第409話 陸妃/雪幻に温もりを③

 決意した六炉だが、芽衣のようなことが出来る訳でもない。

 仮に出来たとしても、芽衣の手料理を上回れるとはとても思えない。

 だから、六炉は自分の得意分野で出来ることを考えた。


 自分が出来ること。

 それは我霊エゴスの討伐だった。

 それをこなして多額の報酬を手に入れるのだ。

 六炉は、目標として二週間で三億円を稼ごうと思った。

 危険度カテゴリーA以上の依頼を受け続ければ不可能ではない額だ。


「……ん!」


 そして六炉はここに来た。

 見上げる先は、裏路地に立つビル。

 そこの最上階にある討伐依頼の斡旋所が目的の場所だった。

 引導師の世界でもデジタル化は進み、依頼はサイトで受注することが多いのだが、昔ながらのこういった場所もしっかりと残っている。何故なら、世代に関係なく、ほとんどの引導師はデジタルだけに頼るのをリスキーだと考えているからだ。


 理由としては、デジタルはいきなり無力化されることが多いのだ。

 戦闘においては、上級我霊は普通にジャミングに似たことをしてくる。

 中には端末の起動さえ出来なくなるケースもあった。

 スマホに術式アプリを山ほど入れても、すべて使えなくしてくれるのである。

 また平時においても、電脳世界には、ハッカーとは一線を画す『電脳系』と呼ばれるチート級の電脳術式を持つ引導師たちが徘徊している。どれほど厳重なセキュリティを構築しても相手の技術の方が上ならば情報は奪われ放題だ。


 これに関しては、むしろ若い世代の方が警戒している。

 若い世代の方こそ、あえてアナログな手法も確保しておく者が多かった。

 結果、デジタルとアナログが両立するのが現代の引導師の世界だった。

 おかげでデジタル音痴の六炉も旅を続けられた訳である。


 閑話休題。


 六炉はビルの中に入った。

 エントランスには、入ってすぐにエレベーターがあった。

 それ以外は何もない。

 六炉はエレベーターのボタンを押した。

 このエレベーターは特注だ。ボタンを押す際に魂力を使わないと動かない。

 エレベーターのドアが開き、六炉は乗った。

 そのまま最上階に到着。


 ざわざわと。

 広いフロアに結構な人数がいた。


 男女混合の二十代から五十代と幅広い世代がいる。

 中には十代半ばぐらいにしか見えない少年少女もいた。

 この場にいる以上、彼らは全員が引導師ボーダーだった。

 ここは情報収集の場としての役割もあるのか立ち飲みバーのような趣があった。

 奥には受付コーナーも見える。

 六炉の目立つ容姿に興味を引かれる者たちも多かったが、彼女は構わず端末に向かった。

 フロアの一角には、タッチパネルが固定された席が幾つも並んでいるパーテーションで区切られたコーナーがある。六炉はその席の一つに座った。

 タッチパネルに映っているのは、ネット環境からは完全に独立した斡旋所のみで管理されている討伐依頼リストである。

 依頼リストのみに簡略化したタッチパネルなので六炉でも操作できる。

 数百件以上あるリストから、六炉はまず危険度A以上に絞った。

 さらに近場に限定する。数は五十件ほどに絞られた。

 六炉はそれをまじまじと見つめて、


「ん。決めた」


 その内の三件・・を選ぶと受注サインを送って受付に向かった。

 受付は「え? 三つも?」と困惑していたが、六炉がチームの代表者として受注しに来たのだと判断したのか承諾した。

 そして、六炉はその夜の内に三件の危険度A案件を片付けた。

 その夜だけで二千二百万円ほど稼いだことになる。


 次の日も六炉は現れた。

 再び同じように危険度A案件をピックアップした。

 その日は四件の危険度A案件を選んだ。

 その夜の報酬は、二千八百万円ほどだった。

 たった二日で五千万円である。


 六炉は次の日も、その次の日も現れた。

 そうして危険度A案件を片付けていく。

 受付が唖然とする中、それを毎日繰り返した。


 一億、一億二千万、一億六千万……。


 順調に目標額に近づいていく。

 そして十日が経過した。

 流石に少し疲労を感じ始めた頃、問題が起きた。


(……むむ)


 タッチパネルの前で眉をしかめる六炉。

 近場に手頃なAランク案件がなくなってしまったのだ。

 現在の総金額は二億五千万円。

 まだ目標額には届かない。

 しかし、危険度B以下になると報酬額が格段に下がる。

 一日にこなせる件数も限りがあるので、残り四日では目標額には至らない。

 思いつきの目標なので別に変更してもいいのだが、それでは自分自身で所詮はその程度の決意だったと言っているような気がした。


(それは嫌……)


 六炉は表情を曇らせた。

 と、その時、とある一件に目が留まった。

 それは危険度S案件だった。

 とある廃トンネルに潜む我霊の討伐。

 場所は少しだけ遠いが、報酬額は丁度五千万円だった。


(……S級)


 流石に六炉も悩んだ。

 これまで片付けた案件はすべて危険度Aだった。

 S級は名付き我霊ネームドエゴスも含まれる最上位案件だ。

 名付きでなかったとしても、限りなく人間だった頃の知性を取り戻しており、異能まで有していることが多い強力な我霊だ。

 六炉であっても油断は出来ない相手だった。

 それにしても、報酬額が五千万というのはかなりの高額だ。

 備考欄には討伐に失敗した者が五人いると記載されていた。そして斡旋所の情報はWEBサイトよりもかなり詳しいのだが、その我霊には風貌に関する情報さえなかった。

 それだけ情報収集が困難だったということだ。

 かなりの強敵だと推測できる。


「…………」


 六炉は指先を唇に当てて考える。

 この十日間は連戦で、食事で溜め込んでいた魂力もほぼ使い果たしている。

 好物の『豚まん』さんはまだ少しだけストックがあるが、それを食べたとしても、六炉の今の魂力は1400ほどだ。その量で危険度Sの相手をするのは……。


(……大丈夫)


