第140話 刃の王は、高らかに告げる③

 それは、唐突に襲い掛かる。

 十五本以上の触舌。

 不気味に蠢くそれらには、一切の予備動作がなかった。

 何の予兆もなく、不意に先端がかき消えるのである。


「――ッ!」


 桜華は直感だけで後方に跳んだ。

 途端、桜華が立っていた場所が、線を引くように抉られる。

 街道が、舌舐めずりされたのだ。


「あら。勘が良いですのね」


 エリーゼが呟く。


「ですが、今のは小手調べですわ」


 そう告げると、すべての触舌が同時にかき消えた。

 桜華はゾッとしつつも、感覚を研ぎすませた。

 目では追えない。だからこそ、肌で空気の流れを感じ取った。

 そして走り出す。

 炎の刃を携えて、エリーゼの間合いへと。

 その途中で桜華は真横に跳んだ。またしても街道が抉られる。

 次いで、頭を下げた。今度は、後方の街路樹が両断された。


「……まあ」


 エリーゼは、口元を片手で押さえて驚いた。


「まさか、私の舌の動きが見えていますの」


「見えてなどいない」


 桜華は熱閃を振るって、襲い来る舌の軌道を変えた。


「だが、それほどの速度ならば空気は弾ける。五感を研ぎ澄ませれば対処は出来る」


「まあ。凄いのですね」


 エリーゼは、感心したように両手を打った。


「では、これならばどうかしら?」


 そう告げられると同時に、桜華の背筋に悪寒が奔った。

 全方位から、悪意を感じた。


(全方位攻撃か!)


 十五本以上の触舌が、それぞれ別方向から襲い来ることを察する。

 すべてを回避するのは、桜華であっても不可能だ。


(致命傷になりそうなのは三本か! それ以外はやむ得ない!)


 多少の負傷は覚悟する。

 桜華は攻撃を受けた後、即座に攻勢に出れるように重心を下げた。

 と、その時だった。


『ご安心を。桜華さま』


 不意に、胸元の水晶――白冴が声を掛けてきた。

 直後、桜華を中心に、透明な水晶の結界が展開された。


「え?」


 桜華が目を瞬かせると、その水晶の結界は、触舌の全攻撃を遮断した。

 十五本を越える触舌はすべて弾かれ、あらぬ方向に軌道を変える。


「し、白冴?」


 桜華は、唖然とした。

 あの触舌の攻撃力は、相当なモノのはずだった。

 それを白冴は容易く弾いてみせた。驚くほどの防御力である。

 まさか、ここまで強力な結界を築けるとは――。


『この白冴は、従霊五将が一将でございます。私がお傍にいる限り、桜華さまのお体に、下賤な舌を這わせることなどは断じてさせませぬ』


 そうして水晶は、ゆらりと浮くと、エリーゼの方に向いた。


『痴れ者が。この御方をどなたと心得るか』


 白冴は、怒気さえ宿した声で告げる。


『この御方こそが、我が君の奥方さまであらせられます。いずれ、我が君の愛しき御子を宿す尊き御方。その美しきご肢体に触れてもよいのは、我が君のみでございます。ましてや、貴様のような痴れ者が触れるなど、言語道断でございます』


「し、白冴!?」


 白冴の発言に、桜華も流石に顔を赤くした。

 一方、エリーゼは、


「……面白いことを仰るのね」


 表情を、少し冷淡なモノに変えて呟く。


「見たところ、式神のようですわね。式神ごときに痴れ者と呼ばれるのは不愉快ですが、良いこともお聞きしましたわ」


「……なに?」


 その言葉に、桜華が眉をひそめた。

 すると、エリーゼは微笑み、


「私、実は人のモノを奪うのが大好きですの」


 そんなことを告げた。


「強奪は本当に楽しいわ。物でも人でもね。特に、人間は表情が素晴らしいの。困惑に動揺。背徳に自責の念。必死に抗おうとするのだけど、最後には快楽に堕ちてしまう。それがまた楽しくて美味しいの」


 くるくる、とその場で舞う。

 そして、困惑する桜華を指差して。


「今のお話ですと、あなたにも夫がおられるのでしょう? ふふ、あなたの愛する殿方。是非とも奪ってみたいわ」


「……くだらん戯言を」


 困惑から一転、桜華は双眸を細めた。


「名付きになると我霊は、女の方が、情欲が強くなると聞いたことがあったが本当なのだな。だが、そもそも、あいつがお前のような女の相手をするものか」


「ふふ。それは分からないわ。けれど」


 エリーゼは、蒼い双眸を細めた。


「それは機会があればですわね。実のところ、私はあなたを殺す気はないのですわ。先程の攻撃もそう。当てるつもりはなかったわ。ただ、手足を絡めとるだけ」


「……なに?」


 炎の刃を構えつつ、桜華が呟く。


「どういうつもりだ? 自分を殺すつもりがないだと?」


「ええ」


 エリーゼは頷く。


「だって、あなたは贈り物。私の愛しいお館さまに捧げる贈り物プレゼントなのだから」


「……なんだと?」


 桜華は、炎の刃の柄を強く握りしめて眉根を寄せた。

 エリーゼは再び「ええ」と首肯する。


「光栄に思いなさい。地を這う人間に過ぎないあなたを、天の座に御座すお館さまが見初められたのよ。喜んでその身と命をお館さまに捧げなさい」


 エリーゼは言う。


「出来れば処女おとめの方がよかったのだけど、そこは、お館さまにも、強奪の甘美さをご堪能して頂くことにいたしましょう。お館さまのお情けを頂けることだけでも、人間には望外の幸運ですが、もし、お館さまがあなたをお気に召されたのならば、その後も、お館さまにお仕えできる栄誉を賜れるかもしれないわよ?」


「……本当に戯言だったな」


 不快感と共に、桜華は吐き捨てる。


「誰が我霊などに弄ばれるものか。そんなことになるのなら、自決するだけだ」


『お待ちを。それは容認できぬお言葉でございます。桜華さま』


 白冴が言う。


『桜華さまが我霊の慰み者になるなど論外ではございますが、桜華さまは、我が君の奥方さまであらせられます。自決は断じて容認できませぬ』


「い、いや。そう何度も奥方とはっきり言われると恥ずかしいのだが……」


 どうにも自分を強く推してくれる白冴に、流石に頬を染める桜華。

 一度、大きく息を吐いて。


「いずれにせよ、貴様の目的など知ったことか」


 今は戦闘中だ。

 意識を、再びエリーゼだけに集中させる。


「貴様はここで自分が斬る。確かなことはそれだけだ」


 そう宣言して。

 桜華は炎の刃を、煌々と輝かせた。

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