第362話 覚悟の時➂

 真刃は沈黙していた。

 桜華の言わんとすることは分かる。

 千年我霊と戦うのならば、神威霊具の使用も想定に入れるべきだ。

 そして、その唯一の使い手の参戦も――。


「自分は……」


 桜華は言葉を続ける。


「あの女が嫌いだ」


「…………」


 真刃は無言だ。


「あの女は自分の欲しかったモノをすべて持っていた。だが、あの女はそのすべてを火緋神家の使命のために捨てたのだ」


「……それはお前らしくない台詞だな」


 真刃は眉をひそめる。


「むしろ、お前の方こそ使命を重視しそうなのだがな」


「それは否定しない」腕を組んで桜華は嘆息する。


「確かに自分も使命は大事に思っている。だが、あの日は他にも方法があったはずだ。お前を倒すのではなくな。なあ、久遠」


 桜華は真刃を見据えた。


「帝都が壊滅したあの日、もし火緋神杠葉が体を張ってお前にやめて欲しいと願っていたら、お前はどうしていた?」


「…………」


「お前が分隊長殿の妹君を愛していたことはよく理解している。それでも火緋神杠葉が必死に懇願したらお前は無視できたか?」


 真刃は何も答えない。

 桜華は再び嘆息する。


「お前は結局、あの女の未来を案じたのだろう? 仮に怒りを収めてもすでに帝都の被害は甚大だ。お前は決して許されない。お前には逃走以外に選択肢がなかった。そうなれば火緋神杠葉はどうなるのか――」


 桜華は視線を微かに伏せた。


「あの女も罪に問われる可能性があった。それこそ帝都壊滅の責任をなすりつけられただろうな。あの女を救うには火緋神家を捨てさせる以外なかった。だが」


 一拍おいて、


「あの女にはそれが出来ない。結局のところ、火緋神家の使命に束縛された女だからだ。でなければ『御前』などという立場にはなっていないはずだ」


「…………」


 真刃は無言で執務席から立ち上がった。

 そして、ゆっくりと桜華の元へと近づいていく。


「あの女に火緋神家は捨てられない。お前はそれを理解していた。だからこそ」


 自分の目の前に立つ真刃を見据えて桜華は言う。


「お前は、あの女に殺されることを選んだのだ」


「……桜華」


 真刃は桜華の片腕を強く掴んだ。


「それぐらいにしてくれ。今となっては詮なきことだ」


「いや。まだ肝心なことを言っていない」


 桜華は睨むような眼差しで真刃の顔を見据える。


「自分はあの女が嫌いだ。大嫌いだ。だが、あえて言うぞ。同じ男を愛した女としてだ」


 大きく息を吸いこんで、


「今度こそ攫ってしまえ」


「……なに?」


 真刃は目を見開いた。


「どうせ、あの女に火緋神家は捨てられない。今となってはあの頃以上の執着だろう。そこで今回、大義名分が出来たのだ」


 桜華は「ふふん」と鼻を鳴らす。


「攫ってしまえ。神威霊具ごとな。その使い手であるあの女を」


「お前……」


 少し唖然とする真刃。

 桜華は胸を張り、さらに「ふふん」と鼻を鳴らした。


「相手は七つの邪悪の一角だ。神威霊具はあった方がいいからな。その大義名分であいつから大事な大事な火緋神家を取り上げてしまえ。それで少しは自分の溜飲も下がるというものだ。ああ、それと」


