第5話 《魂結びの儀》②

「……むむむ」


 一通り掃除を終えた真刃は、自室に戻っていた。

 そして、多数の空き缶――真刃は新商品のコーヒー缶を収集するのを趣味にしている――が並べられたワークデスクの上に置いてあるノートPCと睨めっこをしていたが、


「やはり、オレには無理だ。絶対に無理だ」


 ログイン画面の段階で、断念する。

 文字ならばある程度は読める。今の時代特有の単語、カタカナや和製英語というものはまだ少し苦手だが、大分使えるようにもなってきた。

 しかし、このPCで使うローマ字入力は無理だ。何を押せば変換できるのかも分からなかった。そもそもボタンが多すぎるのだ。


「恐るべきは、人の世の進化だな……」


 真刃は、カシュッと缶コーヒーを開けた。一口含む。苦みの強い一品だ。

 この時代で暮らすようになって早十一ヶ月。

 目に映るもの、そのすべてに驚かされる日々だった。


 名馬よりも速く、力強い無双の自動車。

 天を衝くとしか言い表せない勇壮なる建築物。

 縦横無尽に網を敷き詰め、多くの人々の足となる篤実の電車。

 長期に渡って、あらゆる食品、食材の鮮度を維持する神秘の冷蔵庫。

 そして、缶コーヒー。

 人類の英知にして濃縮された小世界。美味と安価の奇跡の調和たる缶コーヒー。


 人の技術とはここまで進化できるものなのか、と本当に驚いたものだ。

 だが、それらの中でも別格なのが、このPCと、エルナから渡されたスマホだった。


 これらに至っては、完全に未知の物体である。

 どちらも便利なのはよく分かる。この小さな物体に一体どれほどの英知が詰め込まれているのか。まさに恐るべき技術だ。

 しかし、操作方法が難解すぎるのだ。ローマ字入力が困難なのを別にしても、それ以上に出来ることが多すぎて、とても手に負えないのである。

 今や日課となっている、今代の知識を頭に叩き込む猛勉強のおかげで、自動車やバイクはこの十一ヶ月間で免許取得までできた――ちなみに戸籍は偽装している――が、こればかりは使いこなせる気がしなかった。


「これは、流石に仕方がないだろう」


 だからこそ、真刃は得意分野に頼った。

 真刃は飲み終えた缶コーヒーを机の上に置くと、パチンと指を鳴らした。すると、それだけでPCに自動的にパスワードが入力されて起動した。

 ようこそ、と文字が浮かび上がり、移り変わる画面を真刃は一人眺めていた。

 そうして十数秒後。


「さて。そろそろ準備は出来たか? 金羊きんよう


 と、PCに尋ねた。するとPCは、


『うっス。万全っスよ。ご主人』


 画面上に金色の羊の顔を映し出して、そう答えた。

 自分で扱えないのならば、PC自身に扱わせればよい。それが真刃の結論だ。

 そうして生みだしたのが、この世界では猿忌に続く従者。

 主にPCを依代にする従霊――金羊であった。


『今日は何をするっスか? 日課の勉強っスか? 検索っスか?』


 と、金羊が尋ねてくる。

 これが、真刃の系譜術――名がないと言ったら、エルナが《精霊殿ザ・フォレスト》と名付けた術だ。


 世界に漂って転生を待つ霊に、名と姿を与えて従霊と成す。そして任意の物体に憑依させて操る術だ。かつては万にも届く従霊を従え、その名を世に知らしめた真刃の業でもある。


(正直に言えば、あまり使いたくはないのだがな)


