第二章 変化する日常

第252話 変化する日常①

『……ふふふ』


 フォスター家の執務室にて。

 いつもは不愛想と言ってもいい猿忌が珍しくご機嫌だった。

 執務席にて読書をしていた真刃は本を閉じて、宙に浮かぶ従霊の長を睨みつけた。


「……上機嫌だな。猿忌」


『なに。主がようやく王たる自覚を持ってくれたからな』


「…………」


『遂に結ばれた妃が出たか。それも立て続けに二人もな』


 クツクツと笑う猿忌に真刃は無言だ。


『燦と月子は流石にまだ少し早いとしても、このまま、エルナ、かなた、刀歌と続いてくれれば我としては申し分ないのだがな』


「……五月蠅い」


 真刃は本を机の上に置いた。


「まず当然のごとく燦と月子を妃に入れるな。肆妃を名乗っておっても、あの娘たちは偽装による保護という名目で預かっておるのだぞ。そしてエルナたちは確かに第一段階の隷者にはしたが、お前自身が決めたエルナたちが他の道を選ぶ期限はまだのはずだ」


『……ふむ。そうだな。燦と月子はともかく』


 猿忌は小さく嘆息した。


『エルナたちの期限はすでに残り一年を切っておるのだぞ。エルナたちも心身ともに成長しておる。そもそも我らの時代ではあの歳頃で嫁ぐ娘も多かったはずだぞ。引導師の世界ならば尚更のことだ。エルナたちもとうにそこまで覚悟していると思うが?』


 それに気付かぬ主ではあるまい。

 そう続ける猿忌に対し、


「……それでもだ」


 真刃は指先を組んで言う。


「それこそ我らの時代とは違うのだ。エルナたちはいま多感な日々を過ごしている。多くのことを学ばせ、あのむすめたちには多くの道を選ぶ機会を与えたいのだ」


『……むう』


 猿忌は呻いた。


(どうにも主はエルナたちのことになると父性が強く出るな)


 そんなことを考える。

 猿忌の主は面倒見がよく、特に子供にはかなり甘い。

 だが、それは案外、報われなかった自身の幼少時代の反動なのかも知れない。


『しかし、エルナたちと比べると……いや、紫子やあの女と比べてさえも、あの二人に関しては異例の早さで妃にする覚悟を決めたな』


 一拍おいて。


『芽衣も正式に伍妃となった。それは喜ばしいことではあるが、主が未だ紫子とあの女を大切にしていることは知っておる。ゆえにこのままでは永遠に想い続けるのかと思ったのだ。だからこそエルナたちには期限を設けたのだが……』


 猿忌は主を見据えた。


『何か理由があるのか?』


 そう尋ねる猿忌に、真刃は沈黙する。

 しばし静寂が続く。

 そして、


「……芽衣と六炉は」


 天井を見上げて、真刃は語り出した。


「すでに自分の意志で生きる道を選んでいる者たちだ」


 そこで一度口を閉じる。

 猿忌は主の次の言葉を待った。

 そして、


「あやつらの生い立ちをそれぞれの口から聞いた……」


 真刃は訥々と想いを語る。


「決して恵まれなかった環境。孤独に過ごした日々。だが、それでも他者を大切に想えるあの娘たちが尊く、そして愛おしいと思った」


『…………』


 猿忌は静かに聞き入っている。

 真刃はさらに言葉を続けた。


「あやつらのオレへの想いも聞いていた。だが、守るべき者としてだけではなく、愛しい女としてあの娘たちを傍に置くことにオレは迷いをいだいた」


 一呼吸おいて。


「それを怖くないと言えば嘘になってしまうからな。所詮、オレは人擬きだ。それゆえにまた紫子のように失うやもしれん。本当に愛おしいと思うのならば、むしろ遠ざけるべきではないかとも考えた。だが……」


 真刃は天に片手を伸ばした。


「あのすべてが終わった日。オレは後悔した。オレがもっと強欲であれば、紫子も杠葉も失うことはなかったのではないかとな」


 ふっと笑う。


「そして幸せとは巡るモノだ。愛する者を遠ざけては巡ることもなかろう。ゆえにオレは覚悟を決めたということだ」


 強く手を掴む。

 今度こそ手離さない。そんな意志が強く伝わってきた。

 猿忌は主を見つめて『……そうか』と呟く。


『願わくばその覚悟がエルナたちにも向けられることを祈るとしよう』


「……ふん」


『さらに早ければ早いほど望ましいぞ』


「……五月蠅いぞ。猿忌」


 真刃は頬杖をついた。


「エルナたちの決断はそれぞれに委ねる。それは決定事項であり、のちの話だ。今は強欲都市グリードの件、例の悪魔デビルの件も含めて様々な問題を抱えておる。五将たちはエルナたちの専属にはしたが未だ半覚醒だ。芽衣と六炉の専属従霊も選出せねばならん。他にも……」


