第三章 旅路
第125話 旅路①
晴天。
初夏へと向かう心地良い風が吹く。
――ガタンガタン、ゴトン、と。
鋼鉄の車輪が鳴る。
その列車は、田園沿いを走っていた。
「…………」
久遠真刃は、何とも困った顔で列車の席に座っていた。
列車に乗ってすでに一時間。
真刃はずっと、今の表情のままだった。
その理由は明確だ。
すべての要因は、迎え側の席に座る女性にある。
――いや、正確に言えば、女性にしか見えない御影刀一郎にあった。
刀一郎は列車に乗ってから、一度も真刃の方を見ようとしない。
両手を膝の上に、不機嫌そのものの顔で、車窓からの光景を睨んでいた。
「……御影」
このままでは埒が明かない。
真刃は、刀一郎に声を掛けた。
そして、流石に避けては通れない質問をする。
「お前、その姿はなんだ?」
「……………」
刀一郎は答えない。
真刃の方に振り向こうともしない。
真刃は、渋面を浮かべた。
と、その時、ボボボと鬼火が真刃の隣に現れた。
従霊の長。猿忌である。
『御影刀一郎よ』
今度は、猿忌が刀一郎に声を掛ける。
『その姿は、流石に説明が必要だと思うのだが……』
数秒の沈黙。列車の車輪の音だけが響く。
真刃も、猿忌も、静かに刀一郎に注目していた。
すると、
「……命令だ」
ようやく刀一郎が口を開いた。
「分隊長殿に命じられたのだ。偽装のためにこの衣装を着ろと」
「……偽装、だと?」
真刃が眉をひそめた。
一方、刀一郎は、初めて真刃の方に視線を向けた。
「これから向かう街は、旅館の多い温泉街らしい。そこは、主に夫婦や恋人が訪れることが多い街とのことだ」
刀一郎は、苦渋の表情を浮かべた。
「そんな場所に男二人で向かっては不自然だ。不要に目立つ。だから、分隊長殿は、急遽この衣装をご用意されたそうだ。要するにだ」
一拍おいて、刀一郎はむっすうと頬を膨らませた。
「自分はお前の恋人役を演じろと命じられたのだ! 分かったか!」
「……なるほどな」
真刃は、心底困った顔をした。
「話は分かった。大門の言い分も……まあ、少しは理解も出来る」
『……流石に、主に女装は出来んからな』
と、猿忌も言う。
体格、顔つき共に精悍な真刃が女装しても、それは笑い話にしかならない。
それに対し、刀一郎の方といえば、着物を着ただけでこの圧倒的な仕上がりだ。
刀一郎としては極めて不本意かもしれないが、選択肢は一つしかない。
「しかし、これだけは言ってもよいか?」
「……何をだ?」
訝し気に眉根を寄せる刀一郎。
真刃は困り顔のまま、改めて、刀一郎の今の姿を見据えた。
そして、
「お前、幾ら何でも似合いすぎていないか?」
「――ふあっ!?」
刀一郎はビクッと肩を震わせた。
真刃は構わず言葉を続けた。
「正直なところ、驚くほどだぞ。忌憚なく言えば綺麗だとさえ思う」
「――き、綺麗!?」
刀一郎はパクパクと口を動かした。
が、すぐに顔を真っ赤にして。
「だだだッ、誰が綺麗だ! 自分を侮辱する気か!」
「いや、そういうつもりではないのだが……」
真刃は眉をひそめて頬をかいた。
主が濁らせた言葉は、猿忌が継いだ。
『まあ、こちらとしても似合いすぎて対応に困るというのが本音だな。だが……』
猿忌は、真刃と刀一郎に交互に目をやった。
『任務としては納得もいく。いずれにせよ、偽装するのならば名はどうするのだ?』
「……名、だと?」「どういうことだ?」
真刃と刀一郎が同時に尋ねる。と、
『御影の名だ。刀一郎というのは女性ではあり得んだろう』
「……ふむ」
真刃はあごに手をやった。
「確かにそうだな。仮に名字で呼び合うとしても恋人同士にしては不自然か」
『うむ。それに行動を共にするのならば、恋人であるよりも、夫婦である方が、何かと都合が良いと思うのだが?』
「――ふ、ふっ、夫婦っ!?」
刀一郎が目を剥いた。少し腰も浮く。
猿忌は、刀一郎を一瞥して『うむ、そうだ』と頷いた。
『偽装ならば徹底する方が良い。我はそう思うが?』
「そ、それは、自分もそう思うが……」
もじもじと刀一郎が言う。指先を絡める何とも愛らしい姿だ。女性の姿をしているせいで女性面が強く表に出ているようだ。
ただ、根が朴念仁である真刃は、刀一郎の変化には気付かない。
「そうだな。では、名を付けるか」
刀一郎の方を見やる。刀一郎の鼓動が跳ね上がった。
果たして、彼はどんな名を自分に付けるのか――。
「『梅子』というのはどうだ?」
……………………………………………。
…………………………………。
……………………。
刀一郎は、遠い目をした。
「ありきたりだな。つまらん」
淡々とそう返す。
真刃は「うむ。そうか」と腕を組んだ。
それから幾つか名を出すが、どれもありきたりな名前だ。
むしろ、ありきたりなのは偽装としてよいと思うが、刀一郎としては不満だ。
折角、『女』として名乗るのなら――。
そんなことを考え、車窓へと視線を向けた時だった。
ふわり、と。
視界に一片の桜の花が舞った。
「……あ……」
刀一郎が呟くと、次々と桜が舞う。
「どうやら、桜並木の道に入ったようだな」
真刃も車窓に目をやって呟く。
桜の花は、視界いっぱいへと広がっていった。
桜の舞いに刀一郎が思わず魅入っていると、
「……桜が舞う、か。そうだな……」
真刃が、おもむろに告げた。
「……『桜華』というのはどうだ? 御影よ」
「………え」
刀一郎は、驚いた顔で真刃を見つめた。
瞳を盛んに瞬かせる。
「む。これもダメか?」真刃は眉をしかめた。「ありきたりではないと思うのだが」
「い、いや待て!」
刀一郎は、両手を突き出して、パタパタと振った。
「う、うん。そうだな。それでいい。確かにありきたりではないしな」
コクコクと首を縦に振る。
内心では、鼓動が激しく高鳴っていた。
まさか、こんな機会が訪れようとは――。
「で、では、そう呼んでくれ」
「ああ。分かった」
真刃は頷いた。
「気に入ったのなら良い。これも任務だ。よろしく頼むぞ。桜華」
ドクンっ、と。
刀一郎の全身が震えた。
思わず「ふあぁ……」と、その場で崩れそうになるが、表面的には平然を装った。
そして――。
「う、うむ。了解した」
刀一郎は、頷いて告げた。
「今から任務を終える時まで、自分はお前の『妻』だ。『久遠桜華』と名乗ろう」
――うん。これも任務だ。仕方がないからな。
そう念押しする刀一郎が、とても嬉しそうだったのは言うまでもない。
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