第二章 《魂結びの儀》
第4話 《魂結びの儀》①
「エルナ~」
その時、不意に呼びかけられて、エルナは振り向いた。
「おっはよ~」と挨拶してくるのは、クラスメートの少女だった。
片桐あずさ。温和な顔立ちが印象的な、エルナの友人である。
彼女は歩くエルナの隣に並んだ。
「おはよう。あずさ」
エルナは笑う。
――この世界には『
古くは
人の心に宿る
エルナのフォスター家も、そんな引導師の家系の一つだった。
ただし、エルナの家名と銀の髪が示す通り、日本の家系ではない。
輪廻とは世界の理だ。引導師は世界中に存在する。例えば、フォスター家は、現在はアメリカに拠点を置く引導師の大家だった。
「そういえば」エルナがふと呟く。「今日って、VRルームでの仮想戦闘があったよね」
「うん。チーム戦で仮想危険度Cだって。初めてのランクだよね」
エルナの言葉に、あずさが神妙そうな顔つきで頷く。
あずさもまた、引導師の家系だった。
彼女たちは、秘密裏に引導師を育成する特殊な学校の生徒なのである。
――私立
それが、彼女たちの学校の名前だった。エルナたちは中等部の三年生になる。
神代より始まるという引導師の世界も、時代と共に形式や流儀を変えていた。
かつて、個人主義や家系主義でバラバラだった引導師たちも今は協力し、戦術、教訓をテキスト化。各家系が代々受け継ぎ、磨き上げてきた固有の秘術――
ここ百年における成果と言えよう。
真刃が『おお。あの頭の硬い連中がよく決断したものだ』と、感心したほどだ。
通学路を二人で進んでいると、徐々に生徒たちの姿が多くなっていく。
彼らすべてが引導師の卵だった。ただ、今日は少しそわそわした雰囲気がある。
「あ、そっか」あずさが呟く。「今日ってあれもあるんだよね」
「……うん。そうだね」
エルナが神妙な顔で頷いた。今日は校内で一ヶ月に一度のイベントがあるのだ。
「《
「うん。今日は、共に五連勝中の二人のマッチがあったはずだよ」
あずさが「――そう」と一拍おいて続ける。
「あの世界公認のハーレム強奪戦がね」
◆
「……はん。この日を待ちわびたぜェ」
近代的な
その地下にある
円筒状の舞台には観客席があり、中等部から高等部までの生徒たちの姿がある。
今日のイベントのために、集まったのだ。
「ようやく、てめえもオレの女にできる日が来た訳か」
金髪に加え、耳や鼻にピアスまで付けた、荒々しい少年。
学校支給の、全身を覆う密着型の戦闘服を着た高等部の二年生だ。
「……ふん。ゲスが」
一方、同じ黒い戦闘服に、抜群の身体のラインを浮き出させて対峙する少女が言う。
白いリボンで結んだ長いポニーテールが印象的な、凜とした少女である。容姿もまた群を抜いている。中等部三年の生徒だった。彼女の手には刀身のない日本刀の柄が握られていた。
「この私を手に入れるなど、妄想であっても不愉快だ」
「……ふん、そうかよ」
少年が視線を
そこには、両者の魂力の数値が映し出されていた。
少年が182。少女が215だ。
「素ではてめえの方が上か。けどな」
少年が下卑た笑みを浮かべた。同時に数値に変動が起きる。
少年の数値がみるみる上がり、780へと至った。
一ヶ月前よりも一割ほど増えている。少女が不快そうに眉をしかめた。
「……貴様」一拍おいて。「貴様の一ヶ月前の相手は、まだ中等部の一年だったはずだぞ」
「はん。それがどうしたよ?」少年は肩を竦めた。「オレは《
「……本当に腐っているな。貴様」と呟き、ギリと歯を軋ませる少女。
「褒め言葉と受け取っとくよ。明日にはもうそんな台詞は言わせねえけどな。それより」
少年は、ニタリと笑った。
「てめえの魂力は素のままじゃねえか。何のために《
「……私は」少女は淡々と語った。「この馬鹿げた慣習を断ち切るためにここに立っている。ゆえに《
そこで少女は、初めて少年以外で闘技場に立つ人物に目をやった。
伸ばしっぱなしのぼさぼさの髪に、窪んだ眼差し。加え、語尾が延びる奇妙な口癖に、興奮すると時々会話が通じなくなるという噂の教師。
大門紀次郎。彼もまた引導師である。
「大門先生。あなたはどう考えておられるのですか?」
少女は自分の縁戚でもある青年に尋ねた。
「あなたの言い分もよく分かりますよォ。個人的には思うところもありますゥ」
大門教諭は、少年の方を鋭い眼差しで見据えて言う。
「ですが、これは
「……そうですか。分かりました」
少女は静かに日本刀の柄を握りしめる。一方、少年は肩を竦めた。
「もう無駄話はいいかよ?」
「ああ。制裁の開始だ」
対峙する二人。戦闘開始の気配を感じ取り、生徒たちが歓声を上げる。
特に、凜々しい少女を応援する少女たちの声が印象的だった。
「それでは《
そう言って、大門が手を振り落とした。
二人は同時に身構えた。
(……《
その様子を、観客席に座るエルナは見つめていた。
隣には、興奮するあずさの姿もある。
闘技場には巨大な土人形が立ち、少女が灼熱の火線を吹き出す刀で応戦している。
戦闘は、少女の方がかなり苦戦しているようだ。
(あらゆる術の根源となる魂力。多いほど身体能力にも強く影響する力。けど、これは生まれながら総量が決まっていて、変動することはない)
しかし、例外もある。
それが《
それは、戦闘の条件、戦闘後の誓約――主に絶対服従が多い――を強力な霊的強制力を持つ《
加え、《
そうして魂力の総量が加算されるのである。なお、敗者を『
その関係はどちらかが死ぬか、隷主が権利を破棄するまで持続する儀式だった。
