第59話 魂が繋がる夜③

「どうしてこんなことになったんですか!」


「う、うむ……」


「私たちだってまだなのに!」


「い、いや、そのな……」


 およそ十分後。

 真刃は、未だエルナに本気の説教をされていた。

 特に、刀歌についてだ。

 エルナの後ろでは、かなたが、ずっと無言で真刃を見据えている。

 無言のまま圧力を放っている。巨大なハサミも両手に握ったままだ。

 ある意味、エルナよりも迫力がある。

 あまりの迫力に、真刃としては逃走したい気分だった。


「聞いているんですか! 真刃さん!」


「あ、ああ。聞いておるとも」


 ズズイ、と詰め寄るエルナ。

 彼女の紫色の瞳に、どうしてか、紫子のことを強く思い出した。


(……紫子か)


 そういえば、彼女もよく、真刃にお説教をしていた。

 とても懐かしくもあり、同時に心が強く痛む。


「……………」


 真刃は、瞳を細めた。

 今回、危うく死にかけた刀歌のこと。

 そしてあの日を――紫子の最期を思い浮かべる。

 内臓はおろか、肺や心臓まで負傷していた紫子は、助からなかった。

 どれほど魂力を注いでも、どうしようもないこともある。


 けれど、刀歌は助かったのだ。

 本来ならば、助からない負傷でだ。


 その確かな事実に、真刃は双眸を静かに閉じた。


「……真刃さん?」「……真刃さま?」


 エルナとかなたが、眉をひそめた。

 真刃は、ゆっくりと瞼を開けた。


「……そうだな」


 ふうっと息をついて立ち上がり、椅子に座り直す。

 足を組んで肘をつき、額を押さえた。


「……確かに、今回の刀歌の一件は……今後のことを考えれば……必要……と言わざるをえないか? ……だがしかし……」


 本当に悩んだ。

 数十秒と続く沈黙。

 そうして、真刃はエルナとかなたの顔を見据えた。


「……分かった。これから、お前たちにも《魂結びの儀》を行おう」


「え……」「………ッ」


 エルナは口元を両手で押さえ、かなたは目を瞠った。

 その傍らで、猿忌は『おお!』と拳を固めていた。

 真刃は渋面を浮かべつつ、語った。


「今回、刀歌が助かったのは《魂結び》のおかげだ。これは今後、お前たちの身にも起きる可能性はある。命の危機に、その場で儀式を行えるような幸運はもう期待できないだろう」


 真刃は大きく息を吐いてから、「ただし」と忠告もした。


「《魂結び》には強い痛みも伴う。魂同士を繋げるのだから当然だ。ましてや、己と繋がる場合はかなり特殊だ。通常を遥かに超える強い苦痛や、激しい息苦しさも感じるはずだ」