 そこで小さく嘆息して。


「六炉を妻に迎えたことでいよいよ総隊長殿との対面も避けられなくなったしな」


『……陸妃・天堂院六炉。紫子以来の第二段階の隷者れいじゃか』


 猿忌は苦笑が浮かべた。


『誉れあることだが、よもやあの男のむすめがなるとはな』


「…………」


『あの男を義父ちちと呼ぶのは流石に主でも嫌か?』


 意地悪く言う猿忌に「……それだけでは済まんだろう」と真刃は仏頂面で返す。


「一騒動は確実だろうな。とは言え、総隊長殿が何を言おうと六炉はすでにオレの女だ。返す気などない。だが……」


 そこでますます眉をしかめる真刃。


オレにとって気が重いのは六炉によって発覚したあの事実だ」


 深々と嘆息する。

 あれは六炉と《魂結び》をすると決めた夜のことだった。

 幾度も愛を重ねつつ、彼女の緊張を解きほぐして……。

 まさに魂を繋げようとしたその時だった。


『――――っ!』


 突如、六炉が目を見開いて仰け反ったのである。

 真刃は驚き、彼女の体を支えて抱き寄せた。

 彼女は呼吸困難に陥っていた。

 全身にも玉のような汗をかいている。


『六炉ッ!』


 慌てて唇を重ねて酸素を送る。

 しばらくすると彼女の呼吸は安定してきたが、白い肌はずっと火照っており、琥珀色の瞳はまるで熱病に浮かされていたようだった。

 この症状には見覚えがある。

 第一段階の《魂結び》を行った時のエルナたちと同じ症状だった。


(……どういうことだ?)


