第253話 変化する日常②

 ――私立星那せいなクレストフォルス校。

 エルナたちが通う一般施設に偽装したその学校は、全国各地にある秘密裏に引導師を育成する特殊な学び舎の一つである。

 小中高一貫のエスカレーター式であるため、高等部に上がるのに試験もなく、そのため、比較的に中等部からの変化が乏しくもある学校だった。

 けれど、それでも進学には違いない。

 多くの一年生たちは新たな舞台に胸を躍らせていた。

 誰もが浮足立っている。

 が、そんな中で入学早々不満を持つ新入生たちがいた。


 昼休み。

 小等部から高等部まで共用へ使用されるドーム状の庭園にて。

 森林公園を思わせるそこの長椅子の一つに彼女たちは陣取っていた。


 エルナ。かなた。刀歌の三人である。


「もう! 何なのよ!」


 そう不満を零すのはエルナだ。


「結局、何も教えてくれなかったじゃない!」


 彼女の不満は陸妃にあった。

 天堂院家の直系。陸妃・天堂院六炉。

 エルナはかつて彼女の父親から聞いた『久遠真刃』の話を聞き出そうとした。

 しかし、その返事は、


『ダメ』


 という端的なモノだった。

 知らないのではなくダメ。

 それは彼女が何かしらの情報を握っているということだった。

 しかも、天堂院家に禁じられているのではなく、


『しゃべると真刃に嫌われるかもしれないから』


 とまで言った。


「……だが、成果もあった」


 エルナの右隣で刀歌が言う。


「六炉の様子からして、少なくとも主君と百年前の『久遠真刃』には何かしらの関係があるということは分かったからな」


「……う~ん、そうだけど……」


 エルナは眉をひそめた。

 一方、エルナの左隣に座るかなたは無言だった。

 エルナと刀歌の顔を横目で見つめている。


(……話すべきでしょうか)


 自分が赤蛇から聞いた情報。

 それを語るべきかと悩む。


(私たちの約束の夜までもう一年を切っている)


 彼とずっと生きたいと告げる日。

 恐らくその日に彼は尋ねたことをすべて答えてくれるだろう。

 しかし、こうしてかなたたちが動くのは、やはり焦りがあるに違いない。


(……芽衣さん。六炉さん)


 彼が連れてきた新たな妃たち。

 自分たちとは違う大人の女性たちだ。

 グッと膝の上で手を固める。

 彼女たちの出現で一気に日常が変わってしまったような気がしていた。


(……きっと彼女たちはすでに……)


 ズキンと心が痛む。

 それが嫉妬であることは理解していた。

 認めたくないのだ。

 何の障害もなく愛される彼女たちを。


(……私はこんなにも弱かったの?)


 そんなことを一人考え込んでいると、


「……しかし、エルナ」


 刀歌が少し不機嫌そうな声で告げた。


「どうしてあの二人に、私たちもまだの夜伽の権利を許可したのだ?」


 その問いかけに、かなたは二人に視線を向けた。

 刀歌の口調にも嫉妬が宿っている。


(流石は刀歌さん……)


 かなたでは聞けないことを何事にも直球な刀歌は、はっきりと尋ねた。

 するとエルナは、


「……やっぱり納得いかない? 刀歌も……かなたも」


 こちらを覗き込むように身を屈めてそう返してきた。


(ッ!)


 自分の名前まで挙げられて、かなたは内心で驚いた。

 今まで嫉妬を表情にも出したことはないというのに。

 それでもエルナはかなたの心情を見抜いていたのだ。


「二人の気持ちはよく分かるわ。私だって嫉妬しているもの」


 エルナは言葉を続ける。


「なら、何故なんだ?」


 刀歌は眉根を寄せた。


「どうしてあんな特権のようなことを許したんだ?」


「彼女たちは真刃さんが選んだのよ。私たちと同じように。だったら真刃さんの妃の一人としては拒否なんて出来ないわ」


 エルナは淡々とした声で言う。


「それに確かに特権ではあるけど、夜伽って本来は妃の大事な仕事の一つじゃない。私たちだってもし大人だったらすでに結ばれてたはずよ。それを彼女たちとは無関係の理由でダメだって言うのは筋が通らないわ」


「「…………」」


 刀歌とかなたは、エルナを見つめたまま耳を傾けている。


「あの二人に夜伽を禁止させることは理屈に合わないと思った。拒否なんて出来ない。だから私は逆にこれをチャンスにすることにしたのよ」


 と、人差し指を立ててエルナは語る。


「……どういうことですか?」


 かなたが問うと、エルナはふふんっと鼻を鳴らして。


「私の策。それは寵愛権を設定したことよ」


「……寵愛権だと?」


 刀歌が反芻する。エルナは「そう」と頷く。


「あれが重要なのよ。権利ではあるけれど行使すれば彼女たちの行動を制約する上に、私たちも真刃さんを独占することができる日。けど、今まで私たちが甘えても真刃さんはどうしても父性面が強く出ていた」


