第363話 覚悟の時④
数日後。
ホライゾン山崎に訪れた篠宮瑞希は目を丸くしていた。
山岡の愛弟子。月子の姉弟子でもある彼女はここに遊びに来るのは顔パスだ。
今日は、久しぶりに大学帰りにここに寄った。
最も逢いたい愛しい『彼』は留守だそうだが、それならそれでいい。
今日は外堀を埋めるのに専念するだけだ。お土産として駅前でシュークリームを購入し、お妃さまたち――主に月子のご機嫌を取るつもりだった。
しかし、いつもなら十階まで行けるエレベーターが今日は何故か九階で停まった。
瑞希が操作した訳ではない。
瑞希が「あれ?」と目を瞬かせていると、エレベーターのドアが開いた。
すると、そこにいたのは灰色の隊服を着た二人の男だった。
「申し訳ありませんが、お荷物はお預かりします」
シュークリームを没収された。
そして「失礼」と告げると、男の一人の双眸が紅く光った。
探査系の術式のようだが、流石に詳細までは分からない。
瑞希が唖然としていると、今度は二十代の女性隊員が現れた。
「香月」瞳を赤くした男が彼女に目をやって告げる。
「俺の術式では異常なかったが、念のために頼む」
「分かったわ」
彼女は瑞希の身体検査を始めた。
瑞希は訳も分からずただ検査を受けていた。
「こっちも違和感はないわ。篠宮瑞希本人よ」
ややあって、彼女はそう告げた。
「そうか」
男たちは頷く。
「失礼しました。では十階へどうぞ」
言って、シュークリームも返してくれた。
瑞希としては目を丸くさせるばかりだ。
と、その時。
「……訪問者か?」
廊下の奥から声が聞こえた。
瑞希も知っている声だった。
「あ。扇君」
それは同じく隊服を着た扇蒼火だった。
「篠宮か?」
蒼火は訝し気な視線を瑞希に向けた。
次いで、三人の隊員に目をやった。
「本人なのか?」
「ああ。問題ない。彼女は本物だ」
と、最初に術式を使った男性隊員が首肯する。
「ちょっと! 扇君!」
瑞希は流石に不機嫌そうに問う。
「これってどういうことだよ! なんで僕が調べられるのさ!」
「お前だけじゃないさ」
蒼火は言う。
「訪問者は全員調べている。すまないな」
「だからどうしてさ!」
瑞希は叫ぶが、蒼火は何も答えない。
そのまま奥へと去っていった。
そんな知人の不愛想な態度に瑞希は「むむむ」と唸るが、一応これで十階へ行く許可は下りたようで、エレベーターに乗せられた。
すぐ上の階だ。エレベーターは数秒も経たない内に到着した。
「何なんだよ。もう」
未だ残る不満と共にエレベーターを降りる。
後ろを振り返ると、エレベーターのドアが閉まるところだった。
瑞希は眉をひそめて、
「何かがあったっていうことなのか?」
そう呟いた。
◆
同時刻。
山岡辰彦は火緋神家の本邸内にいた。
長い渡り廊下を歩く。
これから山岡は御前さまに面会する予定だ。
(これは私の手に余る一件だ……)
歩きながらそう思う。
元々山岡は『双姫』の保護者兼護衛。
そして『久遠真刃』の素性の調査と監視を目的にフォスター邸に送られた人間だ。
そういう意味では、今回、任務の一つを達成したと言える。
正直、あまりにも荒唐無稽な素性ではあったが。
(だが、信じるしかないか)
あの日、フォスター邸に訪れた伝承にある化け物。
その悍ましさは、思い出すだけで今でも全身が泡立つ。
あれに比べれば、かつて自分の左目を奪った名付き我霊など可愛らしいものだ。
まるで死が具現化したかのような化け物だった。そして、あんなモノと平然と対峙する『久遠真刃』もまた伝承に名を残す怪物だったということだ。
(……《
山岡辰彦は引導師ではない。
しかしながら、長年この世界に携わっていただけに知識は充分に持ち合わせていた。
――大正中期。この国の中枢だった帝都を壊滅させたという怪物。
火緋神の巫女が神刀を以て討伐したと伝え聞く。その伝承では万を超える我霊の集合体だったという話なのだが、それは真実ではなかったらしい。
壊滅させたこと自体は事実とのことだが。
(お
思わず嘆息してしまう。
そして先日、その彼はこう告げた。
『……火緋神家の御前は昔からの知人だ』
彼曰く、伝承にある火緋神の巫女とは御前さまであるらしい。
続けて、
『火緋神家の御前のみならば、今回の一件、報告しても構わん』
そう告げた。
山岡は困惑しつつも『承知いたしました』と応えた。
どのタイミングで報告すべきか悩んでいたところだったからだ。
(本来ならば、巌さまにもご報告すべきところだが……)
歩きながら山岡はかぶりを振る。
真刃は山岡の立場を慮ってそう提示してくれたのだ。
厚意には厚意で返すべきだろう。
(それに少なくとも久遠さまは悪人ではない)
双姫の身の安全に関しては充分すぎるほどに信頼できる人物だ。
ならば、急ぎ報告すべきは千年我霊の襲来予告のみ。
それこそ火緋神家の長に報告すべき事柄だった。
(しかし伝承通りならば、御前さまと久遠さまは宿敵同士のはずだが……)
そこは少し懸念するが、今となっては伝承自体が疑わしい。
すでに改変されている事実もあるので尚更だ。
(ともあれ、まずはご報告だ)
山岡は『御前の間』の前で足を止めた。
面会時、本来は襖を開ける使用人がいるのだが、今は誰もいない。久遠真刃氏についてご報告したいと、事前に御前さまにお伝えして人払いをお願いしたからだ。
(さて。人はいないな)
山岡は廊下で両膝を突き、
「御前さま。山岡、参りました」
そう告げた。数瞬も待たず「入ってください」という声が聞こえた。
(……はて?)
山岡は一瞬疑問を抱く。
今の声は口調こそ御前さまのようだったが、かなり若い女性のように聞こえたのだ。
(室内にはまだ誰か従者がいるのか?)
そんなことを考えながら、山岡は「失礼します」と襖を開けて入室した。
上座にはいつもの御前さまを覆うヴェールがある。
――だが。
(………な?)
思わず山岡は足を止めた。
確かにそこにはヴェールがある。
しかし、それは今、大きく開かれていたのだ。
常ならば御前さまが御座す上座。
今そこに座るのは一人の女性だった。
年の頃は十八から十九か。
長い黒髪の、緋色の和装を纏う少女である。
一度だけ見たことのある人物だった。
「君は……」
愛弟子に、どうしてもと請われてその顔を確認したのである。
あの時、愛弟子は彼女を巌さまの隠し子ではないかと訝しんでいた。
「確か、葛葉君だったか?」
何故、彼女がここにいるのか……?
それも御前さまが御座すはずの場所に。
流石に困惑する山岡。
すると、
「……ええ。あの時はそう名乗っていたわね」
彼女は微笑んだ。
そして、
「改めて名乗ります。私の名は火緋神杠葉」
一拍おいて、こう告げた。
「火緋神家の長。
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