 六炉は小さく頷いて決断する。


(ムロなら出来る)


 どうしても真刃に認めて欲しかった。

 自分が役に立つ存在であると。

 そうして――。



 深夜一時。

 我霊が最も寝床にいることが多い時間帯。

 六炉は武器でもある赤い和傘を片手に廃トンネルの前に立っていた。


「……ん!」


 柄を強く握った。


「今日で三億円GETする!」


 気迫は充分な六炉だった。

 そして暗い廃トンネルの中へと入った。

 コンクリート壁の覆われたトンネルはひびが入り、まるで洞窟のようだ。

 当然ながら灯りもない。

 しかし、魂力で夜目を強化した六炉の前ではさほど問題ではない。

 散乱した足元で躓くこともなく進んでいく。

 十分ほど進んだ頃か、


「……グルルゥ」


 不気味な唸り声が聞こえた。

 同時に廃トンネルの奥。闇の中から気配が浮かび上がる。

 それは凄まじい速さで駆け出す――が、


「んっ!」


 六炉の振り下ろした和傘で頭部を粉砕されて倒れ込んだ。

 それは上半身が異様に大きかったが、人型の我霊だった。

 恐らく危険度D程度の我霊と思われる。標的の我霊ではなかった。


「……外れ」


 六炉は少し残念そうに呟いて、さらに奥に向かう。

 この廃トンネルは五十年ほど前に崩落が起きて、奥が潰れてしまっているらしい。

 そのまま廃棄されてしまったので、奥は行き止まりのままだった。

 従ってこうして進んでいけば、見落とすことなく標的と遭遇するはずだった。

 その後、十数体の我霊に襲撃されるが、どれもS級とは呼べない程度の敵だった。


(もしかして留守?)


 六炉がそんな風に考え始めた時、


(………?)


 六炉は眉根を寄せた。

 奥から何やら甘い匂いがしたのだ。

 かなり強い花の香りのような匂いだ。


(……何の匂い?)


 六炉は小首を傾げた。

 その直後だった。思わずゾッとする。

 目の前に少女が立っていたのだ。

 年齢は十八歳ほど。身長は百五十センチもない。

 ベージュ色のパーカーと、黒いプリーツスカートを纏い、その上に、皺だらけの白衣を着ている。髪はデフォルメしたハリネズミを思わすボサボサとした黒髪ショートボブ。そして顔には瞳が見えない瓶底眼鏡。口元には不気味な笑みを見せていた。


(あの時の!)


 六炉にとっては見覚えのある少女だった。

 ――いや、少女ではない。それは名付き我霊ネームドエゴスだった。

 かつて強欲都市グリードで暗躍し、多くの引導師を殺した。

 そして、そのまま行方をくらませた名付き我霊ネームドエゴスである。

 六炉にとても酷い言葉だけを残して。

 六炉は反射的に和傘で薙いだ。

 しかし、和傘は名付き我霊ネームドエゴスをすり抜けるだけだった。


(本物じゃない? まぼろし!)


 察するに先程の匂いだ。あれに幻覚効果があったのだろう。

 とにかく距離を取った方がいい。

 そう判断して、六炉は大きく後方に跳躍した。

 が、目を見開く。

 目の前に名付き我霊ネームドエゴスの幻影が迫っていたからだ。


『ねえねえ』


 額がぶつかりそうな距離で幻影は言う。


『君はまだ一人ぼっちなのかい?』


 ――ドクンッと。

 六炉の心をその言葉が貫く。


『アハハッ!』


 幻影は嗤う。


『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』『アハハッ!』


 いつの間にか、幻影は一つではなくなっていた。


『哀れだね!』『可哀そう!』『寂しいね!』『辛くない?』『悲しくない?』『誰も君には近づけない!』『カマキリはカマキリなのさ!』『誰も君なんて抱けないよ!』


 声が廃トンネル内で反響する。


『『『君は変わらず一人ぼっちなんだね』』』


 その台詞だけは重なった。


「ち、違う!」


 思わず六炉はそう叫び返すが、


『違わないよ』


 幻影は再び一つになって嗤う。


『君は一人ぼっちさ。けど、私は違うよ』


 そう言うと、少女の幻影の後ろに黒い巨影が現れる。黒い狼男だ。黒狼は背後から少女の腹部を片腕で抱えると、片手で豊かな乳房を掴み、長い舌で頬を舐めた。

 少女は『ふふ……』と笑い、片手を上げて黒狼のうなじに触れた。


『私には彼がいる。同じ怪物でも君とは違うのさ』


「………っ」


 六炉は言葉が出なかった。


『その通りだ』


 その時、新たな声がする。

 六炉はビクッと肩を震わせてトンネルの奥へと目をやった。

 そこにはトンネルを埋め尽くすような巨大な怪物の顔があった。

 かつて研究所で出会った古妖だ。


『貴様は一人だ』


 そして古妖は告げる。


『どう足掻こうともな。それが雪妖の宿命なのだ』


「ム、ムロは……」


 ゴトンッと。

 和傘を落として六炉は後ずさる。


「ム、ムロは、ムロは……」


 六炉は何も出来なくなった。

 そうして――……。


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