第398話 肆妃『月姫』/青い世界④
……はァ、はァ、はァ。
荒い息が零れる。
月子は苦しそうに胸元を抑えていた。
青い世界。彼女はまたそこを漂っていた。
ボコボコッと空気が口から零れ落ちる。
呼吸が出来なくなる。
いつもならこの後に海が荒れる。
けれど、今回は海の底から巨大な何かが浮上してきた――。
パチリ、と。
月子は瞳を開けた。
白いドレスを着た月子は、誰かに両腕で抱きかかえられていた。
大きくて力強い男の人の腕だ。
(……
一瞬、父かと思ったが、その人の顔を見て月子は微笑んだ。
大きな喜びと共に、彼に抱き着いた。
その時、強い風が吹いた。
月子が目をやると、そこは空の上だった。
大海原と、空が広がる世界だ。
どこまでも澄んだ青い世界だった。
青空は輝いている。
まるで父の名前のように。
彼に抱きかかえられた月子は、巨獣の掌の上にいた。
大海原を組み伏せるように立つ灼岩の巨獣だ。
常ならば、灼熱で覆われている巨獣の掌も今だけは穏やかだった。
月子は瞳を細めた。
片手で髪を梳く。
風が心地よかった。
そして彼女は再び彼に全身を預けた。
安堵が心を満たしていく。
ここが自分の居場所なのだとはっきりと感じた。
そうして。
パチリ、と。
再び月子は瞳を開けた。
何度も瞳を瞬かせる。
視界に映るのは白い天井だった。
(ゆ、夢……?)
困惑しながらもそう思う。
凄く心地よい夢だったと思う。
少し記憶がぼやけていて、あまりよく思い出せないが。
ともあれ、月子は上半身を起こした。
全身に酷く汗をかいていた。
「……熱い」
そう呟きながら、ふと気付く。
ここが自分の部屋ではないことに。
「ここ、おじさまの……」
どうやら、昨日の夜に来てそのまま眠ってしまったようだ。
真刃は月子に自分のベッドを貸してくれたらしい。
仕事に行ったのか、真刃の姿はなかった。
「迷惑かけちゃった……」
しゅんとして、月子はベッドの縁に移動した。
と、その時、もう一つ別のことに気付く。
「………え」
胸元に開放感を感じたのだ。
「え? え?」
慌てて自分の双丘に触れた。
すると、いつも以上に柔らかでダイレクトな感触が伝わって来た。
「え? ええッ!?」
シャツの胸元をグイっと伸ばして覗き込む。
一瞬の硬直の後、月子は愕然とした。
(なんで私、下着をつけてないの!?)
瞳を見開いたまま、慌てて周囲に目をやった。
枕をどかして、シーツをはぐ。
四つん這いになってベッドの上や床を探すが、どこにも落ちていない。
(ど、どういうこと?)
青ざめつつ、月子は少し思い出した。
うっすらとした記憶の中では自室で外したような気がする。
「……………え」
月子は言葉を失った。
昨夜、自分は何をした?
こんな汗だくのシャツで下着もつけず、おじさまに……。
「――うひゃあッ!?」
思わず両頬を抑えて叫んでしまう。
心臓が爆発しそうなほどに鼓動を打った。
と、その時、
「ああ。月子。もう目覚めていたのか」
不意に部屋のドアから真刃が現れた。
彼は手に水のペットボトルを持っていた。
「随分と汗をかいていたようだからな。これを取ってきた」
そう言って、ペットボトルを月子に渡す。
受け取った手がヒヤリとした。
(―――あ)
月子はまだ混乱していたが、ペットボトルの冷たさに喉が鳴った。
キャップを開けて、ゴクゴクと呑み干していく。
胸元に水滴が落ちるのもお構いなしだ。
それだけ喉が渇き切っていた。
……ぷはあ。
月子は息を大きく吐いた。
満足げな顔をする。
喉が潤うと、今度は心がきゅうっと鳴った。
「おじさまぁ……」
ポヤポヤとした顔で両手を広げて、
「抱っこ。抱っこしてください」
と、おねだりする。
それに対して、真刃は小さな苦笑を零した。
基本的に妃たち全員に甘い真刃だが、特に甘える月子とかなたには逆らえない。
彼女を正面から抱き上げて、ポンポンとその背中を叩いた。
月子は満足げな顔で、真刃の背中を強く掴んだ。
が、そこで、
(……あれ?)
目を瞬かせる月子。
明らかに普段とは違うダイレクト感に、ポヤポヤが一気に吹き飛んだ。
(あれ? ああああッ!?)
今の自分の状態を改めて思い出す。
うなじから額まで瞬く間に真っ赤になった。
プシュウっと頭から湯気が立ち昇る。
優しく背中を叩かれると、ビクッとなった。
ただ、
(あ、あううゥ……)
それでも真刃の背中を離さない月子だった。
肆妃『月姫』・蓬莱月子。
彼女の両親の願いは叶えられている。
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次話『幕間 準妃/その行く先は――。』
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