第71話 怪物たちは躍る➄

 ――ドンッ!

 衝撃が大気を弾く。

 鋼を凌ぐ氷剣と、岩の巨腕がぶつかり合った衝撃だ。

 真刃と八夜は、互いに後方に跳んだ。

 二人揃って着地する。と、


「――これはどうかな!」


 少年が陽気な声でそう告げて、氷剣を横に振るった。

 すると、氷剣がバキバキと伸びていく。

 それは瞬時に多関節の剣となった。いわゆる蛇腹剣である。それも一本だけではない。四本もだ。氷の蛇腹剣は、まさに大蛇のごとく真刃に襲い掛かる!


「……ふん」


 真刃は双眸を細めると、すべての切っ先を回避した。

 最小限の動き。複雑な蛇腹剣の動きを完全に見切っていた。


「だったら、今度はこれ!」


 八夜は、左手の指先を真刃に向けた。

 途端、真刃の体が硬直する。

 八夜は、その一瞬の隙に四本の蛇腹剣で襲撃する!

 四方から、四匹の大蛇が牙をむく――が、

 ――ドンッ!

 その前に、真刃が空高く跳躍した。

 瞬時に十メートル近くも跳躍すると、宙空で巨腕を振りかぶった。

 すると、みるみる内に岩の腕が、さらに巨大化していった。


「うわっ! ヤバッ!」


 流石に八夜も焦って後方に退避した。

 まるでスケート選手のように凍土を滑っていく。

 その直後、

 ――ズズンッッ!

 空をも遮る巨人の手が、大地を押し潰した。

 凍土は粉々に砕け、蛇腹剣も粉砕される。衝撃で烈風まで吹き荒れた。


「うわあ……」


 粉砕された大地を見やり、八夜は感嘆の声を零した。


「とんでもない威力だね、お兄さん。けど」


 そこで小首を傾げる。


「どうしてお兄さんは動けたの? ボク、お兄さんの心を凍結させたはずなんだけど?」


「……心を凍結だと?」


 真刃は眉をしかめた。同時に右腕のサイズも元の大きさに戻っていく。


「なるほどな。精神操作系か。道理で少し眩暈がした訳だ」


「え? 眩暈? それだけなの? お兄さん、もの凄い化け物だね」


 呆れたように、八夜が言う。

 だが、その顔に緊張はない。まだまだ余力がある証拠だ。

 それを示すように、周辺の温度もさらに下がりつつあった。

 吹雪いてきた世界で、少年はにこやかに笑う。


「うん。そろそろ温まって来たかな」


「……それは皮肉か?」


 真刃は、苦笑を零した。


「ここまで吹雪をまき散らしておいて、よく言えたものだ」


「……む」


 八夜は、頬を膨らませた。


「だって、それは仕方がないじゃないか。ボクの独界はこういう力なんだし。けど」


 少年は、そこで笑みを消した。


「本当に凄いね。お兄さん。やっぱりボクも本気になる必要があるみたいだよ」


 そう告げた。

 真刃は、無言で少年を見据える。

 探り合いはここまでだ。

 この少年は、間違いなく自分の同類だと理解した。

 そして、この少年が象徴と呼んでいる力。

 それが、自分の切り札と酷似しているであろうことも。


「じゃあ、そろそろ本番と行こうよ。お兄さん」


 少年がそう告げた。

 ――と、その時だった。

 ビシリッ、と。

 突如、何かが軋む音がした。


「……なに?」「え?」


 真刃と八夜は、共に視線を音がした方に向ける。

 すると、そこでは――。

 ズズズッ、と斜め横にずれていく氷壁の光景があった。

 二人は一瞬だけ唖然とする。

 氷壁のずれは収まらない。そのまま崩壊へと至った。

 大量の質量が崩れ落ち、粉塵の中で巨大な氷塊の山が築かれた。


「え? うそ。まさか……」


 八夜が目を見開いた。真刃も驚きが隠せない。


『……主よ。これは恐れ入ったな』


 岩の巨腕――猿忌が告げる。

 その声は驚きと同時に、歓喜も混じっているように聞こえた。

 ――と、


「――主君! 真刃さま!」


 少女の声が響いた。

 真刃は目を瞠る。氷塊の上に一人の少女がいる。

 御影刀歌だ。彼女は数瞬ほどキョロキョロしていたが、真刃を見つけると瞳を輝かせた。

 そして氷塊から跳躍し、こちらへと駆けてくる。

 それは、とても懐かしい姿だった。


(……御影)