 第一段階からして構築する経路の大きさが違うからな。

 小さな声でそう呟く。


「己との魂力の総量の差から、儀式中は、自我が消えてしまうような恐ろしい感覚も覚えることになるだろう。よいか。それだけは確と覚悟せよ」


「えっ、え……」


 そう言われて、エルナは狼狽した。

 視線を忙しく動かして、右手で胸元を、左手でスカートの強く掴んでいた。

 一方、かなたは言葉もなく硬直していた。

 ハサミは、すでに小さくなって床に落としている。

 すると、


『うむ。では、儀式の部外者は退場すべきだな』


 そう告げて、猿忌がボボボと消えた。


『おう。お嬢。行こうぜ』


「………え?」


 かなたは自分の方に目をやった。

 そこには、いつの間にか、蛇の姿になった赤蛇がいた。


『儀式は一人ずつだ。まずは銀髪嬢ちゃんからなんだろ?』


 言って、赤蛇は尾でかなたの肩を押した。

 動揺していたかなたは、それだけでバランスを崩してしまった。


「え、あ……」


 ――トッ、トッと。

 後ろに、たたらを踏んでしまう。

 意図せずにエルナから遠ざかってしまった。


「あっ、待って!? かなた!?」


 かなたが遠ざかっていることに気付いたエルナが、手を伸ばしてきた。

 かなたも反射的に手を伸ばすが、


「―――あ」


 ――パタン。

 目の前で、さっきまでは閉まっていたはずのドアが閉じられた。

 いつしか廊下にまで後退していたのである。


「―――あ」


 かなたは茫然とした。

 そして、すぐに、


『……エルナ。覚悟せよと言ったはずだぞ』


『……ひゃっ!? は、はい! し、してます! してますけど――』


 そんな声が室内から聞こえてきた。

 しばらく、何やら会話が続いていたが、おもむろに静かになった。

 それから、数分間だけ静寂が続いた。

 かなたはドアに触れることさえ出来なかった。


 そうして、


『………ン……あ……』


 不意に、エルナの声が聞こえた。

 かたなは、再び硬直する。


『………や、あ……あン……』


『……もっと力を抜け。エルナ』


『……真刃、さん……ン……』


『……よし。いい子だ。このまま抱き上げるぞ。いいな』


『……え、あ、待って……今は……は、うあっ!』


 かなたは口をパクパクさせて、目を見開いていた。

 その傍らで、赤蛇は今にも転げてしまいそうなぐらいに笑いを我慢している。


『……はァ、んン……はァ、……はァ……』


『……つらいか、エルナ。やはり呼吸がままならんか……。エルナ、許せよ』


『………え? あ……んっ! ん……ン、んんっ!』


 ――カアアアァ、と。

 かなたは、耳まで真っ赤になった。

 ベッドが、ギシギシと強く軋む音も聞こえてきた。

 かなたは、茫然として口を開けるだけだった。


 それからおよそ二十分後、


『……はァ、はァ……』


『……よく頑張った。最後だ。いくぞ。己にしがみつけ、エルナ』


『………うあ、あっ、あ……ふあっ、ふあっ! あああぁ!』


 エルナの声に、かなたは、ビクッと肩を震わせた。

 その顔は、もううなじに至るまで余すところなく真っ赤だ。

 そうして部屋は静かになった。


『おう。終わったみたいだな』


 言って、赤蛇が器用に尾を使ってドアノブを回し、ドアを開けた。


 ――キイイ。

 ドアは開かれた。


 暗い室内。そこには、エルナを両腕に抱えた真刃の姿があった。

 かなたは硬直する。と、


『そんじゃあ、次はいよいよお嬢の番だな』


 いきなり赤蛇が尾で背中を叩いてきた。


「あ……」


 かなたは部屋に押し込まれた。たたらを踏む。後ろを振り向くと、『そんじゃあ頑張んな!』と声援を贈る蛇が、ドアを閉めるところだった。

 パタン、と、ドアが閉まった。

 かなたは茫然とする。

 と、その時、


「……かなた」


 青年の声に、大きく肩を震わせる。

 そして振り向いた。そこでは椅子にエルナを座らせる真刃がいた。

 かなたは、エルナを見た。

 衣服は――着ている。ただ、かなり着崩れていた。胸元が大きく開かれている。愛用の龍のジャンパーは床に落ちていた。

 肌は、窓から差し込む月明かり程度でも分かるほどに火照っている。

 額には大粒の汗をかき、銀色の髪は頬に張り付いていた。

