第50話 百年目の出会い④

(――くそッ!)


 アスファルトに片膝を突き、御影刀歌は渋面を浮かべた。

 何か薬物でも嗅がされたのかもしれない。

 頭が、クラクラとしていた。

 口元を覆っていたガムテープを、ビリっと剥がす。


(……何者だ? こいつらは)


 停車したワゴン車から、数人の男たちが飛び出してくる。

 刀歌の表情が強張る。

 ――いきなり、拉致された。

 何かの術なのか、何故か刀歌は全く抵抗さえ出来ず、こいつらにワゴン車の中に引きずり込まれた。そして何かを鼻に押し当てられてから、両手を結束バンドで縛られた。

 その間も、自動車は走行している。

 刀歌は、朦朧とした意識で男たちの会話を聞いていた。


「……ありがとうございます。助かりました」


「いいよ、いいよ。ボクの都合だし。それよりも大変だねェ。このお姉さんって、やっぱりお父さんの? それとも兄さんたちの?」


「いえ。実はこの少女は……」


「……え? そうなの? 兄さんたちやお父さんのじゃないの? そっか、ボクのなのかぁ。綺麗なお姉さんだけど、困るなあ。だって、ボクには七奈ちゃんがいるし」


「え? 七奈さま? それはどういう……」


「ん? それはまだ秘密。けど、苗床かあ……」


 そこで、ポンという音が響いた。


「うん。これもお父さんに相談してみよう。別に苗床じゃなければいいよ。ただのってことなら――」


 ――隷者。

 その言葉を聞いた途端、刀歌の心音が跳ね上がった。

 それだけで理解した。この男たちの目的は――。

 凄まじい嫌悪感が、全身を貫いた。

 まるで沸騰するように思考がクリアになっていく。

 刀歌は目を見開いた。

 そして形振り構わず、系譜術を発動させる。ボウッと結束バンドを焼き切った。

 彼女の系譜術は、刀の柄を触媒にする。

 だが、短時間ならば、触媒なしでも発現は可能だった。


「うおっ!」「こ、こいつ!」


 男たちは目を剥いた。

 刀歌は両手を頭上に掲げた。渾身の魂力を込めて熱閃を発現する。

 生み出された熱の刃はルーフを貫いた。


「まずい! 車を止めろ!」


 男の一人が叫ぶが、刀歌は構わず熱閃を動かし、ルーフに穴を開ける。

 そして全力で跳躍した。

 ――ガゴンッ!

 ルーフを撃ち抜き、刀歌は車外に脱出した。

 その際に、結いでいた髪が解ける。

 空中で反転した刀歌は地面に着地する。が、まだ本調子とは言えず、片膝を突いた。

 そうして、今に至るのである。


 男たちは、すでに全員、車外に出ていた。

 刀歌は視線を巡らせる。

 どこかの山道か? 知らない場所だ。他の人間や通行する車の姿もない。


(逃亡は難しいか……)


 男たちを見やる。

 恐らく――全員が強い。

 立ち姿が洗練されている。ただの犯罪者の動きではない。


(……引導師ボーダー


 そうとしか考えられない。

 刀歌は膝を立ち上げて、拳を固めた。

 引導師が、引導師を攫う。

 攫って洗脳し、自らの一族の隷者にするのだ。

 それは、昔からよくある話だと聞いていた。

 まさか、自分の身にも起こるとは思わなかったが。


(どうする……)


 刀歌は、冷たい汗を流した。

 しかし、それと同時に、

 ――ドクンッ、ドクンッ、と。

 心の奥底からの鼓動が聞こえる。

 ゾクゾクと全身が震えた。


 ――何という窮地か。

 かつてない危機に、彼女の中の『獣』が歓喜を覚えていた。

 それを示すように、彼女の口元に獰猛な笑みが刻まれていく。

 すうっと右腕を横に広げる。固めた拳から熱閃が噴き出した。

 それは、かつてないほどの勢いと輝きだ。

 彼女は左手を地面に突き、獣のように構えた。

 まるで美しい野生の獣のようなその姿に、男たちは目を奪われる。と、


「……へえ」


 不意に感嘆の声が呟かれる。

 刀歌は、視線をその声の主に向けた。

 そこにいたのは、十五歳ほどの少年。

 黄金の髪に碧眼。刀歌が、ワゴン車の中で最初に見た少年だ。

 彼はあごに手をやって、まじまじと刀歌を見つめていた。


「凄い目をするね、お姉さん」


 少年は言う。


「まるで野生の獣みたいだ。少し興味が湧いてきたよ」


「……ふん」


 刀歌は、さらに重心を沈めて鼻を鳴らす。


「貴様らの目的は聞いた? 私を隷者にするだと? 笑わせてくれる」


 双眸を細めた。


「弱い男に興味はない。私を隷者にしたくば、私をねじ伏せるのだな!」


 言って、刀歌は地を蹴った。

 凄まじい速度だ。

 進路上の男の一人が慌てて黒い靄のようなもので防御しようとするが、刀歌は跳躍しながら回転。熱閃の刃で黒い靄を打ち付けた。


「うおっ!?」


 想像を超えた威力に、靄の男は目を剥いた。

 そして、そのまま弾き飛ばされてしまう。

 刀歌は足をアスファルトに打ち付けた。大きな亀裂が入る。

 刀歌は足に力を込めて再び跳躍する!

 狙いは、首謀者らしき少年だ。

 天を突くような劫火を拳から噴き出し、それを一気に振り下ろす!

 ――だが、

 ――バキンッッ!


