第51話 百年目の出会い➄

 車道を走る。

 ただ一歩で数メートルを跳び、時には下段の道路へと飛び降りる。

 尋常ではない疾走だ。

 だが、どれほど速く進んでも、真刃の表情は険しかった。

 腕の中の少女の血が止まらないからだ。


(……くッ)


 悔やまれる。

 完全に出遅れしまった。

 わずかに距離が開いていたこと。

 少女から敵に挑んでしまったこと。

 それが、この結果を招いてしまった。


(この傷はまずい……)


 明らかな致命傷だ。

 どれほど急いでも、病院まで持たない。

 そもそも医者ではもう無理だ。

 一流以上の治癒術を持つ引導師の力でも借りなければ、助からないだろう。

 せめて、もう少し奴らから距離を取って、一度、救命処置を行わねば――。

 と、考えた時だった。


「はな、せ。離せえええッ!」


 少女が唐突に叫んだ。

 そして突然、彼女の拳から炎が噴き出した。


「――ッ」


 流石にギョッとした真刃は、思わず足を止める。

 その隙に、少女は身を捩じり、真刃の腕から脱出した。

 少女は間合いを取って、身構える。

 左手を地面に添え、右腕を横にかざす。ボタボタと腹部から血を零した。


「お前は、誰だッ!」


 少女は血塗れの口で叫んだ。

 一方、真刃は目を見開いていた。

 少女の燃えるような瞳に、見覚えがあったのだ。


「……お前は」


 そう呟くと、少女の握りしめた手から赤い熱閃が噴き出した。

 真刃は、さらに瞠目する。


「《火尖刀かせんとう》だと? まさかお前は――」


 思い出す。

 かつての自分の同僚だった男を。

 獣のような瞳を持つ少女に、あの男の姿を重ねる。


「……御影……」


「……私の名を知っているのか……」


 ゴフッと血を吐きながら、少女が呟く。

 その双眸は、死を前にしながら爛々と輝いていた。


「……やはり、お前も敵か」


「いや、待て」


 流石にそれは誤解だ。

 真刃は止めようとするが、彼女は聞く耳を持たない。

 ――いや、出血で、もうほとんど判断が出来ない状況に陥っているようだ。

 こうなっては、もはや言葉で説得は不可能だった。


「……私は、じきに死ぬ」


 少女は、熱閃を翼のように上げた。


「だが、ただでは死なん。お前たちの、一人だけでも、道連れにしてやる」


「…………」


 真刃は無言だった。

 そして、

 ――すっ、と。

 黒鉄の右腕を、少女に向けた。


『……主よ』


 巨腕から聞こえる猿忌の声にも答えない。

 少女はもう助からない。

 ならば、せめて彼女の最期の我儘に付き合う。

 猿忌は、主の心情をそう捉えた。

 夜の車道に、沈黙が訪れる。

 そうして――。

 ――ドンッ!

 少女が跳躍した。

 長い髪をなびかせて、一瞬で間合いを詰める。

 彼女は壮絶な笑みと共に、これまでの生涯で最強の一撃を繰り出した!

 ――が、


 ――バシュウウッッ!


「――ッ!」


 少女は目を瞠った。

 熱閃の刃は、黒鉄の巨腕に直撃した。

 かざしていた掌にぶつけたのだ。

 しかし、命さえも乗せた渾身の炎の刃は、わずかに喰い込むことも出来なかった。

 少女は茫然とした。


「なかなかの威力だ」


 真刃は告げる。どこか懐かしむような声で。


「しかし、まだまだ修行不足だな。御影の研ぎ澄まされた刃には遠く及ばぬ」


 言って、真刃は左手をすっと上げた。


「御影の遠き娘よ。今は眠れ」


 そう告げて、真刃は彼女の首筋に、トンと手刀を打ち付けた。

 それだけで、彼女はふっと意識を失って、真刃の腕の中に倒れ込んだ。

 真刃はとても優し気な眼差しで、腕の中の少女を見つめていた。

 同時に、黒鉄の巨腕が崩れ落ちて、巨大な鋼の虎と化した。


『……主よ』


 黒鉄の虎――猿忌は告げる。


『すまぬ。よもや参妃候補がこのようなことになろうとは……』


『……正直、想定外だったっス』


 真刃が持つスマホからも声がする。


『せめて、この子がこのまま痛みを感じることなく逝けるのを願うっス』


 と、金羊が告げた。

 そんな従霊たちに、真刃は、


「何を言うか。お前たちは」


 そう告げて、地面に意識を失った少女を横たわらせた。

 次いで、懐から小さな小瓶を取り出す。緊急時用の霊薬だ。

 エルナやかなたに万が一の事態があった時のために購入しておいた治癒の秘薬である。価格にして二千五百万円。引導師たちの間で売買されてる霊薬の中では最高級の品だった。


「許せ。御影の娘よ」


 真刃は霊薬を地面に置くと、刀歌の肩を片手で抱き上げた。

 そのまま、ビリビリ、と彼女の血塗れの制服の傷口部を破る。

 脇腹に刻まれた無残な傷口が露になった。背中まで貫通した深い傷だ。

 真刃は霊薬を傷口にかけた。刀歌は「う……」と呻いた。

 粘性の強い液体が傷口を覆い、出血も収まっていく。

 虎の子の秘薬だけあって、一時間程度ならばこれで延命も可能のはずだ。


「この娘が、お前たちの言っていた参妃とやらであることは分かった。救出にお前たちがやけに乗り気であったことも。その点においては言いたいことが山ほどあるが、勘違いするなよ」


 そう言って、片膝をつく真刃は、彼女の頬にそっと手を当てた。

 こうして見ると、やはりあの男の面影がある。

 というよりも、かなり似ていた。

 あの同僚も、どちらかというと女性的な顔立ちをしていた。

 時折、女性と間違われていたぐらいだ。

 まあ、その度に、あの男は顔を真っ赤にして憤慨していたが。


(……御影……)


 双眸を細める真刃。そして、


「この己が、御影の忘れ形見を見捨てるとでも思っているのか?」


『……なに?』『え……』


 真刃の台詞に、猿忌と金羊は困惑の声を上げた。


『どういう意味だ? 主よ』


「もはや、この娘を救う方法は一つしかない。金羊よ」


 真刃は、意を決して尋ねる。


「お前の中には、《隷属誓文》のアプリというものがあるのだな?」


『へ? あるっスけど……』


 金羊は、さらに困惑した。

 一方、猿忌はハッとする。


『主。まさか……』


「こうなった以上、あの術以外、この娘を救う方法はなかろう」


『え? ご主人! それって!』


 金羊も、真刃が何をするつもりなのかを察した。


「不本意だ」


 真刃は、ぶすっと言う。


「心底不本意だ。だが止むを得まい。幸か不幸か必要な条件は満たしておる」


 そう前置きして、真刃は、『『おお!』』と感嘆する従者たちに告げるのであった。


「これより、この娘と《魂結びの儀》を行うぞ」

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