第22話 夜の迷宮⑤

(同じような状況でも、あの時とは大違いだわ)


 エルナは、内心で深く嘆息した。

 ――呉越同舟とは、このことだろうか。

 エルナと猿忌。そしてゴーシュは、一緒に渡り廊下を進んでいた。

 本来は競争相手だが、それぞれのパートナーとはぐれた以上、お互いに合流するまでは共闘した方がよいという判断だ。その判断は間違っていないだろう。

 しかし、だ。


「お兄さま」


 エルナは、異母兄を睨み付けた。


「少しは、お兄さまも戦ってくれませんか?」


 今回の同行者は、全く戦ってくれない。

 あの日の真刃とは大違いだ。


(最悪だわ)


 エルナは眉をひそめた。

 異母兄がここにいる以上、かなたは一人で行動している可能性が高いということだ。

 その事実が、エルナの心を焦らせていた。


(……かなた)


 焦燥感を抱きつつも、エルナは屍鬼の一体を薄紫色の羽衣で捕らえて、拘束した。

 羽衣を握る手を覆った龍鱗が、微かに輝く。

 エルナの服装は今、レオタードにも似た龍鱗の衣スケイル・ドレスに変わっていた。

 光沢を持つ紫を基調にした装束だ。臀部には小さな尻尾。頭部には後天に伸びた金色の小さな二本角の冠を被っている。これが彼女の戦闘装束なのである。

 しかし、全身を覆うゴーシュに比べ、彼女のものは肩と背中と太ももの付け根、そして菱形状に胸元と腹部を露出している艶めかしい姿だ。


 鎧に見えても、これはゴーシュ同様に衣服を変化させたものだ。

 ただし、この露出具合は、別に彼女の趣味ではない。

 単純に魂力と修練不足で覆われていない部位が多いだけだ。

 だが、たとえ未完成でも、この龍鱗の衣スケイル・ドレスは現時点のエルナの最強のスタイルだった。

 奇しくも、かなた戦で使おうとしたこの術を、今は弐妃かなたの身を案じて披露したのである。

 真刃以外では誰にも見せたことのないこの姿を。

 だというのに、異母兄は横着な態度で、雑魚の相手は一切しようとしないのだ。


(まったくもう!)


 エルナは、増強した筋力で捕らえた屍鬼を振り回した。

 多少、床や壁にぶつかろうがお構いなしだ。

 ――ドンッ!

 捕らえた屍鬼を、鉄球のごとく別の一体にぶつけて、複数体を同時に吹き飛ばす。

 やはり兄妹と言うべきか。華奢で可憐な容姿には似つかわず、案外、ゴーシュによく似たパワーファイターであるエルナだった。


「拘束と武器化。そして身体強化こそが《天衣骸布ヴェール》の真髄ではあるんだが……」


 白いスーツ姿に戻ったゴーシュが、あごに手をやった。


「露出が多すぎる。まだまだだな。精進が足りないぞ。エルナ」


 そこで、グッと上腕二頭筋を固めてみせる。

 スーツの上からとは思えないほどに、筋肉のエッジが浮き出る。


「まあ、露出の多さはむしろニーズが高いのでいいが、筋肉が足りないな。何だ、その華奢な体は。もっと筋トレをしろ。筋肉を愛せ。筋肉に尽くせ。筋肉の声に耳を傾けるのだ。さすれば筋肉は応えてくれるはずだ」


「何ですかその筋肉賛歌は! 嫌ですよ! ダリアお姉さまじゃあるまいし!」


 エルナは苛立ちと共に、龍鱗を纏う拳を勢いよく突き出した。

 それだけで屍鬼の顔面が粉砕され、その場に崩れ落ちる。


「ダリアは、あれはあれで美しいじゃないか」


 ダリアとは、ゴーシュにとって従兄弟になる女性だ。

 ゴーシュ同様に身体強化重視の戦法を得意とする、フォスター家直系の引導師。

 エルナにも劣らない美しい顔立ちをしているのだが、その佇まいは女戦士アマゾネスのごとし。当然と言うべきか、六つに割れた腹筋を持つ筋肉質な女性である。

 ちなみに、ゴーシュの八人目の愛人でもある。


「確かに綺麗な人ですよ。けど、あのタイプはお師さまの好みじゃないんです」


「そうか。まあ、お前やかなたを気に入るようだしな」


 そこで、ゴーシュは妹の容姿を凝視した。

 躍動する妹の、さらに、ぶるんっと躍動する首筋から腰までにかけてのラインを。


「存外育ったな。お前を見る限り、未成熟な少女の愛好家という訳でもないようだ。かなたもまだ幼くはあるが将来性は抜群。現時点でも中々なものだからな。さてはあの男も、俺と同じおっぱい星人と見た」


「――おっぱい星人!?」


「お前とかなたは、ロリ巨乳という奴だな」


「どこで憶えてきたんですか!? そんな日本語!? と言うより、妹の体を凝視しながらそんな変態的な台詞を吐くなっ!」


 と、叫びつつ、エルナは羽衣を長く細く、棍のように収束した。同時に先端部のみ、大きく膨れあがり、巨大な龍頭が形作られる。少し可愛らしくデフォルメ化された紫色の龍だ。


龍頭ド・ラ・ゴ・ン……」


 そしてエルナは一歩踏み込むと、龍頭を大きく突き出して叫ぶ!


