第108話 太陽を掌に②

「……《神威カムイ降ろしの儀》?」


 真刃が運転する車の助手席にて。

 金羊が宿るスマホを両手でギュッと掴み、シートベルトをしっかりと締めた月子は、真刃の横顔を見つめて、そう反芻した。


「そうだ」


 真刃が、静かに頷く。


「途方もなく古い儀式だ。千年。いや、二千年以上も前のな」


 真刃は車を飛ばしながら、「月子」と少女に尋ねる。


神威霊具しんいれいぐは知っているか?」


「は、はい」


 月子は、頷く。


「授業で習いました。神さまの名前と力を持つ伝説の霊具だって……」


 と、答えながら、月子はハッとした。


「まさか、《神威降ろしの儀》って……」


「……聡明だな。お前は」


 真刃はふっと笑う。


「その通りだ。《神威降ろしの儀》とは、神威霊具を創り出す儀式なのだ」


「……創れるの?」


 月子は、目を瞬かせた。


「学校の先生は、もう創ることは無理だって……」


「……いや。それは少し違うな」


 真刃は渋面を浮かべる。


「完全に不可能という訳ではない。恐ろしく困難だがな」


『……そうっスね』


 月子のスマホから金羊が話に加わる。


『儀式自体は結構簡単なんスよね。ほぼ何もしなくてもいいぐらいっス。難しいのは儀式に必要な道具……つうか素材集めっスよね』


「……素材?」


 月子が、可愛らしく小首を傾げて反芻する。

 その姿を、金羊は、カシャリカシャリと写真を撮りつつ、


『正直、月子ちゃんには聞かせたくない話なんスけど……』


 と、前置きしてから、


『まず必要なのは、生贄になる純潔の乙女っス』


「……え」


 月子は大きく目を剥いた。


『次にその乙女の体から魂までを溶かす溶鉱炉。霊具・《御霊奉みたまほう》っス』


「た、魂を溶かす……?」


 月子が青ざめた顔で口元を抑えた。

 少女の様子に金羊が心を痛めるが、ここは話した方が良かった。


『そして最後の一つ。それが生贄の乙女の魂を封じるヒヒイロカネの武具っス』


『……特に困難なのは、最後の武具だな』


 と、新たな声が会話に加わる。

 後部座席で浮いている猿忌の声だ。


『ヒヒイロカネ。伝承の中のみで存在する金属だ』


 猿忌は、淡々と知識を伝える。


『永久不滅の金属。加工も困難だが、そもそも入手することが、ほぼ不可能なのだ』


「そ、そうなの?」


 月子は後ろに振り向いた。猿忌は『うむ』と首肯する。


『この金属は、活発な龍穴にて極少量のみ精製されると聞く。だが、そこは引導師であっても決して足を踏み入れられぬ過酷な領域なのだ』


 龍穴とは、いわゆるパワースポットのことだ。

 しかし、一般的に言われる神社などのパワースポットではない。


 強大な自然の力が収束される場所。

 最もイメージしやすいモノとしては火口だろうか。

 もしくは、光も届かないような深海か。


 いずれにせよ、生物が容易に立ち入って探索できるような場所ではない。


「え? けど、それなら、昔の人はどうやって……」


「……定説では」


 と、ハンドルを切って真刃は言う。


「神代の時代には、ヒヒイロカネを精製する別の方法があったのではないかと言われている。そちらの製法は完全に失伝してしまったのだとな。または気の遠くなるような年月をかけて、枯れた龍穴からヒヒイロカネを回収したのではないかという説もあるな」


 一拍おいて、


「神威霊具に、本当に神が降りているのかはオレにも分からんが、現存する神威霊具は、いつしか、その属性に合わせた神仏の名で呼ばれるようになった。神仏の名を冠するに相応しいほどに強力な霊具だったからだ」


 ある意味、その威力を、身を以て知るのが真刃だった。

 胸中では、少し複雑な想いもある。


『……奴らは』


 金羊が、神妙な声で言葉を続けた。


『どうやったのかは分からないっスけど、ヒヒイロカネの武具を持っているようっス』


「そ、そんな……」


 月子は、ますます青ざめた。

 ここまで分かれば、その先を推測するのは容易かった。


「じゃ、じゃあ、あの人たちは燦ちゃんを……」


「……恐らくな」


 月子の呟きに、真刃が渋面を浮かべて答えた。


「燦を犠牲にして、わざわざ人の手に余る霊具を創るつもりなのだろうな」


『……そうっスよね』


 と、金羊も同意する。


『神威霊具は特殊すぎるっスから使用者も選ぶっス。歴代のほとんどの使用者は、契約に耐え切れず、その場で廃人になったそうですし。仮に契約できても一撃か二撃で命が尽きたそうっスから、マジで捨て身の霊具っス。まあ、即廃人になるか、一撃二撃までは耐える差は、多分、属性の相性と、契約者個人が持つ魂力の量に関係すると思うんスけど……』


