第397話 肆妃『月姫』/青い世界③

 ここから先は月子も知らない事実だった。

 とある日のこと。

 複数の引導師の名家・大家に一本のメールが送られてきた。


『豪華客船プリンセス=ルシール号にて、最も尊き宝石をいただく』


 それはいわゆる盗難予告だった。日付……と言うよりも、犯行期間も予告されていたが、連絡先は不明。名は『U』とだけ記されていた。

 多くの家は悪質ないたずらと無視したが、数家は動いた。

 そのメールは魂力を操作できなければ送受信できないはずだったからだ。

 少なくとも引導師ボーダー。もしくは名付き我霊ネームドエゴスが関わっている可能性がある。

 安直にいたずらと考えるべきではないと判断したのである。

 その中には火緋神家も含まれていた。


 そうして一族の中から白羽の矢が立ったのが、火緋神巌の次男だった。

 むしろ、彼は自分から名乗り出た。

 そして同行者として異母妹と彼女の執事を選んだ。

 これには思惑があった。


(……私としては)


 眼鏡をクイっと上げて、その少年は階段を上がる。

 年の頃は十八歳ぐらいか。異母兄と同じ毛先が少し赤い黒髪の短髪だが、顔の線は細い。身長は百七十五センチほどか。黒いタキシードを着た知的な少年だ。

 彼の名は火緋神ひひがみ耀よう

 燦の異母兄の一人だった。


(最近、嫌われ気味だった燦に喜んでもらいたかっただけだったのですが……)


 そう思いながら、拳を固める。

 完全に油断していた。心のどこかで所詮はいたずらと考えていたのだろう。

 まさか、こんな最悪の事態を引き起こそうとは……。


(同時に聞こえた爆発音は複数。明らかにこの船を沈めることを目的とした犯行ですね)


 ……宝石とやら狙うというのは偽装だったのか。

 いずれにせよ、ここまでの事態を引導師が起こすとは考えにくい。

 恐らく元凶たる存在は――。

 耀は広いフロアに出た。

 この船の最上階。展望レストランだ。

 フロアには幾つものテーブルが置かれているが、明かりは落ちている。

 が、すぐに異臭に気付いた。


(……この匂いは)


 耀は視力を魂力で強化して周囲を見渡した。

 そして床に倒れた人影を見つける。

 それはすでに人ではなかった。完全に炭化した元人間だ。

 その手には大太刀が握られていた。


(先にここに来た他家の引導師ボーダーのようですね……)