絶倒ハンマ―――ッ!」


 ――ズドンッ!

 紫龍の頭突きは、前方にいた屍鬼を直撃。さらに、砲弾のごとくその一体を弾くと、屍鬼の群れを次々と薙ぎ飛ばした。


「……おお」と、ゴーシュが目を瞠って異母妹に拍手を贈る。「今のは特によかったぞ。我が妹ながら中々の揺れっぷりだった」


「まだ言うか! この変態お兄さまは!」


 いい加減、青筋を額に浮かべるエルナ。そんな異母兄妹の様子に、


『……意外だな』


 同行する黒鉄の虎――猿忌が、呆れるように呟いた。


『お主らは思いの外、仲が良いと見える』


 エルナを守れと主に厳命されている猿忌だが、下級我霊程度なら、彼女が遅れを取ることはない。今はあえて彼女に実戦を経験させていた。


「そう見えるか?」


 一方、猿忌の台詞に、ゴーシュは皮肉気な笑みを見せた。

 ゴーシュが手を出さないのは、戦力温存のためだ。別に異母妹の成長を促すためではない。

 雑魚の露払いなど、彼にとっては時間と体力の無駄に過ぎなかった。


『少なくとも、エルナが死んでもいいとは思っていないだろう?』


「まあ、流石に助けられる状況で見捨てる気はないが……」


 ゴーシュは、「ふむ」と呟き、両腕を組んだ。


「屍鬼程度なら、すでに何の問題もないようだな。実力的には危険度Dの上位と互角ほどか。存外成長している。師であるあの男の指導が良いんだろうな。ところでエルナよ」


「……何ですか?」


 異母兄を睨み付けるエルナ。ゴーシュは、真剣な顔つきで異母妹に問うた。


「お前、あの男にはかれこれ何回ほど抱かれたんだ? そっちの開発具合も気になる」


「それが妹に聞く台詞なの!?」


 エルナは、羞恥と情けなさで顔を真っ赤にした。

 しかし、ゴーシュはどこか淡々とした声で。


「いや、存外重要な話だぞ。お前は、いずれ俺が決めた然るべき相手に嫁ぐ身だからな。あの男に変な癖でも仕込まれていても困るんだよ」


「ッ! お兄さま……」


 当然とばかりに告げる異母兄に、エルナは表情を険しくした。


『……ふん』


 猿忌が鼻を鳴らす。


『何を言い出すのやら。エルナはすでに主の女であるぞ よもや本気で主に勝つつもりだったのか? それはまた随分と剛毅なことだな』


「それは俺の台詞だぞ。在野の引導師が、俺に勝てると思っているのか?」


 ゴーシュは、黒鉄の虎を一瞥した。


「系統としては式神か? 特殊な依代を必要としない万能型とは大したものだな。だが所詮、式神遣いは他力本願。術者を狙われれば脆いものだ」


『……くくく』黒鉄の虎は笑った。『主が脆い? 面白いことを言う』


「……なに?」


 ゴーシュが眉根を寄せる。


『人とは時代と共に進化するもの。技術は常に古きモノよりも新しきモノの方が優れておる。それは当然の理であり、引導師の術法や技量も同じことだろう。だがな』


 黒鉄の虎は、牙を鳴らして告げる。


『人の技術が最も進化するのは良識を失った時だ。狂気から生まれた業は禁忌となり、正道から外れ、歴史の中に埋もれていく。そう。古の時代の中にな』


「……何が言いたい? 式神」


『貴様が持つ常識だけが、すべてではないということだ』


「……ふん。式神風情が知ったふうな口を」


 と、ゴーシュが不愉快そうに鼻を鳴らした時だった。


「……っ! お兄さま!」


 異母兄たちの会話を静かに聞いていたエルナが、前方を指差した。

 廊下の遙か先、そこには一体の怪物がいた。

 もはや、人からかけ離れてしまった姿の怪物だ。

 五つの顔が張り付いた巨大な頭部に、飾りのようになった短い両腕。その代わりなのか、下半身には無数の手が伸びている。ただし、下半身自体は蜘蛛を思わせるものだったが。


「……集合体」


 エルナが、ポツリと呟いた。

 ただの我霊ではない。複数の我霊が一つの肉体に憑依した姿だった。


「……危険度Cの上位といったところか」


 ゴーシュが、興味深げに双眸を細めた。

 そして右腕のみをレザースーツ状に変化させる。


「下がっていろ。お前の手にはまだ負えん相手だ」


 異母妹を下がらせて、自ら前に進み出る。同時に、ゴキンッと首を鳴らす。


「……ふむ。それにしても」


 王者のごとく歩みながら、ゴーシュは、不敵に笑った。

 それはもう、とても楽しげに。


「存外面白い館だな。まるで遊園地のようだぞ」

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