 かつての時代でも自分の力は異質で異端だった。失った仲間たちへの想いもある。

 しかし、どんな事情があってもだ。いくら真剣に勉強を続けていてもだ。

 今代の常識や技術に馴染むには、どうしても時間がかかるものである。複雑すぎるこの時代では、彼らに頼らなければ普通に生活するのも困難だった。

 実は、真刃には、戦闘時において使用できる従霊は三体までという《制約》がある。

 かつての時代に《隷属誓文》を用いてかけられた戒めだ。

 ただし、それは戦闘時のみ。日常生活や、召喚するだけならば対象外となる。

 従って、金羊に限らず、このフォスター邸には、生活補助のために二十八体の従霊が控えているのが現状であった。真刃としては苦渋の選択である。

 ともあれ、今は目的を遂げる方が重要だ。


「今日は検索だ。いつものサイトを。仕事を探す」


『OKっス! お任せあれ!』


 金羊は親指マークをポップアップさせると、あっという間にサイトにアクセスした。

 引導師である人間しか知らないパスワードを自動で打ち込み、ウィンドウを開く。


「……ふむ」真刃はあごに手をやった。モニターには、報酬額、危険度、発生場所などの項目を並べた小さな画面が延々と並んでいる。


「絞ってくれ」


『うっス。検索条件はどうするっスか? エルナちゃん用の仕事っスか?』


「いやオレの仕事だ。危険度カテゴリーはA~S。報酬額は八百万前後でいい」


『了解っス。けど、またこっそり隠れて仕事をするんスか? エルナちゃんにバレると、きっとむくれるっスよ』


「仕方があるまい。オレも、自立するための資金は稼いでおきたいのだ。それにエルナに話せば恐らくついてきたがるからな。才はあっても、あの子はまだまだ経験不足だ。特にあの子はいささか視野が狭い気がする」


『視野狭窄っスか』


 金羊は、クルクルと画面上で回る。そして「!」マークを、ピンとポップアップさせた。


『そこまで気に掛けるのなら、やっぱり、弟子じゃなくて隷者にしたらどうっスか?』


 真刃は、眉をしかめた。


「……お前な」


『まあ、聞くっスよ。ご主人』


 金羊はここぞとばかりに主人に告げる。


『エルナちゃんも「少女」から「女」に変われば視野は広くなるっスよ。そもそもご主人に一般職なんて無理なんスから、ご主人が平穏に生きるには隷者は必要なんスよ。それも七人』


「……ぐ」真刃は呻いた。


『嫁が多いほど強い引導師ボーダーっていうのは現代も変わらない常識っス。《魂結びソウル・スナッチ》さまさまッスよね。おかげでハーレムさえ築けば、ご主人の非常識な魂力も誤魔化せるっス。だから、まずはエルナちゃんからっスよ。なに。大丈夫っスよ。エルナちゃんが合意するのは確実っスからね。屈服させる決闘も不要っス。つうか、いい加減、据え膳を食えと言いたいっス』


「……結局それか」


 真刃は、溜息をついた。


「お前まで猿忌のようなことを言いおって」


『そりゃあ、猿忌の兄者にしても、アッシにしてもご主人の幸せが第一っスから』


 そこで、金羊は小首を傾げた。こっそり確信犯的な輝きを瞳に宿して。


『それとも、時折仕事場で見かける、あのの方がいいんスか? あの子を壱妃候補に考えてるんスか? ロングじゃないっスけど、ご主人の好みに近い容姿っスしね。それにあの子、どことなく「彼女」と似てるんスよね……』


「……あの娘か」


 真刃は、わずかに目を細めた。金羊の言う少女のことは印象に残っている。

 エルナとの仕事中に、時折、影からこちらの様子を窺っていた少女のことだ。


「確かに、あの凍りついたような眼差しの娘のことは気にはなるが、それはまた別件だ。それに、何かにつけてを引き合いに出すな。むしろ顔立ち的に似ているのは――」


 と、呟きかけた、その時。


 ――そんな、顔をしないで。


 少女の声が、聞こえたような気がした。

 かつて、よく自分の身の回りの世話をしてくれた少女の声。

 初めて自分に手を差し伸べてくれた少女の声だった。


 ――いつの日か、また、あなたの傍に……。


 真刃は沈黙する。と、


『ご主人? どうかしたっスか?』


「……いや、何でもない。それよりも早く仕事をしろ」


『うっス。了解っス』その時、画面が移り変わる。


『検索及び編集完了っス。お奨め順で百位まで並べたっス』


「……感謝する。どれ」


 真刃は指と足を組むと、モニターを凝視し始めた。

 百位まで並べられた依頼は、先程より拡大されていて仕事内容の詳細まで確認できた。

 真刃は無言のまま、読み続ける。

 彼の視線の動きに合わせて、モニターは自動的にスクロールされていく。

 そして――。


「……ほう。これは」


 真刃の瞳が、興味深そうに細くなった。


『あ、やっぱり目に付いたっスか』


 金羊が言う。その画面にはこう記されていた。

 ――骸鬼王の館。詳細にはこうある。

 に猛威を振るった最強最悪の我霊。《千怪万妖センカイバンヨウ骸鬼ガイキノ王》。その眷属が今も巣くうという古館。実際に多くの一般人、引導師が訪れて消息を絶ち――……。


『……う~ん、無茶苦茶書かれてるっスね』


「ふん。それも仕方なかろう。それだけのことをしたしな」


 真刃は皮肉げに笑った。


「だが、面白い。受けてみるか」






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