第七章 対談

第60話 対談①

 翌日。

 早朝の内に、真刃はセーフハウスのリビングから、一人の人物に電話をしていた。

 しばらくの通信音。真刃は静かに待つ。


『はいィ、もしもし~』


 すると、間延びした声が返ってきた。


『どちらさまでしょうかぁ?』


 この番号は、エルナから聞いたものだった。

 初めての通話なので、相手側にとっては見知らぬ通知になっていた。

 真刃は一拍の間をおいて、


「久遠真刃だ」


『おお~、久遠氏ですかぁ』


 間延びした声の主――大門紀次郎が言う。


『どうされたのですゥ? どうしてこの番号をォ?』


「エルナから聞いた。それよりも――」


 真刃は、エルナとかなたの担任教諭に今の状況を告げた。

 昨日、刀歌に起きた拉致事件の話だ。

 大門は沈黙した。

 そして、


『御影さんに怪我は?』


 次に発した声からは、間延びした様子は消えていた。


「ない。一時は危うかったが、今はもう大丈夫だ」


『……そうですか。我が校の生徒を助けていただき、感謝いたします』


「成り行きだ。気にすることではない」


『それでも感謝します。ところで、御影さんのご両親にご連絡は?』


「昨日の内に、刀……御影嬢からした。だが、拉致の話はしなかったそうだ。遅くまで校内で修練を積んでいたため、友人の――エルナの家に泊まると告げたそうだ」


 真刃は、嘆息した。

 刀歌は両親と不仲らしい。

 心配をかけたくないというより、咄嗟に嘘をついてしまったそうだ。


「とりあえず、両親には今の状況がはっきりしてから報告したいというのが、彼女の弁だ」


『そうですか……。御影さんらしいですね』


 息が零れるのが聞こえた。大門も嘆息したらしい。

 雰囲気は違うが、親友と同じく苦労人らしい親友の末裔に、真刃は苦笑を零す。


『……しかし、御影さんですか……』


 大門はそう呟き、数秒ほど沈黙した。

 そして、


『……久遠氏。今から話すことは、オフレコでお願いします』


「おふ? ああ、秘匿という意味だな。いいぞ」


 聞きなれない言葉に一瞬眉をひそめつつも、真刃は承諾する。

 大門は『では』と告げて、話を切り出した。


『久遠氏。我が大門家は、火緋神家の分家となります』


「…………」


 それは知っている。とてもよく。

 しかし、真刃は沈黙で返した。


『火緋神の守護四家の一家。大門家の当主として、私は先日、とある会合に立ち会いました』


「……会合だと?」


 真刃は、眉根を寄せた。


『……はい』


 大門は、通話越しに頷く。


『火緋神家のご当主さま。御前さまにとある人物が面会したのです』


 一拍おいて。


『久遠氏も聞いたことはありませんか? 火緋神家にも並ぶ大家――天堂院家の名を』


「………ッ!」


 真刃は、少し目を剥いた。

 随分と懐かしい名を聞いた。


「……天堂院家は、未だ健在なのか……」


『……? 当然ですよ? 国内最大クラスの大家ですから』


 大門の声に少し困惑した感情が宿る。

 が、すぐに、


『話を戻しましょう。相手はかの天堂院家。しかも、その現当主殿――天堂院九紗殿が、自ら訪れて御前さまと会合されたのです』


 数瞬の間。


「………………………は?」


 真刃は一瞬茫然とした。

 今度は、懐かしいどころの話ではなかった。


「い、いや待て! 大門!」


 真刃は、思わず確認を取った。


「天堂院九紗……九紗だと? それはあれか? 先代――いや、先々代の名を受け継いだ者ということか?」


『え? 名の継承ですか? いえ、恐らく違いますよ。天堂院家に当主の名を受け継ぐような慣習はありませんし』


 その回答に、真刃はますます困惑した。


「いや待て。待て待て。では、その九紗という男は齢百三十を越えているのではないか?」


『……よくご存じですね』


 大門の声には、驚きの響きがあった。


『天堂院家の当主殿は、大正……いえ。明治時代から生きる怪物なのです。にわかに信じがたいことですが』


「……なん、だと……」


 こればかりは、真刃も茫然とした。

 まさか、あの男がまだ生きているというのか……。


「……総、隊長、が……」


『そう? はい? 久遠氏?』


 大門の困惑した声に、真刃はハッとした。


「い、いや。何でもない。それよりも、その会合がどうしたのだ?」