 ――あの男も、そうだった。

 こうして、いつも真刃の戦場に駆けつけていたのだ。


「――真刃さま!」


 刀歌は、一瞬、口元を綻ばせて真刃に抱き着こうとするが、すぐさま自粛した。

 あの男と同じように真刃の隣に並び立って、赤い熱閃の刃を少年に向けた。


「主君! 加勢するぞ!」


『感謝しろ。久遠。加勢してやろう』


 刀歌の声と、記憶の中の同僚の声が再び重なった。


「……刀歌」


 少女の名を呼ぶ。


「大丈夫だ! 私も戦える!」


 刀歌は、少年から視線を外さずにそう告げる。と、


『……ふふ』


 不意に、猿忌が笑った。


『どうだ、主よ。我らの審美眼も捨てたものではないだろう』


「…………」


 真刃は、言葉がなかった。

 こればかりは、確かに認めるしかない。

 真刃は小さく嘆息した。

 そして、


「……よく来てくれた。刀歌」


「当然だ! 私はあなたの参妃なのだから――え?」


 刀歌は目を丸くした。

 不意に、後ろから真刃に肩を抱き寄せられたのだ。


「え? え? 主君? 真刃さま?」


 真刃の左腕にしっかりと抱きしめられて、刀歌は困惑した。


「まったく。お前はどこまであいつに似ているのやら」


 少し皮肉気にも見えたが、真刃は優しい眼差しをしていた。


「正直に言えば、やはり嬉しいな。まるで、あいつと再会したかのようだ」


「し、真刃さま?」


 カアアっと頬を赤く染めつつ、刀歌が呟く。

 それでも剣を構え続けているところは、流石は武家の娘だった。


「い、今は戦闘中で、そ、その、後でなら、刀歌、頑張るから……」


 そんなことまで呟く。

 真刃は、ポンと刀歌の頭を叩いた。


「刃を収めろ」


「え?」


 刀歌は目を瞬かせる。真刃は彼女の頭を撫でた。


「お前がここまで来てくれただけでもう充分だ。後は己に任せておけ。ここから先は、怪物同士の戦いだからな」


 真刃は、八夜を見据えた。

 ずっと沈黙していた少年は、ぶすっとした表情を見せていた。

 真刃は、皮肉気に笑う。


「随分と不機嫌そうだな。小僧」


「……流石にね」


 八夜は、後頭部に両手を乗せて告げる。


「まさか、お姉さんに、ボクの氷壁が破られるなんて思ってもみなかったから」


 すっと双眸を細める。


「プライドが傷ついたってやつなのかな。初めてお姉さんのことが嫌いになったよ」


 淡々とした声でそう告げる。

 そして――。

 バキバキバキッと。

 八夜の足元が、凍り付いた。


「な、なに!?」


 刀歌が目を瞠った。

 真刃は、静かな眼差しでその光景を見据えていた。

 八夜の足元の氷は瞬く間に、全身を駆けあがり、さらに密度を増やしていく。

 氷柱は八夜の体を宙に浮かせた。


「この程度がボクの力だと思われたら、ちょっと心外だからね。折角だし、お姉さんにも見せてあげるよ。ボクの象徴シンボルをさ」


「……象徴シンボル? お前、何を言って……」


 刀歌が、困惑の表情を浮かべる。

 ――が、それはすぐに驚愕の表情へと変わった。

 何故なら、氷柱が完全に少年の姿を覆ったからだ。

 氷柱はさらに成長を続ける。――いや、その姿は、柱などではなかった。

 何かの巨大な生物らしき胴体だ。


「……なん、だと……」


 刀歌が、唖然として呟く。

 氷の胴体からは、細く長い巨大な両腕も生えてくる。

 長い爪を持つ手は、地面をズズンッと打ち付けた。

 さらに頭部、後ろ脚。背中からは、長い毛並みにも似た蛇腹剣が無数に生まれ、臀部からは三本の巨大な尾まで生えてきた。


 その姿は、まるで獰猛な山猫のようだった。

 前脚は人に似た腕。頭部には巨大な単眼を持つ氷の怪猫だ。

 背中の蛇腹剣と共に、三本の尾がゆらりと揺れている。恐らく、全高は二十五メートルにも至るだろうか。

 怪猫が完全にその姿を現した直後、周辺の世界は、一気に氷河の世界へと変わった。

 目の前の氷の怪猫が、その莫大な魂力を以て、世界を上書きしたのだ。

 無数の氷柱が乱立し、木々や大地は凍り付く。

 吐く息も白い。あまりの寒さに、肺に痛みさえ感じる。


『《永朽封棺雹魔エイキュウフウカンヒョウマノ猫》』


 怪猫は、語る。


『これがボクの象徴化身シンボリック・ビースト。ボクの全力の姿だよ』


「…………」


 刀歌は目を見開いたまま、何も答えられなかった。

 こんな怪物は、初めて見る。

 ――こいつは本当に人間なのか? そんな疑問さえも抱いた。

 切っ先が微かに震え出し、心の内の『獣』さえも怯えを隠さない。