「あ、いえ、それは違います」


 不意に、月子がそんなことを告げた。


『へ? 月子ちゃん?』


 思わぬ人物の指摘に、金羊は目を丸くした。真刃も一瞬だけ視線を月子に向ける。

 月子は、ハッとした顔をするが、


「え、えっと、あの、聞いたことがあるんです」


 しどろもどろになって説明する。

 実は、その点に関してだけは、月子は真刃たちよりも詳しかった。

 以前、契約者本人である御前さまから、その話を聞いていたからだ。


「その、神威霊具は契約すると同時に、莫大な量の魂力を契約者に注いでくるんです。それを数値にすると……」


 一拍おいて、


「軽く20万を超えるそうです。だから、契約者にとって重要なのは、所有する魂力の量じゃなくて、魂力を受け入れる容量キャパシティーの方だって聞きました」


「……それは初めて聞く話だな」


 真刃は、ポツリと呟く。


「だが、得心もいく話だ。なるほどな。一時的・・・だとしても、そんな異常な量の魂力を注がれては体が持たんのも当然か」


 心が強く痛む。

 あの日、杠葉は、神刀に完全に適合していたように見えた。

 歴代の契約者の中でも、例外的な事例だった。


 恐らく、当時の火緋神の当主――杠葉の父親は、それを見越していたのだろう。

 当時、杠葉は火緋神の至宝とまで謳われていた。そんな彼女を、まるで使い捨ての道具のように扱うとも思えない。

 杠葉の父には、娘が神刀に適合するという何かしらの確信があったのだ。

 そう推測していた。


 だが、いかに適合しても、その話が事実だとすれば、一時的であっても、それだけの魂力を注がれては、杠葉の負担は甚大だったはずだ。

 彼女のその後の人生は短命だったのかもしれない。


(……杠葉)


 果たして、彼女は幸せになれたのか……。


「いえ。おじさま。それは一時的じゃなくて……」


 と、月子が何かを話そうとしていたが、その時、車がゆっくりと停車した。


「え?」


 月子は外を見る。夜の海が目に映り込んだ。

 近くには複数の大きな倉庫。

 ここは、どうやらコンテナ船が停泊する港のようだ。


「……さて。月子」


 車を完全に停止させて、真刃が「ここで待っていろ」と告げようとするが、


「――私も行きます」


 その前に、月子はそう答えた。

 自分のシートベルトを外しつつ、真刃は眉をしかめた。


「危険だ。まだ奴らが何者なのかも分かっておらんのだぞ」


「それでもです」


 月子は、真っ直ぐ真刃の顔を見つめた。


「燦ちゃんは、私の友達だから」


「……………」


「もし置いて行かれても、こっそり付いていきます」


 そんなことまで言い出した。

 真刃は額に手を当て、はあっと嘆息した。


「……大人びているかと思えば、お前は頑固だな」


「……頑固じゃないです」


 月子は、柔らかに微笑んだ。


「甘えているんです。おじさまに」


「……なに?」


 真刃は驚いた顔で、軽く目を瞬かせた。


「だ、だって……」


 対する月子は、上目遣いで真刃を見つめて。


「私は、おじさまになら甘えてもいいんでしょう?」


「………む」


 これには、何とも言えない顔をする真刃。

 確かに、この薄幸で頑張り屋の少女には気をかけている。

 自分に甘えることで、少しでも心が軽くなるのならば良いことだ。

 とは言え、まさかこんな甘え方をされるとは……。


(……やれやれだな)


 何にせよ、ここに残しても後で付いてくるのは確実のようだ。

 それに、近くに伏兵や見張りもいるかもしれない。一人残すのも危険だった。

 ならば、自分の目の届く場所に置いた方が安全だろう。


「……無理をするでないぞ。月子」


「ありがとう! おじさま!」


 月子は、心からの笑顔を真刃に贈った。

 真刃は苦笑しつつも、月子の頭をくしゃりと撫でた。


「ここは敵地だ。気を抜くな」


「はい。おじさま」


 頷く月子。

 そうして、二人は車から降りた。

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