彼らはこの村から逃げだした人間です」
黒い教主は言う。
「まだ少年と少女でした。少年は抵抗が激しく殺しましたが、少女はあえて生かしました。この『天昇の儀』に人は多い方がよいので。しかし、やはり未練が強かったのか、少年は我霊となりましたが……」
一拍おいて、「ふふふ」と笑う。
「なんと素晴らしいことでしょうか。我霊となった彼のしたことは少女の身柄を取り戻すことでした。これだけの女がいて、知性も失ってもなお彼には彼女が分かったのです」
「……………」
杠葉は静かに教主を睨みつけている。
「まあ、その後は本能のままに交配していましたが、それも愛の帰結でしょう」
「……もういいわ」
杠葉はすうっと手を横に薙いだ。
その先に虚空が開かれる。
「あなたは害悪なだけよ。引導を渡してあげる」
そう宣告して、杠葉は抜剣する。神刀・《
そして杠葉は跳躍し、教主の胸を神刀で突き刺した。
紅い刃からは炎が噴き出し、一瞬で教主を包み込んだ。
杠葉は刀身を引き抜き、後方へと跳ぶ。
同時に炎に包まれた教主はその場に倒れ込んだ。
炎は十数秒後には消えた。炭化した教主の体だけを残して。
杠葉は静かな眼差しで倒れた男の体を見据えていたが、
「下手な演技は止めなさい。あなたはこの程度では死なないでしょう」
おもむろにそう告げた。
すると、
「あらあら」
炭化した教主の体から声がする。
それは女の声だった。
「本当にご無体な子だわ」
――バキンッ!
教主の背中が割れた。
そして蛹から蝶が生まれるように裸体の女が姿を現した。
年の頃は二十代前半ほどか。
肩までの長さで横に広がる亜麻色の髪に、白い肌。その肢体は彫像のように整っている。
顔立ちもとても美しい。右目の下にある涙ぼくろが印象的だった。
裸体の女は、おもむろに虚空を開くと、そこから金糸で刺繍が施された白い着物を取り出して、それをふわりと羽織った。
「本体を晒すなんていつ以来かしら?」
女は頬に片手を当てて小首を傾げた。
「しかも私の偽体が一撃なんて。あなたのそれは――」
女は神刀を見やり、双眸を細めた。
「神威霊具ね。それも火の剣。噂に聞く火緋神の秘宝かしら?」
「……私も聞きたいわ」
杠葉は女に問う。
「あなたがただの名付きじゃないことは分かっているわ。だから率直に聞くわよ」
やや緊張を込めて息を吐き、
「あなたは
「ふふ。本当に率直ね」
女はコロコロと笑った。
「そういった子は好きよ。だから正直に答えてあげる」
言って、女は指を三本立てた。
「私は第参番よ。そして」
妖艶な笑みと共に女は名乗る。
「《
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