 全身が、こいつから逃げろと叫んでいた。

 ――と、


「……大丈夫だ。刀歌」


 真刃が、優しい声で告げた。


「ここから先は己の戦いだと言ったであろう。お前が気負う必要はない」


「だ、だけど主君……」


 刀歌は、流石に視線を真刃に向けた。

 不安を隠せない少女に、真刃は少しだけ表情に陰りを落とした。


「……刀歌」


 真刃は、語る。


「今から、己は酷く醜い姿をお前に見せることになるだろう」


「……主君?」


 刀歌は、眉をひそめる。真刃は少女の瞳を見据えて言葉を続ける。


「あの小僧が言うからには、それは、己の魂の根源たる姿だそうだ。お前にとっては恐怖しか覚えない姿やもしれん。己の本性を知り、これを機に、お前が《魂結び》の解約を望むことも許そう。だが今は、これだけは約束しよう」


 真刃は、淡々と告げた。


「お前だけは、必ず守り通して見せる」


 刀歌は、まじまじと真刃を見つめた。

 そして、


「……主君」


 刀歌は、むすっとした表情を見せた。


「具体的な説明が全くないぞ。まあ、何となく事情は察したが」


 そこで、氷の怪物を見やる。


「要は、主君にも、あれと同じようなことが出来るということなのか?」


『うん。その通りだよ』


 刀歌の問いかけに答えたのは、氷の怪猫だった。


『お兄さんは、ボクの同類だからね』


「……ふん。主君が、お前と同じなどと言われては不愉快だ」


 言って、刀歌は炎の刃を収めると、両手を真刃の首元に回した。

 真刃は驚いた顔をする。

 刀歌は首だけを向けて、巨大な怪猫を睨みつけた。


「私の愛する人を侮辱するな。お前などとは格が違うのだ」


 続けて、真刃の方も睨みつける。


「貴方もだ。私を侮辱するな」


 刀歌は、真っ直ぐな瞳で告げた。


「私は貴方と共に生きる。そう覚悟しているのだ」


 刀歌は、かかとを上げて、真刃の唇と自分の唇を重ねた。

 真刃が驚きで目を瞠り、怪猫が『わあ』と感嘆の声を上げた。

 数瞬の間を空けて、唇を離す。


「私は参妃。貴方の妻となる者の一人。参妃の刀歌だ」


 迷いなど一切なく。

 刀歌は、はっきりとそう宣言した。

 真刃は唖然として、ポツリと尋ねた。


「……己の人生に付き合うのは、本当に酷だぞ」


「覚悟している」


 刀歌は、ニカっと笑った。


「私はもちろん、壱妃エルナも、弐妃かなたもな」


「……己は人擬きだ。その生い立ちも、存在も真っ当ではない」


「それがどうした」


 刀歌は、不敵な笑みを崩さない。


「私たちを心から愛してくれるなら問題なしだ。そう――」


 そこで、刀歌は真剣な眼差しを見せた。


「とりあえず、これが終わったらリテイクだ。うん。リテイク。エルナたちがいない内に私を目一杯に愛せ。出遅れた分を取り戻すから。刀歌、頑張るから」


「……いや、お前な」


 真刃は、苦笑いを浮かべた。

 が、思わず刀歌を抱きしめてしまう。

 抱きしめずにはいられなかった。


「まったく。あいつと似た顔で言われると調子が狂う。その話は後でゆっくりしよう」


「う、うん。どこでするかだな。ホテルとか?」


「いや、そういうことではないが……」


 頬を赤らめる刀歌に、ただただ嘆息する真刃。

 真刃は刀歌を離して、彼女の頭をポンと叩いて告げる。


「ともあれ、説明はいずれする。お前にも、エルナたちにもな」


「うん。そうか」


 刀歌は笑った。

 そう言えば、あの仏頂面の同僚も、時々こんな顔で笑っていた。


(……お前の子孫には、本当に驚かされてばかりだな)


 亡き同僚に語りかける。と、


『お話は終わった? お兄さん』


「ああ、終わったぞ」


 真刃は、三尾を揺らす巨大な怪猫に目をやった。


「感謝はしておくぞ。攻撃もせずに待ってくれるとは思わなかった」


『まあ、流石にここまで来たらね』


 少年の声に、皮肉のような感情が宿る。


『幾らでも待つよ。お兄さんの象徴シンボルを見ずには終われないから』


「……そうか」


 真刃は目を細める。その腕で刀歌の肩を掴む。


「……主君?」


「刀歌。己の傍にいろ」


 真刃の指示に、刀歌は頷いた。

 真刃は、自分の同類である怪猫を見据えた。


「ならば見せてやろう」


 そして参妃をその腕に抱いて、真刃は告げる。


「貴様の言う魂に宿る根源の力。己の象徴シンボルとやらの姿をな」

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