第128話 旅路④

 その時、強い風が吹いた。

 どこからともなく、桜の花弁はなびらが舞い込む。

 二人は、ゆっくりと山道を歩いていた。


 ふわり、と。

 再び強い風が吹く。


 桜の花が、山道に舞い続ける。

 それに目を奪われながら、二人は数分ほど進んだ。

 そうして――。


「うわあ……」


 御影刀一郎が、瞳を輝かせる。

 隣に並ぶ久遠真刃も「ほう」と感嘆の声を上げた。

 山道のその先は、活気のある街並みだった。


 ――『咲川温泉』。

 遂に、件の街に到着したのである。


「これはまた、凄いな」


 刀一郎が目を瞬かせる。

 二人で川沿いの道を歩く。

 軒を連ねるのは、主に土産物屋だ。

 そこには、多くの観光客の姿がある。


「想像以上に盛況だな」


「うむ」


 真刃も店舗を見やる。


オレもこういった場所には初めて来るが、珍しい物も多いな」


 ポツリと呟く。


「後で、紫子と杠葉に土産でも買っておくか」


「……ム」


 その呟きを聞き、刀一郎は少し不機嫌な顔をした。


「おい。真刃」


 言って、真刃の腕に手を絡める。


「自分とお前は、今は『夫婦』なのだぞ。他の女の名を呟くとは何事だ」


「む。そうだったな……」


 真刃は反省する。


「では、行くか。桜華」


「うん。そうだな。真刃」


 言って、刀一郎は、少し躊躇いつつも真刃の肩に頭を当てた。


「……いいか。これは偽装だからな」


 ボソリと念を押す刀一郎に、真刃は苦笑いを浮かべて「分かっている」と答えた。

 端から見れば、確かに夫婦にしか見えない。


 名も。心も。姿も。

 完全に乙女になったことで、少し大胆になっている刀一郎こと、桜華だった。


 その様子を透明化している猿忌は、何とも困った顔で見ているのだが、二人は気付かない。


 ともあれ、二人は温泉街の道を進んだ。

 任務の前に、まずは宿を確保しなければならない。


 二人は手頃な旅館を選んだ。

 西洋式建築の旅館も並ぶ中、選んだのは昔ながらの和の旅館だ。

 着物姿の女将に案内され、記帳に二人の名を記す。

 そこに『久遠桜華』と書く時、刀一郎が密かに緊張したことは言うまでもない。

 しかし、そこで刀一郎は、とある問題に気付いた。


「……ほう。良い部屋だな」


 満足げにそう告げる真刃の隣で硬直している。

 案内された一室。

 そこは十五畳ほどの部屋。窓際が板張りになっており、木製の椅子が二対ある。

 二階の部屋で窓から見える外の景色もなかなか良い。

 悪くはない部屋だ。広さ的にも申し分ない。


 ただ、問題なのは――。


「ど、同部屋なのか!?」


 思わず刀一郎は声を張り上げた。

 ――そう。ここは、真刃と刀一郎の二人の部屋なのである。


「……? いや、当然だろう?」


 一方、真刃は目を瞬かせる。


「お前も言った通りオレたちは夫婦だ。別室を取る理由もあるまい」


「い、いや、それはそうだが……」


 そう呟きつつも、


(ふあっ!? ふああっ!?)


 刀一郎は、グルグルと瞳を回していた。

 ――そうだった。これは当然だった。

 自分たちは今、夫婦なのだ。

 ならば、同室なのは自然な流れだ。むしろ恋人だろうか、夫婦だろうが、男女が二人で温泉街に来て別室などあり得ない。

 この案を提示した上官も、久遠真刃も、刀一郎を男だと認識している。

 だからこそ、同室に関しては、特に意識することでもなかったのだろう。

 しかし、正真正銘の女である刀一郎にしてみれば全く違う。


 まさに大問題だった。

 今は女の姿をしているが、実はさらしだけはしっかりと巻いている。

 着物は、その下の体型は分かりにくいものなので一度だけ素で着てみたのだが、刀一郎の女性の象徴は想像以上に主張が激しかった。このままでは流石に気付かれてしまう。

 そのため、普段通りにさらしを巻いて誤魔化したのだ。


 だが、同室になると、そういった小細工も出来なくなってしまう。

 ――いや、そもそも女であることを隠し通すこと自体が困難だと言える。


(どうしよう!? どうしよう!?)


 ますますもって混乱する刀一郎。

 すると、真刃が苦笑を零して、


「まあ、オレとの同室など気が休まらんかもしれんが」


 部屋に入って、襖を開ける。

 そこには、小さな部屋があった。


「こうして二部屋ある。寝る時は別室でいいだろう」


「そ、そうだな!」


 刀一郎は、少しホッとした。

 襖の向こうの小部屋は、本当に救いだった。

 これを活用すれば、どうにか隠せるかもしれない。


「自分は一人でなければ警戒して眠れないのだ。小部屋は自分の寝室にしよう」


「……野生の獣か。お前は」


 真刃は再び苦笑を零したが、すぐに表情を改める。


「ともあれ、ここが拠点だ」


「あ、ああ。そうだな」


 刀一郎も、表情を改めた。

 それから部屋の中を進み、窓辺へと寄った。


「意外と広いからな。この街は」


 今日、街中を通っただけで、その広さ、その人の多さには驚いたものだ。

 元々の住人。さらには観光客も合わせれば、総勢は千人を超えるかもしれない。

 あまり知られていない温泉地と聞いていたが、思いの外、盛況な街である。


「この中から、たった一人を探し出すとなると骨が折れるな」


『……それもあるが』


 ボボボ、と鬼火が灯る。

 数瞬後、猿忌が部屋に顕現した。


『そもそも一度、人を使って調べている。同じことをしたところで結果は同じだろう』


「……そうだな」


 真刃は、手に持った鞄を畳の上に置いた。


「ここは、やはり別口からの調査をすべきだろうな」


「ああ」


 刀一郎は振り返って頷く。


「自分たちは調査の素人だ。それならば、第八が出向けばいい。そして、何より今回は特級案件なのだ。恐らく、黒田さまの失踪とこの案件は繋がっている。そう考えられたからこそ、分隊長殿も、自分たちを派遣したのだろう」


 刀一郎は、双眸を細めた。

 その表情はすでに乙女ではない。剣士の顔だった。


「……聞き込むべきは、怪異についてか」


 あごに手をやり、真刃は呟く。


「ここ二週間において、不可解な事柄は起きなかったか」


『あえて、件の人物の名を出さぬのもよいかもな』


 猿忌がそう言葉を続ける。

 いずれにせよ、まずは……。


「聞き込みに行くとするか」


「うむ、そうだな」


 真刃が呟くと、刀一郎も頷く。


『我は、念のために姿を消しておこう』


 そう告げて、猿忌は再び姿を消した。

 この穏やかな温泉街。

 果たして、ここに何があるのか。


「しかし、桜華」


 二人で廊下を歩きながら、真刃が言う。


「お前、その口調と、自身を『自分』と呼ぶことは何とか出来んのか?」


「ム」


 刀一郎は、真刃を睨みつけた。


「この口調は、自分の幼少期からのモノだ。そして自分は『自分』なのだ。女になろうと、こればかりは変えられん」


「……女装は受け入れたというのに、妙なところで拘るな。お前は」


 真刃は呆れるように口角を崩した。

 こうして。

 久遠真刃と、御影刀一郎こと、久遠桜華が経験した最大の事件。

 通称、『黒田事案』の幕が開けたのであった。

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