 流石に怖かったのか、『しんはぁ、しんはぁ……』と真刃の名を何度も呼んで必死にしがみつく六炉。瞳には少し涙も滲ませている。

 そんな彼女を優しくなだめながらも、真刃は困惑していた。

 六炉の魂力の量は1106。

 麒麟児である月子や燦さえも比較にならない真刃に近い量だった。

 互いの魂力の量にあまりに差がありすぎると《魂結び》は少ない方に危険を及ぼす儀式ではあるが、彼女の魂力の量ならば問題ないと考えていたのだが……。

 とりあえず、その日は彼女を落ち着かせて休ませた。


 そして翌日。

 真刃は自身の魂力の量を調べてみることにした。

 実のところ、真刃が自分の魂力の量を最後に調べたのは大正時代なのだ。


 あれから百余年。

 もしやとは思うが、今代では計測方法や算出数値が変化しているのかもしれない。

 そうして検査キットを取り寄せて調べてみたのだが……。


『おお~』


 真刃の自室。

 ベッドの縁に腰を掛けて検査キットを見据える真刃。そんな彼の後ろから、のそりと六炉が背中に乗っかって検査キットを覗き込む。

 それは血液を体温計に似た器具に注入して調べる最も精度のよい検査法だった。


『真刃、凄い』


 と、六炉が賞賛するが、真刃は無言だった。

 言葉が出てこないというのが正しいかもしれない。

 猿忌を始め、この部屋にいる従霊たちも少しどよめいている。


 ――12032。

 それが検査キットに記されていた真刃の魂力オドだったのだ。


『……莫迦な』


 流石に真刃も愕然とした。


『1万超えだと! オレ魂力オドは1338だったはずだぞ!』


 精度による多少の差は出るかと思っていたが、この差はあり得ない。

 なにせ桁まで変わっているのだ。従霊たちも困惑していた。

 個人の魂力の量は生涯変わることはない。

 それは破格の量を持つ真刃も例外ではなかったはずだった。

 しかし、


『真刃は好きな食べ物ある?』


 不意に六炉がそんなことを言い出した。


『……なに?』


『ムロは豚まんさんが好き。どんな料理でもいける訳じゃないけど、豚まんさんを食べると魂力が上がるの』


『……オレにもそれが起きていると?』


 眉をひそめる真刃。真刃にとって今代の料理は何でも好物とも言えるが、その中でも最も口にする機会が多いモノと言えば――。


『……珈琲か』


 猿忌が呟く。

 真刃は眉をひそめつつ、物質転送の術を使用した。虚空から取り出したのは当然のごとく完備されている缶コーヒーだ。

 カシュと開けて一気に飲み干した。

 それからもう一度採血をし、検査キットを使用した。


 結果、数値は12040に増えていた。

 真刃は無言だ。六炉は『おお~』と真刃の首元に腕を絡めて身を寄せる。


『これは……オレも六炉と同じ性質を持っていたということなのか?』


『う~ん、ちょっと違うかも』


 真刃に頬擦りしつつ、六炉は告げた。


『ムロは豚まんさんを一つ食べると200ぐらい増えてた。上げ幅は大きいけど一度使うと回復はしない。一ヶ月ぐらいで消えるし、全力で戦うと元に戻っていた。けど、こないだ象徴シンボルまで使って戦ったばかりなのに真刃は減っていない』


『……いや待て』


 真刃は嫌な予感がした。じっと手の中の缶コーヒーを見つめる。


『よもやオレの場合は一時的な増量ではなく……』


『……少量ずつではあるが、基礎的な魂力オド自体が上がっているということだな』


 猿忌が真刃の言葉を続けた。


『それを知らずに一年半以上続けた。これはその結果なのだろう』


『……………』


 真刃は本気で言葉を失っていた。

 が、すぐに表情を険しくして。


『エルナたちは大丈夫なのか? エルナたちとも《魂結び》はしておる。オレの魂力がここまで上がっては、エルナたちに影響はないのか?』


『それは大丈夫だろう』


 猿忌は言う。


『《魂結び》で危険なのは魂力の経路を構築する時だけだ。エルナたちにはすでに経路が構築されている。今回、六炉を危険に晒してしまったのは、主が互いの魂力オドの差を見誤り、経路構築に細心さを欠いてしまったせいだろう』


『……そうか』


 エルナたちの件では安堵しつつも、真刃は下唇を噛んだ。


『……六炉』


 首に抱き着く六炉の横顔を見つめて頬に手を添える。


『すまぬ。オレが迂闊であった。お前を危険な目に遭わせてしまった』


『……ん。気にしないで』


 真刃の手に擦り寄り、六炉は微笑んだ。


『昨夜は失敗したけど次は頑張るから』


『……そうか』


 真刃はそう返した。

 そうして今に至るのだが……。


「……オレはどうすればいいのだ」


 あの後、六炉との《魂結び》は無事に成功した。

 かつてないほどに細心の注意を払い、充分に時間をかけて臨んだ。

 おかげで気付いたことがある。

 熱病のような症状だけはどうしようもないようだが、注ぐ魂力の量を調整しつつ、一晩ほどかけて構築すれば呼吸困難まで引き起こすことはないと分かったのだ。

 これに関しては僥倖だった。自分の魂力の増大により、かなたよりも魂力が少ない芽衣との《魂結び》は危険ではないかと危惧していたのだが、杞憂で済んだようだ。

 しかし、真刃にとって重大な問題が残ってしまった。


 ――そう。真刃の生命線とも呼べる缶コーヒーに関してだ。


「……ぬうゥ」


 真刃は本気で悩んでいた。

 なにせ、このまま日常的に缶コーヒーを愛飲していけば、すでに個人の魂力オドとは呼べないレベルにまで至っている真刃の魂力がさらに際限なく上がっていくのである。

 こればかりは本当に想定外だった。


『流石に飲むのは控えるべきではないか?』


 猿忌がそう進言するが、真刃には何も答えられない。

 簡単に答えられるはずもない。

 猿忌は腕を組んでさらに言葉を続ける。


『しかし、予想せぬ事態となったな。これでは漆妃でも到底足りぬ。う~む、拾妃まではよいが、それ以降の妃たちの呼称をどうすればよいか……』


「おい待て。そこはもう止めろ。勝手に上限を撤廃するな。そもそもこうなってはその偽装をする意味がないだろう。根本から破綻したのだぞ」


 と、真刃は指摘する。

 いずれにせよ、目下の問題は缶コーヒーである。


オレは」


 再び「……ぬうゥ」と呻く。


「ただ愛飲していただけなのだぞ」


 そんな真刃の悲痛な呟きが執務室に響くのだった。

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