漆妃/腐れ縁は断ち切れない

第411話 漆妃/腐れ縁は断ち切れない①

 それは彼女が正式に妃入りして数日後のことだった。

 その部屋に来て彼女は呆れていた。

 年の頃は十八か、十九。

 肩までぐらいの黒髪に、やや勝気な印象の美貌。そしてスタイルは抜群だ。

 服装はハイネックの黒い長袖Tシャツに、レディースの白いデニムパンツ。胸元には水晶の首飾りをかけていた。


 ――漆妃・久遠桜華である。

 彼女は腰に片手を当てて眉をしかめていた。

 この部屋はフォスター邸の一室だ。

 だが、桜華の私室ではない。

 彼女の友人の部屋だった。


 まず目に入るのは、部屋の三分の一を占めるキングベッド。

 次いで、大きなモニターが上下にも連ねて五台も並ぶデスク。そこにはキーボードやコントローラーも置かれている。友人曰く、自家製のゲーミングPCというモノらしい。その他には愛らしいぬいぐるみが多数鎮座している。


 大仰なPCを除けば、メルヘンチックな部屋だ。

 そしてこの部屋の主人である友人も、メルヘンチックな存在だった。

 その人物は今、キングベッドの上で眠っていた。

 年の頃は十四歳ほど。身長は百四十センチぐらいか。

 北欧系の整った鼻梁に、絹糸のような長い菫色の髪が印象的な、まるで妖精を思わせるとても小柄な少女である。今は白い寝間着ネグリジェを着ていた。

 ベッドの上で無造作に放り出されたその肢体は儚げなほどに華奢だった。


 名をホマレと言った。

 ただ、まるで少女のように見えても、彼女は少女ではない。

 こう見えても二十六歳らしい。

 初めて彼女の姿を知った時は桜華も本当に驚いたものだ。


(……やれやれ)


 大きな胸を支えるように、桜華は腕を組んだ。

 実年齢が百二十歳を超える桜華が言える立場ではないが、どうにも信じられない。


 再度記述するが、桜華とホマレは友人だ。

 桜華がこうして納まるべき場所へ辿り着けたもは、ホマレの助力があればこそだ。

 ここ十数年間では最も親しい友人とも呼べる。

 しかし、桜華がホマレと初めて会ったのは、意外にもこの家でだった。

 ホマレが重度の引き籠りで表に出てくることを嫌がったため、これまでずっと音声だけでやり取りしていたからである。


 けれど、桜華が妃入りすることになったあの夜。

 名付き我霊ネームドエゴス・《死門デモンゲート》ジェイが引き起こした街一つを巻き込んだ大騒乱の中、ホマレもまた巻き込まれてしまって一時期はジェイに攫われていたらしい。

 ホマレは、引導師であっても情報戦が主体で戦闘能力は皆無に近かった。

 囚われた闇の中で、ホマレは最悪の結末を考えたそうだ。


 だが、そんな彼女を救ったのは、奇しくも――。


『……桜華さま』


 その時、桜華の首飾りが声を掛けて来た。

 桜華の専属従霊・白冴である。


『彼女を起こされてはいかがでしょうか?』


「……ああ。そうだな」


 桜華は嘆息しつつ、腕を組んだまま部屋の中を進む。

 キングベッドの前に立ち、


「ホマレ。起きろ」


 そう告げるが、ホマレが起きる様子はない。

 何度か呼ぶが、聞こえるのは寝息だけで無反応だった。


「……もう昼過ぎだぞ」


 桜華は深々と溜息をついた。

 そもそも、この部屋に自分を呼びだしたのはホマレだというのに。


(……まったくもう)


 やむを得ず靴を脱ぎ、ギシリとベッドの上に乗った。

 そのまま四つん這いになって、キングベッドの上を進む。

 動くたびに大きな胸がゆさりと揺れる。

 桜華自身には全く自覚はないだろうが、その姿はまるで女豹のようだった。ちなみに桜華は気付いていないが、そんな彼女の姿を部屋に密かに設置されたカメラが映していた。


(……グフフ)


 そして寝息を偽装したとある邪悪な意志にも気付かない。

 ともあれ、ベッドの上を桜華は進む。

 そうして、


「ホマレ」


 ホマレの肩を揺さぶった。

 しかし、それでも起きない。

 うつ伏せになっていたのを仰向けにひっくり返すが、起きる様子はない。


「……まったく。お前は」


 仕方なく、桜華はその場で膝を立ててホマレの身体を起こそうとした。

 が、その時だった。


「――グフフ、かかったな!」


 クワっとホマレが目を見開いたのだ。

 桜華は桜華で「え?」と目を丸くしている。

 そこからのホマレの行動は実に速かった。

 全身の筋肉を強化・駆使して仰向け状態から跳ね上がり、桜華に飛びついたのだ。

 まるで人間トラバサミだ。いかに桜華であっても、不安定なベッドの上で膝立ちの状態、しかも不意打ちを受けては対応することは出来ない。

 結果、桜華は小柄なホマレに押し倒される結果になった。

 彼女の豊かな胸にはホマレの顔面が埋もれている。


 スーハー、スーハ―。


 そんな荒い息が聞こえてきた。


「グフフ……最高だよォ、至福だよォ」


 ホマレは桜華の背を掴み、その大いなる胸の感触を堪能していた。

 抜群の柔らかさと張りを持ち併せる双丘。

 それがホマレの動きに合わせて形を変えていく。

 ホマレは「ふへえ……」と感嘆の声を零した。


「…………」


 一方、桜華は無言だった。

 ただし、その眼差しは恐ろしく冷たかった。

 桜華は、むんずとホマレの首筋を掴んだ。

 そのまま、しがみつく猫を引き剥がすようにホマレを持ち上げると、ベッドの上に立ち上がった。二人の身長差は十三センチほど。ホマレは足がつかず片手で桜華に吊るされた。


「「…………」」


 二人は静かに見つめ合う。


「……さて」


 ややあって、桜華は唇を開いた。


「何か遺言はあるか?」


 とても淡々とした声だった。

 目も全く笑っていない。

 ホマレは盛大に顔を引きつらせた。

 そして、


「えへへ……」


 流石に命の危機を感じて、


「すいませんでしたッ!」


 両手を合わせて、本気で謝るホマレだった。


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