第410話 陸妃/雪幻に温もりを④
ザッザッザ……。
廃トンネル内に靴音が鳴る。
ジーンズに薄汚れたシャツ。髪を無造作に伸ばした男だ。
その男は片手に足を掴んでいた。
女の足だった。引きずられている。裸体の至る場所から花を咲かせたその女はすでに死んでいた。廃トンネルに充満した甘い香りは女の花から発せられていた。
もう用済みになったのか、男は女の足を離した。
一見すると人間に見えるが、この男は人ではない。
その証拠に前髪の下には不揃いに並ぶ無数の眼があった。
この男こそ
そうして奥に進む。
そこには俯いて立ちすくむ六炉がいた。
ピクリとも動かない。
我霊は、ニタリと嗤って彼女に手を伸ばした。
こうやって我霊は獲物を狩っていた。
男であれば、即座に殺して食欲を満たす。
女であれば、存分に犯して性欲を満たす。
そして飽きれば種子の苗床にする。先程の女のようにだ。
この我霊は、すでに危険なレベルにまで成長していた。
だからこそか。
ピタリと、六炉の前で指先が止まった。
「…………ッ!」
そしてみるみる顔色を変えた。
即座に身を翻して、凄まじい速さで出口へと駆け出した。
脱兎の如き逃走だ。
だが、それも遅かった。
廃トンネルの奥から恐ろしい規模の冷気が噴き出してきたのだ。
廃トンネルの壁が瞬く間に凍結していく。
我霊は振り返ることもなく走ったが、結局、冷気に呑み込まれてしまった。
走る姿のまま氷像になったのである。
冷気は出口まで届き、外へと吐き出された。そのまま周辺をも大きく呑み込んだ。
そしてトンネル上部に亀裂を走らせて、天井の一部を打ち砕いた。
それは六炉のいる場所もだった。
天井に大きな亀裂が入り、凍結した土やコンクリート片が落ちてくる。
そうして月光が注ぎ込むことになった。
「……ひっく」
六炉は涙を零していた。
「……ち、違う。ムロは、ムロは……」
手で拭うこともせずに大粒の涙が頬を濡らす。
すべてが凍りつき、半ば崩壊した廃トンネルの跡で六炉は一人泣いていた。
と、その時だった。
「……全くお前は」
不意に声がした。六炉はハッとして顔を上げた。
そうして廃トンネルの入り口の方から現れたのは――。
「し、真刃……?」
「……こんな場所で一体何をしておるのだ」
それは
まだ幻影を見ているのかと思って、六炉は涙で濡れた瞳を瞬かせた。
「最近、お前の様子がおかしいと芽衣から聞いてな」
吐く息も白く、パキパキっと霜を踏む。
六炉に近づきながら真刃は語る。
「
そう説明すると、六炉は深く俯いた。
「……六炉」
真刃は眉をひそめた。
「何があった? 何をそこまで焦っている?」
「……ムロは」
六炉は俯いたまま想いを告げる。
「ムロは芽衣とは違う。怪物だから。カカ上さまが雪妖だから……」
ギュウッと強く拳を固める。
「……芽衣とは違う。役に立たないと、真刃に愛してもらえない」
「…………」
真刃は静かに耳を傾ける。
「芽衣は愛してもらったのに、ムロは愛してもらえていない。ムロが、ムロが怪物だから」
ポロポロと再び大粒の涙が零れる。
「真刃の役に立たないと、じゃないと、ムロはずっと一人ぼっち……」
「………そうか」
六炉の独白に真刃は小さく嘆息した。
「
一拍おいて、
「お前の言う通り、お前と芽衣は違う」
「…………」
真刃の言葉に六炉はますます涙を零す。真刃はそんな彼女の涙を親指で拭った。
「だが、それは怪物がどうこうといった話ではない。芽衣が
そこで真刃は双眸を細める。
「お前の好意は、根源的には恐怖から来るモノなのだ。孤独に対する強い恐怖だ。そのため、実のところ、お前の好意は
「……そ、それは……」
六炉はその指摘に声を詰まらせた。
「だからこそ思ったのだ」
真刃は言葉を続ける。
「まずはお前のことを知ろうとな。お前にも
そこで小さく嘆息する。
「お前のことを真摯に考えるつもりだった」
「……真刃」
六炉はキュッと唇を噛んだ。