「――え」


 刀歌は目を瞠った。

 振り下ろした熱閃の刃。それが半ばから砕け散ったのだ。

 が、だ。


「ば、馬鹿な……」


 唖然とする。熱閃の刃は、半ばから氷と化していた。

 砕け散ったのは、氷と化した部位だ。

 少年はニコニコと笑った。


「凄い一撃だね。けど、ボクとは相性が悪いかな? あと、ごめんね」


 少年は指先を刀歌に向けた。


「別にお姉さんのことはねじ伏せてまで欲しくはないかな。ボクとしては、お転婆すぎるのは好みじゃないし」


 そう告げた。

 直後、


「――ごふッ」


 刀歌は、吐血した。


「………あ」


 腹部に手をやる。と、大量の血が付いた。

 腹部には大きな風穴が開いていた。

 刀歌は、ガクンッと片膝をその場に突いた。


「――八夜さま!」


 男の一人が叫ぶ。

 すると、少年はおろおろとした。


「あ、ごめん! ついやっちゃった!」


「なんということ……その娘は八夜さまご自身の苗床なのですよ!」


 別の男も叫ぶ。少年はさらにおろおろした。


「え、けど、いらないよ? こんなお転婆お姉さん。七奈ちゃんに全然似てないし」


「どれだけ七奈さまがお好きなのですか!」


 さらに、別の男が叫んだ。

 男は膝を突く刀歌の傷痕に目をやった。

 脇腹辺りから、大量の血が流れ出ている。


「あれはまずいぞ。致命傷レベルだ。いや、それ以前にすぐ出血死する」


「おい! 誰か治癒系の術を使える奴はいないのか!」


「いる訳ねえだろ! 俺らは拉致班なんだぞ!」


 男たちが騒ぎ出す。

 刀歌は、その様子に歯を軋ませていた。

 こんなことで。

 こんな簡単に自分の命は終わるのか。

 そう思うと、死の恐怖よりも、ただ悔しかった。


(……刀真。すまない)


 幼い弟に詫びる。

 自分はここまでだ。

 だが、せめて最期の意地だけは見せつけやりたい。

 刀歌は歯を喰いしばり、立ち上がった。

 男たちがギョッとする中、静かに両手を上段に構える。


(私のすべての魂力を――)


 そして、渾身の熱閃を生み出した。

 先程の炎を超える輝きだ。


「へえ。まだ足掻くんだ」


 少年が、興味深そうに呟いた。


「つい殺しちゃったのは、ちょっとだけ惜しかったかな? まあ、いいけど」


 天使のように少年は笑う。

 一方、刀歌は獣の眼差しだ。

 より炎が輝く。それに呼応するように、少年の周囲も何やら輝き始めていた。

 男たちはただ、息を呑むだけだ。

 一触即発。誰もがそう思った。

 だが、その時だった。


 ――ズズンッッ!

 と、が、天より突然現れたのは。


 まるで、隕石のようにアスファルトに着地したは、衝撃で地面を大きく砕き、大量の砂塵を巻き起こした。


「な、なんだ!?」「何が起こった!?」


 男たちは動揺する。

 そんな中、少年――八夜だけは、茫然とした表情でそれと対峙していた。

 砂塵の中、血塗れの少女を片腕に抱く、黒鉄の巨腕を持つ青年と。


「お、お前は、誰だ……?」


 唖然とした表情で、彼の腕に抱かれる刀歌と、


「……君は誰さ?」


 対峙する八夜は、奇しくも同じ問いかけをした。

 すると、その青年は――。


「……己も聞きたいぞ」


 八夜を険しい顔で睨みつけてきた。


「お前は? お前のような存在モノが今代でもまだいるというのか?」


 ギリと歯を鳴らす。と、


「――こふっ」


 刀歌が、さらに吐血した。

 青年――久遠真刃は、ハッとした表情で少女を見やる。

 すでに、彼女の手から炎の刃は消えている。

 少女の顔色は、もはや危険なレベルだった。

 真刃は、刀歌を強く抱き寄せた。

 そして両足に力を込める。

 ――と、


「……待ってよ。お兄さん」


 八夜が、真刃を止めた。


「このまま、行かせると思う?」


「……己としても、お前には興味がある」


 真刃は、八夜を一瞥した。


「だが、今はこの娘の方が先決だ。案ずるな。いずれお前とは遭うことになるだろう。それはお前も感じているのではないか?」


「……そう」


 八夜は目を細めた。


「うん。分かったよ。行きなよ。けどそのお姉さん、もう死ぬよ?」


「…………」


 真刃は無言だ。ただ、両足に力を込めて跳躍する。

 信じがたい膂力で飛翔し、真刃は下段の道路へと着地した。

 そこから、人間とは思えない速度で走り出す。

 八夜は、その様子を静かに見守っていた。


「は、八夜さま……?」


 砂塵が収まり、ようやく動揺から立ち直った男の一人が声をかける。と、


「……ヤハハ」


 八夜は、笑い始めた。


「ヤハハハハハハッ! 何だあれ! 何だよあれ!」


「は、八夜さま?」


 顔を見合わせて動揺する男たちをよそに、八夜は笑い続ける。


「ボクの同類? お父さんの仕業? どこかでこっそり創ってたの? 分からない! 全然分からないけど、凄い! 凄いのと遭ったよ!」


 八夜はガードレールに身を乗り出して、ブンブンと手を振った。


「お兄さあああああん!」


 大声で叫ぶ。


「また遭おう! きっとまた遭おうねえええええ!」

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