 彼――いや、彼女かもしれないが、きっと耀と同じ推測をしてここに来たのだろう。即座に行動したところ、相当な使い手だったと思うが、ほぼ争った形跡もなく息絶えている。


 耀はさらに警戒した。

 すると、


「あれれ?」


 不意に声がする。

 見やると、テーブルの上に腰をかける黒いゴシックロリータドレス姿の少女がいた。

 小柄ながらも豊かな胸に、引き締まった腰。スカートは短く、黒のニーソックスに覆われた脚線美をブラブラと揺らしている。

 年齢は十代後半だと思うが、はっきりとは分からない。

 何故なら、顔の上半分を鋼鉄の黒い仮面で覆っていたからだ。

 金色の角を生やした仮面だ。髪は長く白い。それが大きく広がっていた。

 そして彼女の前には、幾つものモニターが展開されていた。

 それぞれ船内の様子を映した術である。


「……あなたが」


 最大限の警戒と共に耀は問う。


「……『U』でしょうか?」


「ん。そだよ」


 彼女は耀に視線を向けた。


「あ。今回は綺羅きら綺羅きらくんだね。さっきの人はむさ苦しくて即殺しちゃったけど」


「……そうですか」


 先程の死体もこの少女の仕業のようだ。


「随分と大胆なことをしますね。あなたの狙いは宝石だと予告していたはずですが?」


「なに言ってんの? 宝石ならちゃんと奪ってるでしょう?」


 耀の問いかけに、少女はモニターを指差した。


綺羅きら綺羅きら綺羅きら


 少女は微笑む。


「本当に綺麗。人の命の輝きは。尊いよ。これ以上の宝石はこの世にないよね」


「…………」


 耀は無言で少女を睨みつけた。


「Uはね。だいたい五十年ぐらいのサイクルで客船を沈めているの。豪華客船って見た目もそうだけど本当に宝石箱だよ。ただね……」


 そこで苦笑を浮かべる。

 モニターには自分が先に助かろうと言い争う者たちの姿があった。

 彼女は片手をかざして、それをすっと消した。


「む~ん。ここまでごちゃごちゃだと醜いのも観ちゃうのが玉に瑕かな」


「……なるほど」


 耀は冷たい眼差しで少女を見据えた。


「あなたの嗜好など理解したくもありませんが、一つだけ分かりました」


 片腕を横に薙ぐ。直後、掌から炎が燃え上がった。

 それは空中へと流れていき、金色の火の粉を散らす鳳と化した。


「わお。綺羅綺羅だね」


 少女は口元に笑みを浮かべた。


「あなたは放置できない。ここで引導を渡します。名付き我霊ネームドエゴス


「アハハ。折角来てくれた観客ギャラリーだし、おもてなししたいところだけどさ」


 言って、彼女はテーブルの上に立ち上がった。

 モニターが次々と閉じられていく。

 たった一つだけ残った。

 それは海流に呑みこまれたとある客室だった。

 彼女は名残惜しむように、そのモニターを見つめている。


「今日のUは機嫌がいいんだ。百年に一度かの素晴らしい輝きが観れたから」


 そのモニターも閉じられる。


「彼らの愛娘ちゃんの結末も見届けたいところだけど、それは蛇足かな。思わず助けたくなっちゃうかもしれないし。それをしちゃうとUの主義じゃないから」


 一拍おいて、


「もしここで生き残るのなら、いつか愛娘ちゃんに会いに行くのもいいかもね」


「そんなことはさせませんよ」


 耀は鳳に命じる。


迦楼かる。この悪鬼を食らい尽くしなさい」


 鳳――迦楼羅は主の命に応えて両翼を広げた。

 だが、その時だった。


「だから戦う気はないんだって」


 少女がパチンと指を鳴らした。

 途端、彼女の背から白い雷光が解き放たれて、一瞬でフロアの大半が消し飛んだ。


「――――な」


 咄嗟に迦楼羅に防御をとらせて雷光を凌いだが、フロアは崩壊する。

 耀は迦楼羅の足に掴まって宙へと避難するが、思わず唖然とした。


(たった一撃で……何という威力ッ!)


 小さく喉を鳴らす。


「へえ~。今のを凌ぐんだ」


 すると、楽し気な少女の声が耳に届いた。

 目をやると、遥か頭上に彼女がいた。

 背中から数百の真っ白い雷蛇を生やして、彼女は宙に浮いていた。

 それは、まるで何十メートルとある巨大な翼のようだった。


「中々やるね。君の名は?」


 腰に片手を置いて、少女は尋ねてくる。

 耀は躊躇いつつも、


「……火緋神耀です」


 そう名乗った。彼女は「わおっ!」と口元を指先で抑えた。


「無茶くちゃメジャーな家系だね! 綺羅綺羅なはずだよ!」


「……私も聞きたいですね」


 警戒しつつ、耀は問う。


「『U』はあなたの名ではないでしょう。あなたの名を聞かせてくれませんか?」


「ん? Uの名前?」少女は小首を傾げた。


「あまり言いたくないな。嫌いな訳じゃないけど、綺羅綺羅じゃないから。けど」


 あごに指先を当てて、


「おもてなしも出来なかったし、じゃあヒントだけね」


 言って、彼女は胸の前にてハートのマークを両手で作った。

 が、それをすぐに逆さまに裏返した。


(……何だ?)


 耀は眉根を寄せる。


(ハートを逆転させたマーク? 何の意図だ?)


「……ふふふ」


 彼女はさらにそのマークを、ぐちゃりと握り潰した。


「分からないかな? む~ん、まごう事なきビッグネームなんだけど、出自が昭和中期ぐらいと歴史の浅い『がしゃどくろ』よりも知名度が低いのはどうも納得いかないなあ……」


 彼女は少し不機嫌そうに言う。


「そもそも知ってる? あの人の名前って実は『餓者』までが前半で『髑髏』だけが怪異名なんだよ。本来の命名元は平安時代の『日本霊異記』の方らしいから。後世になってから『がしゃどくろ』っていうメジャーになるのが出てきたの。おかげで若い我霊エゴス引導師ボーダーなんて髑髏さんの怪異名は『餓者髑髏』だってみんな思っているんだよ」


 そこで「む~ん……」と腕を組んで、


「まあ、語感がいいから、それ以前から髑髏さんは『餓者髑髏』って呼ばれることが多かったんだけど、あれも愛称になるのかな? 例えるなら『山田太郎』を『田太郎』って呼んでいるようなものなんだけど」


「……あなたはさっきから何を言って……」


 と、そこまで呟いたところで耀はハッとした。

 ハートの逆転。それによく似た『果実』を思い出したのだ。

 それを彼女は握り潰した。

 そして、もし『U』が頭文字イニシャルなのだとしたら……。


「まさか、あなたは――」


「はいはァい! 詮索はナシで!」


 パンッと少女は柏手を打った。


「もし君が生き延びてまた会うことがあったらその時は名乗ってあげるよ」


 言って、片手を上げる。

 夜空はいつの間にか暗雲に包まれていた。


「今日のところはそろそろ閉幕。フィナーレには万雷の喝采をね」


 少女はそう呟く。

 直後、白い雷が雨のように船体に降り注いだ。


「――ぐうッ!」


 耀は白雷の豪雨の中、自身を守ることだけで精一杯だった。

 そんな耀に対し、


「じゃあ頑張って生き延びてみてね。綺羅綺羅くん」


 少女はバイバイと手を振った。

 その姿は遠ざかっていき、遂には見えなくなった。


「――くそッ!」


 耀は思わず怒りを吐き出した。

 何も出来なかった。

 あれは、あまりにも格の違う敵だと本能が告げていた。


(……だが!)


 まだ出来ることはある。

 元凶は去った。

 ならば、後は一人でも多くの人間を救うだけだ。

 何よりも、


(――燦ッ!)


 迦楼羅が飛翔する。

 耀は異母妹の元へと急ぐのだった。


 結果的に、火緋神耀は多くの人命を救った。

 その数は八十八人。

 天災のような状況の中であって尽力したと言える。

 だが、総勢二百五十三名の命が奪われる最悪の海難事故となった。

 その中には、月子の両親も含まれていた。

 これが豪華客船プリンセス=ルシール号の結末である。


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