「真刃は、真刃はムロのことを真剣に考えてくれてたの……?」
数瞬の沈黙。
彼女は顔を上げた。
「……ん。分かった。ムロも真刃のことを知ってみる。そこから始める」
胸元で片手を固めてそう言う。
胸の奥の恐怖はまだ疼く。とても簡単には消えそうにない。
だが、それでも少しずつ変えていくしかない。
そう決意した――のだが、
「ああ。
真刃は周辺に目をやった。
すべてが凍り付いた寂寥の世界だ。
ここはあまりにも寒く冷たい。
「……
六炉は「……真刃?」と、キョトンとした顔をした。
「
一拍おいて、
「その恐怖がある限り、お前には
真刃は六炉の腰を強く掴み、抱き寄せた。
「あえて卑怯者の汚名を受けるべきなのだと、今日のお前を見て思ったのだ」
言って、強引に六炉の唇を奪った。
(―――――え)
突然のことに六炉は目を見開いた。
驚いて身じろぎするが、真刃の力強さに離れることは出来ない。
「~~~~~~っっ」
キスは十数秒に渡って続いた。
互いの全身を重ねるような深い口付けだった。
一度、六炉の息継ぎのために離されるが、すぐにまた奪われる。
「――~~~……っ」
六炉の瞳は潤み、ただただ真刃の背中を強く掴んでいた。
そうして、
「………っ」
唇が離されて、六炉は熱い吐息を零した。
ゾクゾク、と。
初めて覚える感覚に、鼓動は激しく早鐘を打っていた。
「……し、しんはぁ……」
火照った頬や肌。
そして潤んだままの眼差しで六炉は問う。
「な、なにこれ? ムロが、ムロじゃないみたい……」
「……六炉」
真刃は困惑している六炉の横髪を撫でた。
それだけで六炉は小さく体を震わせた。
「お前が無垢なことも知っている。その点においてもやはり卑怯者の行いだな。だが、あえて
一拍おいて、真刃は宣言する。
「今宵、お前を
「………え」
六炉の瞳が唖然として見開かれた。
「この街にはセーフハウスもある。このままお前を攫う。よいな?」
真刃は続けてそう告げる。
六炉は何を言われたのか分からなかった。
が、すぐに意味を理解して、
「え? し、真刃?」
顔を真っ赤にする。
そうしてしどろもどろになって、
「こ、今夜? 今から? で、でも、さっきお互いのことを知ることからって……」
六炉が視線を逸らしつつそう呟くと、
「……すまぬな」
真刃は、ゆっくりとかぶりを振った。
「……この場の惨状は、お前の恐怖の強さそのものだ」
言って、真刃は六炉の頬を片手で抑える。
「この恐怖はお前の心の根源に刻まれている。ここまで深く強い恐怖が消えるまで絆を深めるなど、あまりに悠長な考えだった」
「……し、真刃……」
困惑を消せないまま、六炉は真刃の言葉に耳を傾ける。
「
真刃は六炉を見つめた。
「お前のすべてを。お前の未来を手に入れる」
「…………」
六炉は無言だった。
ただその瞬間、一滴の涙が頬を伝った。
「……ムロは怪物なの……」
震える声で彼女は言う。
「……雪女の娘……人間じゃない。半妖なの。それでもいいの?」
「それを言うのならば、
真刃は不敵に笑う。
「
「………真刃」
六炉は、キュッと唇を強く噛んだ。
琥珀色の眼差しは真刃だけを映していた。
数十秒の沈黙。
そして、
「……ムロをもらって下さい」
六炉は心からそう願った。
「ああ。お前を誰にも渡すつもりはない」
真刃は力強くそう返した。
そうして。
二人はもう一度口付けを交わした。
これが名実ともに天堂院六炉が陸妃となった瞬間だった。
翌日の朝。
『……七ちゃん。立てない……』
と、天堂院七奈の元にメールが送られてきた。
異母妹は「ああ~」と遠い目をしたのだが、それは蛇足である。
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次話『漆妃/腐れ縁は断ち切れない』
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