(まあ、それだけならいいんだけど)
巨大な土人形の肩に、灼刀を突き立てる少女を見やる。
果たして彼女は勝てるのだろうか。同じ少女としてはやはり彼女を応援したい。
――一割の強制徴収権。
実は、《
術理に詳しい識者によると、《
そして、今戦っている少年の場合だと、隷者の数は五人。彼の魂力の多さは、そのすべての少女に性行為を強要したからに違いない。
明らかに倫理から外れた行い。
だが、それさえも含めて、この学校はこのイベントを認可しているのである。
エルナは闘技場を見つめた。三メートルに至る土人形は少女を片手で掴んでいた。彼女を地面に叩きつける。少女は「かはっ!」と息を吐いた。やはり苦戦している。
(馬鹿げている。けど、これが引導師の世界だから)
強者が弱者を所有する。そんな残酷なルールが蔓延るのが引導師の世界なのだ。
これは古からの不変の理だった。
だからこそ、学生の時から体験させているのである。
『エルナよ』
ふと、日本に向かうことを命じたフォスター家の当主、異母兄の言葉が脳裏をよぎる。
『お前は日本に行け。あの国の引導師は粒ぞろいだ。ただ、純潔をくれてやる必要はない。一割程度の魂力と服従させるだけでも充分だ。そこは数で補え』
そう命じられて来日したエルナ。
しかし、フォスター家は莫大な資金こそ与え、今も援助はしてくれているが、従者さえも付けなかった。仲が良いとは言えない異母兄ではあるが、随分と雑な扱いだ。
本気で命令を全うさせようと思っているようには見えない。
(結局のところ、お兄さまにとって、私はただ邪魔なだけなのでしょうね)
思うに、異母兄にとって最初から命令などどうでもいいのだろう。
色々と扱いが面倒な異母妹を、理由をつけて放逐する。他家の引導師を一人でも隷者にできるのならそれでもよし。無理であっても目的は果たしている。
それが異母兄の狙いだとエルナは考えていた。
(……けど、それならそれでいいわ)
エルナは、何の感情も抱かず目を細めた。
けれど、不仲な異母兄ではあるが、一つだけ感謝している。
おかげで、彼女は真刃と出会えたのだから。
「――エルナ? どうしたの?」
文字通り灼熱が飛ぶ熱戦の中、心あらずのエルナにあずさが眉根を寄せた。
「あ、ごめん」エルナは視線を闘技場に戻した。
そこでは、土人形が十数メートルに至る灼刀に十字に裂かれていた。
満身創痍の状態からの全霊を込めた起死回生の斬撃である。少年が目を見開き、歓声が上がった。
「良かった。彼女の勝ちみたいだ」
「うん。そうだね」エルナが頷くと、あずさが尋ねた。
「ところでエルナはエントリーしないの? エルナなら成績も優秀だし、魂力も207で、150越えだからエントリー資格を満たしてるでしょう? それに」
そこで、あずさは苦笑じみた笑みと共に、バンと指鉄砲の仕草をして見せた。
「エルナにはあの切り札があるじゃない。負けることはないでしょう」
「いや、あれはちょっとね」
エルナは苦笑を零した。
あの切り札は、師はおろか、猿忌にまでよほどのことがない限り使うなと言われている。
あまりにも凶悪すぎるからだ。
「いずれにせよ、私は出ないよ」
エルナは笑って即答する。隷者を集めろという異母兄の命令など今さらだった。
(だって、私はもう相手を決めているもの)
頬を微かに朱に染めて、深く俯く。
別に《
時に、相手にすべてを捧げる愛の証として行われることもあるのだ。
(うん。私は、もう隷主にする人を決めているから)
次いで、口元を片手で押さえて微笑む。
――久遠真刃。あの青年と初めて出会ったのは、とある古館の中。我霊退治の際だった。
今でも思い出す、悪夢のような館の出来事。
自分の力量を過信して、危険極まる状況から助けてくれたのが真刃だった。
彼がいなければ、間違いなく自分は死んでいただろう。
だからこそ、助けられた礼として、彼を自宅に招いたのである。
いくら恩人であっても女としては迂闊だと思われるかもしれない。けれど、恩以上に、どこか寂し気に見えた彼を、エルナはどうしても放っておけなかったのだ。
身も蓋もない表現だが、傷ついた野良犬を見捨てられなかった心情に近いか。
そうして、その後も、彼は恩義を返すと古くさいことを言って、彼女の我霊退治の修行を見てくれるようになった。それが今の師弟関係に繋がっているのである。
(……私って、結構チョロいのかな?)
自分では、身持ちは固い方だと思っていた。
なのに、たった十一ヶ月間の付き合いで、今では真刃のことばかり考えている。
「エルナ?」「あ、ごめん」
再び物思いに耽っていたエルナに、あずさが不思議そうに首を傾げていた。
「――私は否定する!」
その時、傷だらけであってもなお美しい少女が、灼刀を天に掲げて宣言していた。
「《
彼女の声に、観客席から盛大な拍手が起きた。
「凄い人気だね。彼女」
あずさもまた拍手を贈っている。
「うん。そうだね」
彼女の生き方は、きっと人として正しい。
(あなたはあなたで頑張ってね)
ある意味、《
いつしか、多くの生徒たちが立ち上がって、彼女に声援と拍手を贈っていた。
敗者の少年は、苛立ちで渋面を浮かべていた。
そんな熱気の中だったせいか、エルナは最後まで気付けなかった。
静かに、とても静かに、彼女の背中を見つめ続ける少女がいたことに。
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