第109話 太陽を掌に③

 その頃。

 ウトウト、と。

 火緋神燦は、微睡に包まれていた。

 ずっと、自分がどこかに運ばれているのを感じていた。

 ただ、なかなか意識がはっきりとしなかったのだ。

 しかし、ここに至ってようやく目が覚めてきた。


(……あれ?)


 燦は、ぼんやりと目を瞬かせた。


(……ここ、どこ?)


 かなり暗い場所だ。

 しかも、自分の両手両足が宙に浮いている。

 どうやら自分は誰かに小脇に抱えられているようだ。

 ムッとする。

 小脇とはいえ、誰かが自分を抱いているのだ。

 自分を抱っこしてもいいのは、未来の旦那さまだけというのに。


(……ムム!)


 燦は、眉をしかめて顔を上げた。

 すると、


「……ん?」


 その男と視線が合った。自分を小脇に抱えている大男とだ。

 見覚えがある。自分と月子を襲ってきた変態だ。

 数瞬の沈黙。


「――うおッ!?」


 大男は、ギョッとして燦を離した。

 その直後のことだ。

 ――ドンッ!

 燦を中心に巨大な火柱が立ったのは。

 そして、全身に粘性の高い火炎を纏い、まるで小さな太陽のようになる。

 太陽からは瞬く間に大きな両腕と、小さな尻尾と角が生えてくる。

 ゴフウッと火炎を吐く、燦の炎獣である。


『お前らは誰だ!』


 小さな怪獣と化した燦が叫ぶ。


『月子はどこなの!』


 親友の姿が、どこにも見当たらない。

 強い焦りと共に炎を撒き散らして、丸い炎獣は身構えた。

 燦を掴んでいた大男も、周囲の男たちも慌てた様子で間合いを取った。

 しかし、そんな中で――。


「……おやおヤ」


 隻眼の男だけが笑っている。

 腕にアタッシュケースを手錠で縛り付けた奇妙な男だ。


「目を覚ましちまったのカ。寝てた方が幸せだったのにナ」


 言って、男は片手を上げた。

 それに合わせて、三人の男が懐から無痛注射器を取り出した。

 それを、それぞれが首筋に当てる。


『……え?』


 燦は目を見開いた。

 首筋に注射器を当てた男たち。

 彼ら全員が、みるみる内に歪な怪物へと変わったからだ。

 燦が纏う炎獣……炎の塊とは違う。 


 腕が四本ある巨猿。

 牛頭と馬頭の二つの頭を持つ巨人。

 そして、虎よりも二回りは大きい三尾の狐。


 まるで伝説に出てきそうな、あまりにもリアルな怪物たちだった。


(な、なにこれ?)