 そこで桜華はジト目を見せる。


「芽衣と六炉から詳細を吐かせたが、自分はあの夜に罰を受けたそうだな。だったら当然あの女にだって罰だ。もと恋人だろうが容赦などするなよ」


「……いや、お前な……」


 桜華の腕を掴んだまま、真刃は嘆息する。


「しかし」と言葉を続けて、


「意外だったな。お前が杠葉を受け入れるようなことを言うとは……」


「断っておくが本当にあの女は大嫌いだぞ」


 桜華は言う。


「だが、燦や月子のこともある。何より久遠。お前自身のことだ」


 ジイッと真刃を見つめる。


「お前は今でもあの女を愛しているのだろう? ならば、自分は自身の不満よりもお前の想いを大切にしたい」


 一呼吸入れて、


「百年の恨みも怒りも呑み干そう。それがお前の女になった自分の覚悟だ。まあ、あの女には面と向かっての嫌味の一つぐらいで我慢してやるさ」


「……桜華」


 真刃は双眸を細めた。

 そして、おもむろに彼女の腰を強く抱き寄せる。


オレは本当に愚鈍だったな。お前のような良き女を男だと思い続けるとはな」


「そ、そうか?」


 桜華は視線を逸らして少し動揺する。


「ま、まあ、それだけ自分の男装が完璧だったということだな」


「……いや、女にしか見えなかった時が多数あったのだが」


 と、そこには真刃もツッコミを入れる。

 一方、桜華は「むむ」と口元をへの字にした。


「自分としては相当に苦労していたのだぞ。特にさらしはかなりきつかった」


 人並み以上に豊かな双丘を真刃に押し付けつつ言う。


「今だから言うが、実はあのさらしは特注の霊具でな。気休め程度だが体格を誤魔化す幻視効果があったのだ」


「……そこまで手が込んでいたのか?」


 意外と徹底した偽装だったようだ。

 百年目にして知る事実に、真刃は呆れた様子を見せる。


「ともあれだ」桜華は言葉を続ける。「あの女に関しては、自分のことを一切気に掛ける必要はない。お前は、お前のしたいようにすればいいさ」


「……お前は度量が広いな」


 微かに笑って、真刃はそう告げた。


「当然だ」


 桜華は真刃の腕の中で不敵な笑みを見せた。


「惚れ直したか? ならば接吻キスの一つでもして構わんぞ?」


 冗談めいた口調でそう告げる。

 すると、


「ああ。そうだな」


 真刃は掴んでいた桜華の手を離し、代わりに彼女のあごに手をやった。

 そしてそのまま彼女の唇を奪う。


「~~~っ!?」


 流石に桜華も目を丸くした。

 それは思いのほか、深く長い口付けだった。

 ようやく唇が離れると、彼女は、ぷはあと大きく息を吐き、


「ほ、ほんとうにするなぁ……」


 耳まで真っ赤にしてそう告げた。

 それに対して真刃は、


「桜華。お前は確かに良き女だ。だが、不満もあるぞ」


「……え?」


 まだ赤い顔で桜華は真刃を見つめた。


「お前は根が生真面目だからな」真刃は嘆息する。「真剣な話をする時は、昔のようにオレのことを『久遠』と呼ぶ癖があるぞ」


「……え」桜華は片手で口元を抑えた。


「お前もすでに『久遠』だというのにな。まったく。いかなる時でも『真刃』と呼ばんか。どうやら一人称のみならずそれも直しておく必要があるな」


「直すって……ま、また、あれかッ!?」


 ボッと顔をさらに赤くする桜華。


「……まあ、数日の内にでもな」


 一方、真刃は苦笑を浮かべてそう告げる。

 桜華は先程までの威勢もなく硬直するだけだった。


「いずれにせよ、お前の覚悟には感謝するぞ。桜華」


 真刃は両腕で桜華を強く抱きしめた。


オレも覚悟を決めねばな。でなければお前の夫として相応しくない」


「……久遠」


 腕の中でそう呟く桜華に、真刃は小さく嘆息した。


「指摘されてなおそう呼ぶのか。お前は本当に頑固者だな」


「い、いや……」


 桜華は真刃の背中を掴みながら呻いた。


「まあ、よい」


 そんな彼女の後頭部を、真刃はポンと叩く。


「ともあれ、杠葉についてはオレも覚悟を決めよう」


「そ、そうか……」


 桜華は上目遣いで真刃の顔を見つめた。


「それは良かった。自分も発破をかけた甲斐があるというものだ。うん」


 ぎゅうっと手に力を込める。


「そう。自分は発破をかけただけなのだ。だからさっきの話はなしでいいな。うん。これぐらいなら自分で直すから。大丈夫だ。きっと直すから」


「……直せるとは思えんのだが?」


「そ、そんなことはないぞ! 久遠!」


「……お前な」


 真刃は眉をしかめた。

 どうやら動揺した時にも昔の呼称が出てくるようだ。


「これについても決定だな。いいな。桜華」


「……ううゥ」


 桜華は真っ赤になりつつも「わ、分かった」と頷いた。

 彼女の頬に触れて再び口付けを交わす。今度は桜華も動揺しない。ただその後、少し不満そうに「けどお前、自分には少し意地が悪くないか?」と呟いていたが。

 そんな愛しい女を抱きしめながら、


(……ああ。そうだな)


 心の中で静かに思う。


(そろそろオレも覚悟の時か)


 ――と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る