「それは……確かにそうですが」


 実のところ、最も娘のように思われているかなたが同意する。


「けどね」


 エルナは指先を揺らした。


「今は魅力的な大人の女性が二人も真刃さんの傍にいるのよ。今の真刃さんは異性に対する意識が強くなっているとも言えるわ。そこで私たちも本気で甘えるのよ」


 エルナはふふんと鼻を鳴らした。


「私たちもいよいよJKよ。約束の夜まで一年切ってるし。芽衣さんも六炉さんも凄く綺麗だけど、容姿なら私たちだってそう負けてないわ。なら、思わない?」


 一呼吸入れて。


「異性に対する意識が強くなった真刃さんと、成長した私たち。誰にも邪魔されずに思いっきり甘えられる状況ならつい魔が差しちゃんじゃないかって」


「「………な」」


 刀歌とかなたは目を瞠った。


「要は彼女たちを受け入れれば前倒しの可能性がグンと上がるんじゃないかと考えたのよ。正直なところ、最近の真刃さんの様子を見ていると、約束の夜も何だかんだで延長されちゃいそうな気もしていたからね。それに……」


 エルナはさらに続ける。


「芽衣さんたちに避妊を約束させたこと。あれ、少しズルをしたの。あの約束、あの二人に対してだけ交わしてたってことに気付いている? それはつまり……」


 そこで彼女は耳まで赤くした。

 視線を反らしてもじもじとするが、意を決して次の言葉を告げた。


私たちに・・・・はまだ適用されない・・・・・・・・・。ましてや予定外の前倒しなら不可抗力で……」


 その台詞に。

 刀歌とかなたは数瞬ほどキョトンとしていた。

 しかし。


「「~~~~~~ッッ!」」


 不意に、ボンっと。

 二人揃って顔を真っ赤にした。

 いや、顔を背けているエルナもすでに真っ赤だったが。


『(……なんかエルナちゃんが凄い計画を立ててるよ)』


『(……芽衣嬢ちゃんたちのことでへこんでるかと思ったら、むしろ攻めに入ってきたな。銀髪嬢ちゃんは意外とタフだったか)』


 と、こういう時は沈黙する二体の専属従霊・赤蛇と蝶花が意識を共有して会話していた。

 だが、実はここにはもう一体、新たな専属従霊がいた。


『……ガウ。凄イナ。ヒメハ戦術家ダッタカ』


 唐突に響いた声は、エルナの右手に付けられたブレスレットからだった。

 あまり目立たないシンプルな銀色のブレスレットである。

 エルナはギョッとした。

 自分のブレスレットを見つめて。


「え? りゅう?」


『……ガウ。オレダ』


 それは従霊五将が一角。

 このたび、晴れて壱妃の専属従霊になった九龍だった。


「お、起きてたの?」


 エルナが動揺した声で言う。

 九龍は、普段はほとんど休眠している。

 まだ復活して間もないため、本調子ではないそうだ。それでも九龍はたまには起きるのだが燦の赫獅子と、月子の狼覇は最初に覚醒してからまだ一度も起きていないらしい。

 五将の完全復活にはまだ少し時間がかかるというのが、主である真刃の見解だった。

 だから、九龍もいつも通り休眠中だと思っていたのだが……。


『……ガウ。今ハ起キテイタ』


 龍の従霊は告げる。


『オレ、ヒメヲ応援スル。アルジノ子ヲ、最初二宿スノハヒメダ』


「あ、ありがとう」


 反射的にエルナは礼を言った。

 が、それに対して。


「……そうはいかないぞ。エルナ」


 刀歌がおもむろに口を開いて立ち上がった。


「なるほどな。不利を逆手に取った見事な策だ。流石は壱妃だ。しかし、それを私に正直に教えたのは失敗だったな」


 大きな胸を支えるように腕を組み、まだ耳が少し赤い顔で不敵に笑う。


「早速、寵愛権を使わせてもらう。その策を大いに利用させてもらおうか」


 言って、自分のスマホを取り出した。

 エルナは「ええッ! それはズルい!」と叫んで刀歌の腕を掴んだ。


「むむっ! 離せエルナ!」


 と、壱妃と参妃がもめていた。


「…………」


 一方、弐妃・かなたは前髪で瞳が隠れるほど深く俯き、きゅっと唇を噛んでいた。

 口には出さないが、彼女の心にも決意が宿っていた。

 すでに嫉妬の炎など吹き飛んでいた。

 日常は変わってもその愛と想いは変わらない。

 寛容でありながらもしたたかに。

 それぞれ未来へと意気込む妃たちだった。

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