 桜色の唇は、とても艶めいている。

 エルナの息は荒く、豊かな胸は大きく上下していた。完全に気を失っているようだった。

 壱妃の姿を見て、かなたは一層緊張した。


「…‥エルナはよく頑張った」


 真刃は優しい眼差しで、エルナの横髪を撫でた。

 それから、かなたへと視線を向ける。

 かなたは、目を見開いて真刃を見つめていた。

 それを儀式への緊張――実際に緊張している――と思った真刃は苦笑を浮かべた。


「大丈夫だ。もし危険なようならば、即座に中断も可能だ。これは……そうだな。予防接種のようなものだと思えばいい」


 かなたは、真刃の顔を見つめた。


「よ、予防接――」


 と、反芻しようとしたところで、ビクッと震える。

 そして、


「お、お注射、怖い……」


「ん? そうなのか? うむ……」


 真刃は、あごに手をやった。

 どうもかなたは普段は大人びているのだが、時折、酷く幼くなる。

 孤独だった幼少時が、きっとそうさせているのだろう。

 真刃は、優しい顔になった。


「……よし。かなた」


「あ……」


 ひょいっ、とかなたを抱き上げた。

 それから、ベッドの縁にまで移動してかなたを抱えたまま腰を下ろした。

 かなたが、我儘モードに入った時に宥める体勢である。

 今回はそこから、さらにかなたを移動させる。

 トスン、とかなたを膝の上に乗せた、正面から向かい合う形だ。

 いよいよといった状況に、かなたはますます緊張した。


「刀歌とエルナの様子からして、最初からこの姿勢でいた方がよさそうだからな」


「…………………」


 かなたは、何も答えられない。

 自分がこれから経験することを想像して、全く動けなくなっていた。

 そんなかなたに、


「かなた。今からお前と《魂結びの儀》を行う」


 真刃は、優しい声で告げた。


「かなり強い痛みを伴うことになるだろう。呼吸も苦しくなり、恐ろしい感覚にも襲われる。だが、大丈夫だ」


 強張る気持ちを解すように、かなたの頬に、そっと触れて撫でる。

 かなたは「ん」と声を零した。


「苦しければ、己にしがみつけ。己はどこにも行かない。お前の傍にいる」


「……真、刃、さま……」


 真刃の言葉に、かなたの緊張は少しだけ解けた。

 途端、きゅううっ、と胸の奥が鳴った。

 ようやく、この事態をはっきりと理解する。

 今、自分は、愛する人の腕の中にいるということを。

 そして、これから行うことは、魂に愛の証を刻む儀式なのだと。


「かなた。大丈夫だ」


 真刃は微笑んだ。

 かなたの心は、再びきゅううっと鳴った。


「何も怖がらなくてもいい。オレを信じろ。かなた」


「……はい」


 かなたは頷き、ごく自然な様子で真刃に胸の中に体を預けた。

 真刃は、愛娘を見る眼差しで彼女の頭を撫でた。


「では、始めるぞ」


「……はい」


 耳を真っ赤にしながらも、かなたは頷いた。

 そうして、ゆっくりと瞳を閉じていく。

 月明かりが二人を照らした。



 ちなみに、その時。


(うわあああ、うっわあああああ……)


 エルナにも、かなたにも、真刃にも。

 完全に放置されていた刀歌が、不審に思って部屋の前まで来ていた。

 そして部屋の前で、完全に硬直してしまっていた。

 理由は簡単。

 エルナの前のかなたの再現だ。


『……ん………んン………はァ、真刃、さま……』


『……どうだ? 呼吸は落ち着いたか?』


『………は、はい……』


『……そうか。どうやらもう大丈夫のようだな。では、かなた。今からお前の中に注ぐぞ。覚悟はよいな』


『……は、はい。来て………はうっ! あ、うあ……』


 部屋から聞こえる微かな声。

 そして聞こえてくる、ギシギシというベッドが激しく軋む音。

 刀歌はもう真っ赤だった。

 なお、赤蛇は、ゲラゲラと笑っていた。


 ともあれ。

 こうして、第一段階ではあるが、エルナたちは正式に真刃の隷者になったのである。

 ただ、真刃自身はかつて愛した二人の女性の内の……自分にとって唯一人の隷者だった少女にどこか申し訳ない気分になって結構ヘコんでいたのだが、それはまた別の話だった。

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