 そこで燦はハッとした表情で、自分たちを攫った大男に目をやった。

 そう言えば、あの男も巨大な怪物に姿を変えていた。

 ――そう。まるで大きな山のような……。


『――あんたたち!』


 燦は眼差しをきつくして、男たちを睨みつけた。


『まさか人間じゃないの!』


「いやいや。れっきとした人間サ」


 と、隻眼の男が、パタパタと横に手を振った。


「ちょっと変わったお薬物クスリを使う引導師ボーダーサ。この国にもいるはずだぜ。最近では俺らみたいにこの薬物の適合者をこう呼ぶそうダ」


 男はニヤリと笑った。


「――象徴者シンボルホルダーってナ」


『うっさい! なにそれ! ただの見かけだけのハッタリじゃない!』


 燦は叫び、炎獣は大きく口を開けた。

 直後、巨大な火山弾が撃ちだされ、怪物の一体――牛頭と馬頭の巨人に直撃するが、


『――え?』


 唖然とする燦。

 火山弾の直撃を受けても、巨人はほぼ無傷だったのだ。


「はははッ」


 隻眼の男が笑う。


「こいつらの魂力の平均は1500。はっきり言って手強いゼ」


『――1500!?』


 流石に、燦も目を剥いた。

 それは、第一線級の引導師が持つ魂力の量だった。

 しかし、その言葉に動揺している余裕は、燦にはなかった。

 三体の怪物が、燦の炎獣に襲い掛かってきたからだ。


『――クッ!』


 炎獣は火山弾を連続で吐き出して応戦するが、怪物たちが怯む気配はない。

 巨人と巨猿は横に跳び、三尾の狐は大きく頭上に跳躍した。

 炎獣はバウンドするように後方に跳ぶが、間合いを詰めた巨人に、それこそサッカーボールのように蹴り飛ばされてしまった。


『くあっ!』


 炎獣は、愛らしい声で苦痛を上げて何度もバウンドした。


「おおッ! ナイスシュート!」


 隻眼の男が、パチパチと拍手した。

 燦が歯を軋ませる。燦の炎獣は、炎ではあるが、実質は粘土に近い。

 空洞のぬいぐるみの中に、燦が収まっているような術だ。

 そのため、防御力には自信があったのだが、それでも今の一撃はかなり響いた。


『……くうッ』


 思わず、燦は唇を噛んだ。

 1500の魂力という嘘くさい言葉も真実味を帯びてくる。


「……お前に勝ち目はない」


 その時、大男が腕を組んで語り始めた。


「抵抗するのも時間の無駄だ。大人しくすることだな」


 燦は、大男を睨みつけた。

 そして、


『……月子はどこにいるの?』


 最も気になることを尋ねた。

 すると、大男は隻眼の男に顔を向けた。

 それに対し、隻眼の男は苦笑を浮かべて肩を竦めた。

 ふうっ、と大男は嘆息し、


「こことは違う場所にいる」


 淡々とした声で、そう答えた。


『こことは違う場所?』


 燦は眉をしかめた。


『そこは一体どこなのよ』


「とある廃ホテルだ。今頃、あの娘は……」


 そこで、大男は皮肉気に口角を崩した。


「子供でも攫われた引導師の末路ぐらい想像できるだろう。あの娘は、俺の仲間が気に入ってな。今頃あいつの隷者ドナーだ。哀れとは思うが、薬物クスリで快楽漬けにされている頃だろうな」


『か……』


 燦は絶句した。

 次いで、脳裏に親友の笑顔が浮かび上がり、


『――ふざけるなッ!』


 ――ゴウッッ!

 炎獣の体から、巨大な火柱が立ち昇る。


『お前たちに構っている暇なんてない! お前たちを倒して月子を助けに行く!』


「……ふん」


 大男は、気炎を吐く燦を鼻で笑った。


「どうやってだ? お前では俺はおろか、そこの三人にさえ勝てんぞ」


 そう告げると、三体の怪物が燦の炎獣を囲った。

 燦は、怪物たちを睨みつけた。

 そして、大きく息を吸い込んで。


『……こうすんのよ』


 そう呟いて、両手を前に突きだした。炎獣の内壁に手を突っ込んだ状態だ。

 燦は、そのまま前へと進む。

 炎が彼女を覆い、学校の制服が焼け落ちていく。

 靴下も、背負っていたランドセルも、下着さえも跡形もなく燃え尽きていく。

 そうして、彼女は卵から孵るように、炎獣から外へと出た。


 炎獣は大きく崩れ落ちる。

 その代わりに、そこに立っていたのは炎の少女だった。


 火の粉を放ち、紅く燃える髪。リボンの代わりに、炎によって結いでいる。

 四肢には、長い手袋やタイツを思わせる炎を纏い、細い首元を押さえ、背中を大きく開いた、火炎のドレスを着た少女である。


 男たちは目を剥いた。


「おいおイ。こいつは……」


 隻眼の男さえも、感心した眼差しを向けている。

 これこそが燦の最強のスタイル。彼女本来の《炎奉衣ジ・プロミネンス》だった。

 しかし、燦は普段この姿にはならない。

 理由は簡単だ。衣服や身に着けている物が、すべて燃え落ちてしまうからだ。

 いかに強力でも全裸になるのでは、少女としては躊躇ってしまう。

 だからこその炎獣だったのだが……。


「…………」


 ――ギリッ、と。

 燦は、歯を軋ませた。

 その躊躇いのせいで敗北して親友は――。


「……絶対に許さない」


 燦は怪物たち。そしてこの場にいる男たち全員を睨みつけた。

 そして――叫ぶ!


「絶対に、許さないんだから!」

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