 動揺を力尽くで抑え込んで、真刃は本題を問う。

 大門は『はい』と答えた。


「火緋神家と天堂院家は、長らく――そう、半世紀以上も疎遠状態だったのですが、今回、天堂院家は火緋神に対し、ある提案をしてきたのです」


「……提案だと?」


 かつての頃のあの男を思い出しつつ、真刃は眉根を寄せた。

 大門は話を続ける。


『いわゆる互いが歩み寄るための政略結婚。九紗殿のご子息、五男の八夜殿と、火緋神家の流れを組む御影家の長女――要するに御影さんの婚約を提案してきたのです』


「……あの男の息子?」


 真刃は、眉をしかめた。


「……一応聞くが、そいつの歳は幾つなのだ?」


『……戸籍上は十五歳だそうです』


 大門の声に困惑の色が入ったと感じるのは気のせいではないだろう。

 齢百三十で十五の息子。

 違和感どころか、恐ろしさを感じる。


『結論から言えば、その話はなくなりました。御前さまが断られたのです』


 まあ、守護四家の中には賛成派もいましたが。

 とも続ける。真刃は嘆息した。

 この話を聞かされれば、大門の言わんとすることも分かる。


「なるほどな。要は今回の拉致事件。首謀者は天堂院家ということか」


『……そこまでは断定しませんが』


 大門は神妙な声で告げる。


『その可能性は高いかと。九紗殿は今回の話、かなり食い下がっていましたから』


「……そうか」


 真刃は、双眸を細めた。

 そして、とても小さな声で呟く。


「……結局、力押しか。力の狂信者め。百年程度では変わらんというのか」


『……? 久遠氏? どうかされましたか?』


 大門が怪訝そうな声で尋ねてくる。真刃はかぶりを振った。


「いや、何でもない。それよりだ」


 真刃は真刃で、本題に入る。


「正直、相手の動きが分からん。御影嬢を死んだと判断したのか、それとも、再度狙ってくるのか。そもそも狙いが御影嬢だけなのかも分からん」


『……そうですね』


「可能ならば、御影嬢はお前たちに保護してもらいたい。今から告げる住所に迎えに来て欲しいのだ。頼めるか?」


『当然です。彼女は我が校の生徒ですから』


 大門は、力強く応えた。

 まるで亡き親友と会話しているようで、真刃は少しだけ嬉しくなった。


「感謝する」


『いえ。こちらこそ、お手数をおかけしました。御影さんを助けてくれたこと、本当に感謝いたします。仮に天堂院家の仕業ならば、我々も相応の対処をするつもりです』


「ああ。頼む」


 真刃は、このセーフハウスの住所を告げて通話を切った。

 それから、スマホの画面を見据えて、


「金羊。聞いておるな」


『うっス』


 ポン、とスマホの画面に金色の羊のイラストが浮き上がる。

 真刃は問う。


「察するに、あの男の息子とは、あの時の少年か?」


『ご明察っス』金羊が答える。『天堂院八夜。それがあの少年の名前っス』


 真刃は、皮肉気に笑った。


「ふん。花婿自ら花嫁を攫いに来た訳か?」


『そして、花嫁の腹に風穴を開けたということか』


 ボボボ、と。

 鬼火と共に現れた猿忌が言う。


「……猿忌」


 真刃は、最古の従霊を一瞥した。


「どう思う? 大門の話。本当にあの男だと思うか?」


『にわかには信じがたいな』


 猿忌は、小さく息を吐いて答える。


『だが、大量の魂力を持つ者は老化も遅いと聞く。あの男ならば、あり得ん話でもない』


「だとしたら、目も当てられん老害だな」


 真刃は渋面を受かべた。


「得心したぞ。あの男が健在ならば、あの少年の存在にも納得がいく」


『……あの男は、主に固執しておったからな』


「……そうだな」


 真刃は瞑目した。

 ある意味、あの男は当時、真刃にとって数少ない味方だったのかもしれない。

 だが、それは――。


「やはり捨て置けんな」


 真刃は、瞳を開けて立ち上がった。


『行くのか、主よ』


「ああ」


 真刃は頷く。


「かつてとはいえ上官殿だ。ここは己から出向くのが筋だろう」


『……一人で出向くのか?』


 少しだけ間のあった猿忌の問いかけに、真刃は眉根を寄せた。

 そして、


「何を言っておる」


 真刃は、こう返すのだった。


「行くのは戦場だぞ。己はいつだって一人だ」

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