第49話 百年目の出会い③

「……やれやれだな」


 木々が視界を遮る森の中。

 久遠真刃は一人、疾走していた。

 目的は一つ。

 前方を走るB級我霊の討伐である。

 人面虎とでも呼ぶべき我霊は、必死の形相で真刃から逃げていた。

 涎を垂れ流して、形振り構わない逃走である。


「……これだから、B級は厄介だ」


 人間とは思えない速さで走りつつ、真刃は眉をしかめた。

 真刃にとって、B級は一番面倒くさい相手だった。

 B級は、獣の直感と人の知性を中途半端に持ち合わせた段階の我霊だ。

 今のエルナやかなたではまだ手強いレベルだが、真刃にとっては脅威でもない。

 ただ、B級はすこぶる面倒だった。

 このレベルの連中は、真刃と出くわすなり、すぐさま逃走するのだ。

 絶対に勝てない相手だと瞬時に悟るのである。

 そうして始まるのが、今回のような追いかけっこだ。

 仕事用に仕立てた紳士服も、木々の枝に引っかかって一部ほつれてくる。

 決して安価な服ではないというのに。

 真刃は、うんざりしていた。


『だから、受けない方が良いと言ったではないか』


 と、真刃の隣を走る黒鉄の虎が告げた。

 大型バイクに憑依した猿忌である。


『どうして面倒なB級を受けるのだ。こうなることは分かっていただろう』


「……仕方あるまい」


 人外の速度で疾走しても息も乱さない真刃が、嘆息した。


「近場の依頼ではこれしかなかったのだ。エルナとかなたの指導にも時間を割かねばならない以上、遠出も出来ん。己には選択肢がなかった」


『いやいやご主人。もう無理して受けなくてもいいと思うっスよ』


 と、告げるのは、真刃のズボンのスマホに宿る金羊だった。


『ご主人には、もう二人も嫁確定っ娘がいるんスよ。ご主人の言う「自立するための資金」集めも意味がなくないっスか?』


「だから、勝手にエルナたちを己の嫁にするな」


 真刃は、額に青筋を浮かべる。


「自立するための資金は必要なのだ。何度も言わせるな。それよりもここは人里も近い。いい加減、奴を片づけるぞ。猿忌」


 言って、真刃は強く地面を蹴りつけた。

 加速されていた上に、さらに砲弾のような速度が加わる。

 真刃は跳躍して、一気に我霊に迫った。


「――猿忌」


『――御意』


 猿忌はそう応えて、主を追って跳躍した。

 そして瞬時に黒鉄の巨体を分解して、振り上げた真刃の腕へと欠片を収束させる。

 真刃の右腕が二回りほど大きくなった。火を噴く黒鉄の巨腕だ。

 眼下には、人面虎の背中がある。


「とっとと眠れ」


 そう告げて、真刃は巨腕を振り下ろした!

 ――ズドンッッ!


「――ッ!?」


 人面虎は仰け反り、血反吐を噴き上げた。

 直撃を受けた背骨は粉砕――本当に肉片レベルにまで粉砕された。

 さらに鋼の巨腕は大地を穿ち、巨大な振動と共に大きく陥没させた。

 もはや局所的な地震だ。

 周囲の木々が、大きく揺さぶられる。

 その揺れが収まってから、真刃はゆっくりと立ち上がった。

 傍らには、息絶えた人面虎の姿がある。


「……ようやく片がついたか」


『随分と手こずってしまったな』


 と、黒鉄の巨腕が告げる。

 真刃としては、溜息しかない。


「今後は、気付かれる前に遠距離から片づけるべきだな」


 と、反省しつつ、巨腕のまま森の中を進む。


『……? 元の道に戻らないのか、主よ?』


「随分と走らされたからな。ここからなら、下に向かった方が車道に近いだろう。そこでお前を二輪自動車バイクに戻す」


『ふむ。そうか』


 猿忌も納得する。

 真刃は、歩き続けた。

 そうして数分後、森を抜けて視界が開けた。

 幾つか鋭利なコーナ―を繰り返す、山道に設けられた車道だ。

 背の高い森の中で分かりにくかったが、すでに日が暮れているのを確認する。


「ようやく出たか」


 真刃は、車道のガードレールの傍まで近づいた。

 そして、


「おっと、いかんな」


 ここは、人通りや車通りがかなり少ない場所なのだが、運悪くというべきか、眼下には一台だけ車が走っている。距離的には一キロ先ぐらいか。ワゴンという種類の自動車だ。


「猿忌よ」


『うむ。了解した』


 この姿を見られては面倒だった。

 猿忌が憑依を解いて、大型バイクの姿に変わろうとした、その時だった。

 ――ガガッッ!


「は……?」『……なに?』『な、何スか?』


 真刃も、猿忌も、金羊も。

 思わず唖然とした声を上げた。

 そして、ギョッとした様子で再び眼下を見やる。

 すると、そこには――。


「な、に……?」


 眼下を走っていた黒いワゴン車。

 そのルーフから、刃のような熱閃が噴き出していたのだ。


『事故っスか? いや、少し確認するっス!』


 スマホに憑依した金羊が言う。

 数瞬の沈黙。


『ご主人!』


 そして、すぐに調査結果が出た。


『あの熱閃から魂力を確認したっス! あれは引導師の術っス!』


「……引導師だと?」


 真刃は、眉根を寄せた。


「一体どういうことだ?」


 と、真刃が、さらに尋ねようとした時だった。

 ――ガガガガガッ!

 熱閃が孤を描き、ルーフを切り裂いたのだ。その上、そのルーフを突き破って一人の少女が飛び出してくるではないか。長い黒髪を持つ少女だ。

 彼女は、車外へと飛び出すと、地面に着地。しかし、負傷でもしているのか、その場で、ガクンと片膝を突いた。よく見ると、見覚えのある白い制服を着ていた。

 車は急停止。スライドドアが勢いよく開かれて、数人の男が飛び出してきた。

 そして少女の元へと近づいていく。

 真刃は、その一部始終を上の車道から見ていた。


「……これは」


 渋面を浮かべる。

 近づく男たちを前にして、少女の顔が強張るのが見えた。


「……どう見ても、只事ではないな」


 一人の少女に、数人の男。

 とても穏やかな状況とは思えない。


『……は?』『え? どうしてあの子が?』


 ただ、猿忌と金羊は別のことで驚いていたが。

 しかし、真刃は、いちいち従者たちが動揺する理由を尋ねない。

 それを尋ねる時間も惜しいからだ。

 真刃は鋼の巨腕のまま、右足をガードレールにかけた。


『……主?』


 まだ少し動揺している猿忌が、真刃に問う。


『どうするつもりだ?』


「状況は分からん。だが、出くわした以上、放置も出来ん」


 真刃は、眼下の少女を見て告げる。


「まず、あの娘を助ける。事情はその後にでも聞けばよかろう」


 ………………………………。

 ………………………。

 数瞬の間が空いた。

 そして、


『無論だ! さあ、行くぞ! 主よ!』


『颯爽っス! 颯爽にカッコよく助けるっス!』


 二体の従霊たちは、それはもう嬉しそうに応えるのであった。

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