零妃/逢魔が時代
第415話 零妃/逢魔が時代①
それは久遠杠葉がフォスター邸に住み始めて三日目のこと。
その日は晴天。
土曜日の朝だった。
唐突に燦がこう言い出したのだ。
「ショッピングに行こう!」
杠葉にとって燦はひ孫も同然の娘だ。
しかし、実は燦と杠葉は一緒に出掛けたことがない。
杠葉の立場的にそれが出来なかったのだ。
けれど、杠葉が立場から解放された今、燦は彼女をショッピングに誘ったのである。
「あらあら」
杠葉はにこやかに笑って承諾した。
「仕方がない子ね。燦は」
言って、杠葉は燦の頭を愛しげに撫でた。
百年の贖罪の想いも呑み干して。
一人の女として我も忘れるほどに激しく愛されて。
肉体面のみではなく、精神面的にも色々と若返った杠葉だったが、やはり孫の前では優しいお婆ちゃんのままだった。
ともあれ、彼女たちは出掛けることになった。
当然もう一人の孫娘である月子も一緒だ。
行き先は駅前のショッピングモール。
土曜日の昼。
流石に人通りも多い。
しかし、そんな中でも三人は兎角目立っていた。
ホットパンツと、赤いサスペンダーを付けた黒いブラウスの燦。
麦わら帽子に、純白のワンピース姿の月子。
二人が目を惹くほどの美少女なのは言うまでもない。
だが、一番目立っていたのは杠葉だった。
やや勝気そうな眼差しに、整った顔立ち。歩くたびに微かに揺れる黒髪のショートヘアは絹糸のようだった。年の頃も十八ほど。まごう事なき美少女である。
御年百二十ではあるが、美少女である。
その上、トップスに身に着けるのは袖のない白いブラウス。大きな双丘の上には、赤いネクタイも着けている。ボトムスは丈の短い黒のプリーツスカート。その下に黒いストッキングと
いわゆるアイドル的な衣装だった。
実際にTVで見たアイドルを参考にしていた。
和装と同じほどに杠葉がよく着る服だった。
出かけるのに和装では目立つと思って洋服にしたのだが、結局目立っていた。
「……すげえ」「アイドルか?」
たまたますれ違った大学生がそんな呟きを零す。
燦と月子と一緒に歩いていると、三姉妹のようだった。
「ひい姉さま!」
燦が振り返って杠葉を呼ぶ。
ひいお婆さまでは不自然極まりないのでこう呼ぶようにしたのだ。
「まずご飯食べよ!」
燦は本当に嬉しそうだった。
杠葉との初めてのお出かけなので浮かれるのも仕方がない。
「ごめんなさい。杠葉お姉さま」
一方、月子は複雑な表情だった。
歩きながら杠葉の顔を見上げて言う。
「今日は急に連れ出してしまって……」
ちなみに月子は色々と考えた末、杠葉のことを「杠葉お姉さま」と呼ぶことにした。
「気にしなくていいわよ」
杠葉は微笑む。
「可愛い孫たちと出掛けるのを嫌がるお婆ちゃんはいないわよ」
そう言って、月子の頭を撫でた。
月子にとっても、杠葉は曾祖母同然の人だった。
しかし、燦よりも大人びている月子は少し複雑な想いもあった。
なにせ、今や杠葉は正真正銘、正妃の一人。
燦や月子と同じ立場。
(……ううゥ)
ある意味、すべての妃の中で月子が一番複雑に思っていた。
だが、それもいい加減、吹っ切るべきだった。
燦など全く気にもしていないほどだ。
月子としては、それも踏まえての今日のお出かけだった。
いずれにせよ、三人はレストランに入った。
ごく普通のファミリーレストランである。
月子は少し驚いた。
杠葉がとても自然に注文やら、ドリンクバーを利用したからだ。
正直、御前さまはこういったことは苦手……というより縁がないモノと思っていた。
そんな考えが顔に出てしまったのか、
「私だって常に引き籠りって訳でもないのよ」
杠葉は苦笑を浮かべてそう告げた。
三人は食事を済ませると、目的のショッピングに入った。
世代は大きく違えど、女性三人。
やはり最も滞在時間が長かったのは、アパレルショップだった。
そこで様々な服を購入した。三人の美少女相手に興奮しまくった店員がいて、購入意欲を掻き立てられた影響もある。ちなみに、その店員がかつて刀歌を中華風にドレスアップした人物であったということは三人には知る由もなかった。
数時間後、杠葉たちは両手いっぱいに紙袋を持って帰るところだった。
「少し遅くなったわね」
杠葉が呟く。
時刻は五時過ぎぐらいか。
歩く道路の後ろから夕陽が差し込んで、影が長く伸びていた。
「ありがとう! ひい姉さまっ!」
紙袋を二つ一緒に抱きかかえて、燦が満面の笑みで言う。
「今日は楽しかったよ!」
「ええ。私も」
杠葉は微笑む。
「私もです」月子も笑って言う。「正直、新鮮でした。だって」
そこで月子は隣を歩く燦と顔を見合わせた。
燦はにんまりと笑った。
「うん! ひい姉さまって!」
「うん。意外とセンスが若いと思った」
月子はクスクスと笑ってそう告げた。
「あら。酷いわね」
そんな二人の孫娘に、杠葉はジト目を向けた。
「私は正真正銘の永遠の十八歳なのよ。肉体が若ければ感性も若くなるわ」
「いえ、それでも微妙に古いような……」
と、月子は呟きそうになり、ハッとした。
杠葉は「……月子ちゃん?」と笑顔の上に青筋を浮かべて、
「それはどういう意味かしら?」
そう尋ねる。月子は「ひゃあっ!」と叫んで走り出した。
「アハハっ!」
燦も笑って月子の後を追って走り出す。
そんな孫娘たちを杠葉は腰に手を置き、見つめていた。
「やれやれね」
そう呟いた時だった。
「……あら。これは懐かしい気配ね」
そんな声が聞こえてきた。
それも耳元で囁かれたようにはっきりとだ。
杠葉の背筋に、ゾワリと悪寒が奔った。
目を見開いて振り返る。
逆光が差し込んできて思わず目を細めるが、
(……誰?)
長い影だけが見えた。
日傘を差したシルエット。女性だろうか。
それを確認する前にその人影は消えた。
まるで蜃気楼のような消え方だった。
(……今のは)
杠葉は眉をひそめた。
(何だったの? いえ、それよりも……)
先程の声。
どこかで聞いたような気がする。
最近ではない。
遥か、遥か遠い記憶でだ。
しかし、
(……ダメ。思い出せない)
引っ掛かりはするが、杠葉の記憶は一世紀以上だ。
声だけを頼りに探るのは難しい。
(私の記憶違い?)
そうとも考えられるが、不穏な予感だけは抱いていた。
今の時刻も影響しているのかもしれない。
夕刻。
昼と夜が曖昧な時間。
すなわち『逢魔が時』だった。
「ひい姉さまあっ!」
その時、燦が手を振って杠葉を呼んだ。
杠葉は振り返って燦たちを見やる。
二人はだいぶ先に進んでいた。
「どうしたのォ! 早く帰ろうよォ!」
と、燦が催促してくる。
(……考えても仕方がないわね)
杠葉は嘆息した。
孫娘たちを待たせるのも悪い。
「ええ。いま行くわ」
杠葉は二人の元へと歩き出すのだった。
彼女がその声の主を思い出すのは、まだ先のことである。
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